悪い男のサンクチュアリ

6 大人の会話

 公園の縁日はもう人でいっぱいで、瑞希は茉優の手をしっかり握り締めて歩いていた。
 茉優は初めて見るものばかりで、あっちこっちへ行こうと瑞希を引っ張る。
「みずきちゃん、みてみて!」
「すごいね。お面がいっぱいだよ?」
 そのたびに瑞希は茉優と一緒に露店に歩み寄りながら、二人で顔を見合わせて笑う。
 はしゃぎまわる小さな子を相手にするのは大変だねと、友達に言われたことがある。
 でも瑞希は茉優が赤ん坊の頃から一緒に過ごしているから、大体目の動きや表情で何を考えているのかがわかった。
 由奈はそんな瑞希に、申し訳なさそうに言う。
「いつも遊んでもらっちゃってごめんなさい」
「いいんです。茉優ちゃんは家族みたいなものだから」
 瑞希が何気なく答えると、由奈は顔をほころばせて笑った。
 一也と由奈は駆け回る茉優と瑞希を見守るように、後ろからついて来ていた。
 夏だというのに汗ひとつかかずダークグレーのスーツを着こなす長身の一也と、ほっそりした日本美人の由奈は、人目をひくほどお似合いだった。
 瑞希は茉優の相手をしながら、密かに一也と由奈の会話に耳を傾けていた。
 一也は仕事での不遜さを収めて、労わるように由奈に問う。
「最近、体調はどうだ?」
「ありがとうございます。もうだいぶ元通りなんです」
 由奈は一時は入院していたくらい、夫からの暴力で心身共にやつれていた。
 一也は離婚の手続きを始めたのと同時に、由奈のすみかに夫が近寄らないように手を回した。瑞希も由奈のところに食事を持って行ったり、茉優の世話をしたりして、一也を手伝った。
「一也さんと瑞希ちゃんがいなかったら、私、きっとだめになっていました。……情けないですね」
「弱るときは誰だってあるさ。俺たちの仕事はそれで稼ぐこともある」
 一也は優しく由奈を叱って言う。
「よく休んで、また俺の仕事を助けてくれ。待ってる」
 ……こんな風に言われたら、誰だって一也のことを好きになるんじゃないの?
 瑞希は気づかれないように口をへの字にしながら、二人の話を聞いていた。
 ふいに一也は、由奈に対するのとは違う無神経さで瑞希に言葉を投げかける。
「瑞希、変なもん買い食いするなよ。お前、きゅうりで当たったこともあるだろ?」
「うるさいな! 小学生のときのこと持ち出さないで」
 瑞希は振り返って文句をつけると、一也を無視するように早足で歩きだした。
 一也ははっとして数歩で追いつくと、瑞希の肩をつかんで止める。
 瑞希が進みかけたところを自転車が走っていって、瑞希はぎくりとする。
「……瑞希!」
 一瞬周りの喧噪が消えたように思ったのは、人混みの中で一也の顔がすぐ側にあったから。
 一也の腕に包まれて立ち止まると、瑞希はそろそろと彼を見上げた。
「危ないだろ。だからお前は子どもなんだって」
 今度は瑞希は怒れなかった。茉優に気を配るべきときなのに、一瞬茉優の歩幅も考えずに歩いてしまったから。
 ごめんと言いかけて、瑞希は由奈がしゃがみこんだことに気づいた。一也も瑞希の視線の先を見て、由奈に声をかける。
「由奈? どうした、気分が悪いか」
 一也が心配そうにのぞきこむと、由奈は青白い顔でうなずく。
「ちょっと……貧血みたいです」
「花火が始まったらもっと混み合うぞ。帰るか?」
「それは……」
 由奈は茉優の方を見て首を横に振る。瑞希は由奈の思いを察して言った。
「せっかく来たのに、茉優ちゃんががっかりしちゃうよ。私が茉優ちゃんを見てるから、一也は由奈さんを送っていって」
 それを聞いて、今度は一也が渋る番だった。
「夜の街に子ども二人を置いてくのはな」
 瑞希はその言葉にむっとしたが、辛そうな由奈を見て怒っている場合じゃないと思い直す。
 瑞希は一也を見上げて提案するように言った。
「私、公園から離れないから。ここなら人も多いし、大丈夫だって」
 一也も由奈の顔色が優れないのを見て、仕方なさそうに意見を変えた。
「知り合いの診療所が近くにある。俺がそこに由奈を送ってすぐ戻る。携帯は持ってるな?」
「うん」
「瑞希、いいな。ここから動くなよ」
 瑞希はもう一つうなずいて、一也は息をつく。
 一也はまだ心配そうにしながら、仕方なく由奈を連れて離れて行った。
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