大魔法使いアンブローズ・オルブライトによる愛弟子たちへの優しい謀略

オルブライト侯爵の提案 3

 二人を乗せた馬車は商業区画へと移動する。三年ぶりに見た街は、以前と変わらず栄えてる。

「リズさんはよく街に出かけるんですか?」
「い……いえ、私は出不精なので、オルブライト侯爵家にある自分の部屋で本を読んで過ごしていました」
「……なるほど」

 ブラッドは相槌というより、納得するような気配で呟いた。
 
「それでは、バークリー魔導書店を見た後は一緒に他の店も見て見ませんか? 実は、立ち寄ってみたい雑貨店があるんです」 
「でも……私が街に不慣れなので、ホリングワース男爵を案内できないかもしれません」
「俺が道を覚えているので案内します。リズさんは俺が人や物にぶつからないように手伝ってください」

 そこまで言われると断れなかった。それに、ブラッドと一緒に出かける時間が増えるのは、素直に嬉しい。

「かしこまりました。ホリングワース男爵が快適に移動できるよう努めますので、お任せください!」

 張り切るパトリスに、ブラッドはふっと口元を緩める。かつてパトリスの前で見せていた、柔らかな表情になった。

「ええ、よろしくお願いします」
 
 やがて目的地に辿り着き、馬車が停まった。
 目抜き通りから奥の通りに入る手前に停まっているため、あとはパトリスとブラッドが奥に入って看板を頼りに店に行けばいい。
 
 パトリスは御者が馬車の扉を開けてくれると先に外に出て、ブラッドの手を取る。手に触れるのは、まだ緊張する。それでも平静を装ってブラッドを手伝った。
 
 ブラッドは時間がかかったものの、転ぶことなく馬車から降りた。五日前まではシレンスに抱えられながら降りていたのだから、手を握ってもらうだけで自分の足で降りれるようになったのは大きな進歩だ。

 パトリスはブラッドの手を取り、ゆっくりと一歩ずつ前に出るように歩く。水色の目はキョロキョロと周囲を見回し、ブラッドの障害になりそうな物はないか確認した。
 幸にも障害物はないが、周囲の男性からチラチラと視線を向けられる。しかしブラッドがコホンと咳をすると、その視線はサッとパトリスから離れるのだった。

「あっ、バークリー魔導書店の看板を見つけました! 二時の方角にあります!」
 
 本をかたどった看板が建物から突き出ており、そこにバークリー魔導書店と書かれていた。
 パトリスはやんわりとブラッドの腕を引き、店へと誘導する。

 バークリー魔導書店は青い屋根と、蔦が這う白い石壁が美しい三階建ての店だ。
 屋根には尖塔のようなものが付いており、窓辺には美しい花が咲いている。

 入口には小さなステップがあったため、パトリスはブラッドに気を付けるよう声をかけた。

 扉に手をかけると、店の奥からリンとベルが鳴る音が聞こえる。人が扉に触れると音が鳴るよう、扉に感知魔法を施しているらしい。
 ゆっくりと扉を開けると、パトリスの視界いっぱいに本棚が映った。

 入ってすぐに迎えてくれるのが吹き抜け部分。見上げると、二階も本棚で埋め尽くされている。入口のすぐ近くにある階段を使うと二階に行けるようだ。
 階段のすぐ隣には長椅子とテーブルが置かれており、居心地が良さそうだ。

 パトリスは初めて見る書店に感激し、夢中で眺めた。そこに、バークリー夫妻がやって来る。二人はブラッドを見ると表情を綻ばせた。

「ブラッド、話しはアンブローズから聞いているよ。今回の討伐は大変だったな。……よく帰ってきてくれた」
「あなたの目が治る方法がないか探しているの。私たちは王国各地の図書館や魔導書蒐集家と繋がりがあるから、手掛かりを見つけられるかもしれないわ」

 バークリー夫妻は揃ってブラッドを抱きしめた。
 二人とも目にはうっすらと涙を浮かべている。幼い頃から見てきたブラッドの目が見えなくなったと聞きいて、よほど心配したのだろう。

「そこの綺麗なお嬢さんは恋人かい?」
「いえっ! 私はただのメイドです!」

 パトリスが慌てて否定すると、バークリー夫妻は揃って肩を落とした。
 
「魔法騎士として前線に出られなくなりましたが、教官として引き続き騎士団で働けるようになりました」
「そうかい、ブラッドは賢くて優しいから、いい教官になるよ」
 
 パトリスがブラッドから一歩下がって三人のやり取りを見守っていると、不意にブラッドが顔を動かした。

「リズさん、良かったら店内を見ますか?」
「いえ、私はホリングワース男爵の付き添いですので……」 
「俺はバークリー夫妻と話しているので、気にしないでください」
「……それでは、お言葉に甘えて少し店内を見てきます」

 ブラッドがそこまで言ってくれるのなら、少しの間なら彼から離れてもいいだろう。
 そう判断したパトリスはブラッドに礼をとると、足取り軽やかにその場を後にする。店内の端から歩き、並ぶ魔導書の背に視線を走らせてタイトルを読んでいく。
 
 水属性魔法の応用、使い魔の基礎召喚、宙に浮かす魔法全集――。
 ありとあらゆる魔導書が、隙間なく本棚に並んでいる。どの魔導書も魅力的で、全て手に取って読んでみたいと思うのだった。
 
 一階部分を探索し終えたパトリスは、二階に移動した。掃除に応用できる魔法について書かれている魔導書を見つけると、本棚から取り出して手に取る。すると、背後でバサリと本が落ちる音が聞こえた。
 
 振り返ると、深い緑色の魔導書が落ちている。反対側にある棚の一カ所に、本一冊が入る隙間ができているから、恐らくそこから落ちたのだろう。

「何の魔導書なのかしら?」
 
 パトリスは背を屈めて表紙を覗き込む。
 表紙には金色の文字で、『魔法の無効化』と書かれていた。その下に書かれているのは著者の名前。

 
 
 ――アンブローズ・オルブライト。

 
 
 パトリスの視線は、その金色で刻印された師匠の名前に注がれる。まるで魔導書に誘われるかのように、手が動いて魔導書に触れる。
 
 彼がいつ書いたものなのだろうか。
 気になって裏表紙を捲ると、そこに書かれていたのはパトリスが生まれる五年ほど前の年だった。

 最初に書かれているのは、四大元素属性魔法から成る攻撃魔法を無効化する魔法の仕組みや、道具に付与する際の術式。
 その次には付与魔法の無効化と、召喚魔法を阻害する無効化の応用が続く。
 状態異常の魔法を無効化する方法も書かれているが、目や耳などの各部位ごとに魔術式が異なるようで、相手がどのような魔法をしかけてくるのかわからないと対処しようがないらしい。
 
(防ぎようがないのなら、せめて後から治癒できたらいいのだけれど……竜の魔法は、この国の神官たちが束になっても解けなかったものね) 

 パトリスは目の状態異常を引き起こす魔法を無効化する術式を指先でなぞる。
 
「もしも私が、銀色の髪を持つ者が使えるという高度な癒しの魔法を使えたらいいのに……」

 アンブローズから教わった話によると、その力は神官たちをはるかに凌ぐ威力を持っているらしい。
 今はその力を持つ者はいないが、かつていた頃は神殿に保護され、力を必要とする人々のために使っていたそうだ。
 
「……普通の魔法も使えない私には、無理な話よね」
 
 パトリスは自嘲気味に笑うと、次のページを開く。そこには魔法の無効化と書かれている。
 
「魔法の無効化――魔法使いに魔法を使えないようにするため方法……?」
 
 気になって読み進めようとしたその時、ブラッドがパトリスを呼ぶ声が聞こえた。

「今行きます!」

 パトリスは本を棚に戻すと、早足で一階に戻った。
 
 一階の長椅子に座っていたブラッドは、パトリスの足音を聞きつけて顔を上げる。
 
「なにか気になる魔導書はありましたか? 良かったら、俺の分と一緒に購入するので持ってきてください」
「そんな! 買っていただくなんて畏れ多いです!」

 気になる魔導書はたくさんあった。中でも、アンブローズが書いたものは特に気になる。読みかけていたページの続きを読みたいと思うくらいに。
 
「礼だと思って受け取ってください。オールワークスメイドの仕事で忙しいのに、俺が生活しやすいように気を遣ってくれるリズさんに何度も助けられていますから」

 そう言われても、パトリスは頑なに断った。ブラッドのもとで働いてるのは、彼のそばにいたいからだ。自身の望みを叶えるためにいるのに礼を貰うなんて申し訳ない。
 気になる魔導書は、いつか自分で買いに来よう。

 ブラッドは「遠慮しなくていいのに」と言うものの、渋々と自分の本の会計を済ませた。
 彼は教本をいくつか購入していた。これから新米魔法騎士たちの教官として働くため、全て目を通したいらしい。

 購入した本を後日ブラッドの屋敷に運んでもらうことにして、二人は店を出た。
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