隣の席の坂本くんが今日も私を笑わせてくる。
坂本くんは、高校一年生の5月中旬という微妙な時期に関西から転校してきました。
人好きのする柔い笑みに利発で活発そうな陽の雰囲気が全身から溢れ出す彼は、女子生徒からはもっぱらの評判で、転校初日から噂を聞きつけた別クラスの生徒がひっきりなしに来訪するほどでした。
しかも初めは懐疑的だった男子生徒ともすぐに打ち解けてしまうのだから、彼は生粋の陽の者だったのでしょう。
入学して一ヶ月半、友人もできず教室の隅で暇さえあれば勉強か読書をする私こと、 倉橋侑子とは別の意味でクラスでは浮いた存在でした。
たまたま空いていた隣の席に彼がやってこなければ、一年を通して話すことはなかったはずです。
「先生、教科書まだないっす」
「あー、じゃあ悪いけど、隣のー……、えっと、教科書見せてやれ」
坂本くんがこちらを振り返りました。
ぱちんと合わせた手のひらの横から顔を出して、眉を下げていました。
「倉橋さん、ごめん! 教科書届くん来週やねん。今週だけ一緒に見して?」
「……はい」
「ありがとう」
これが、坂本くんとのファーストコンタクトでした。
遠慮なく机をつっつけて移動する坂本くんを横目に、少しだけ動揺している自分がいることに気づきました。
一ヶ月半経っても未だに先生に覚えられていない私の名前を、転校初日の彼が呼んだのです。
彼と私の机の間にできた隙間に教科書の背表紙を差し込んで、ひとつの教科書を分け合います。
「あ、」
ふと、坂本くんが声をあげました。
声をひそめて、私にだけ聞こえるように。
坂本くんの指先が私のノートの表紙を、とんとん、と叩きました。
「倉橋さん、下の名前、侑子って言うん?」
「……はい(侑子って家族以外に初めて呼ばれた)」
「えっ、めっちゃ偶然」
「?」
「俺の下の名前、侑やねん」
坂本くんは、ふふん、と鼻を鳴らします。
「一緒やね、俺たち」
どうしてだか、私はとてもたじろぎました。
彼の純粋無垢な笑みが直視するにはあまりに眩しすぎたと思います。
「親しみを込めて侑くんって呼んでもええよ〜」
にこにこする坂本くんに影が差したことで、私は我に返りました。
「坂本くん」
「えっ、ガン無視ひどない?」
「坂本くん、後ろ」
「後ろ?」
「転校初日から口説くな坂本ォー!」
坂本くんの背後に立った先生が、手に持った教科書を容赦なく振りかざします。
小気味のいい音と共に、坂本くんがいだっと情けない声を上げると、わっと教室に笑い声が溢れました。
クラス中の視線がこちらに向けられる居心地の悪さを感じながら、私はああ、早く席替えしてくれないかな……とひっそり思うのでした。