大魔法使いアンブローズ・オルブライトによる愛弟子たちへの優しい謀略

オルブライト侯爵の暗躍 1

「ごきげんよう、ホリングワース男爵。突然訪問した無礼をお許しください。少し、お時間をいただけて?」

 そう言い、レイチェルは氷のような瞳をパトリスに向けた。髪の色を変えていても、パトリスだとわかっているようだ。

 パトリスは大きく目を見開き、突き刺さるように鋭い眼差しを受けとめた。久しぶりに顔を合わせたレイチェルが想像以上にやつれていることに驚いている。
 レイチェルはもとよりふくよかな方ではなかったが、それでも見て明らかなほど頬が痩せて目元はくぼんでいるのだ。
 オルブライト侯爵家の使用人たちが手入れをしているから髪に艶はあるが、それでも以前のような輝きはない。
 
 レイチェルはオルブライト侯爵家に嫁いでからというもの体調を崩して部屋に籠りがちだ。医者は病ではなく疲労だと言っているが、その原因についてはわからない。

 もしかして、自分が父親に勘当されてからなにかあったのだろうか。
 できることならレイチェルに彼女の体調について聞きたい。しかし今のパトリスは平民で、侯爵夫人であるレイチェルに話しかけることは礼儀に反している。

(結局のところ、私は無力なままなのね……)

 パトリスはやるせなさに肩を落とす。
 オルブライト侯爵家に来てからできることが増えた彼女は自信をつけてきた。しかし姉と再会すると、彼女に対してなにもできない。結局のところ、以前と変わっていないのだと思い知らされる。
 自分はいつまでたっても、アンブローズたちに頼ってばかりで独り立ちできない子どもなのだと。

 このままでいいのかと、微かに焦燥を覚えた。
 
「あまりに突然で驚きました。ご用件をお伺いしても?」
「妹のパトリスのことで話がありますの。訪ねて留守だったようですから、ここで待たせてもらいましたわ。外ではどこに耳があるかわからないので、屋敷の中に入れていただけて?」

 急に自分の名前を持ち出されたパトリスは、ひゅっと息を呑んだ。
 
 ブラッドになにを話すのだろうか。
 そもそも、なぜ今になって自分の話をしに来たのだろうか。

 パトリスは自身がグランヴィル伯爵家を追い出されてから、自分自身が社交界でどのようにいわれているのかわからない。
 おおよそ、誰にも思い出されないまま記憶から消えた存在になっているのではないかと思っている。
 アンブローズに聞けばわかるだろうが、敢えて問おうとはしなかった。惨めな記憶を掘り起こしたくなかったのだ。
 
(まさか、私が正体を隠してここで働いていることを伝るのかしら? もしそうなら、なんのために……?)

 レイチェルはパトリスを疎んではいるが、今までに一度も嫌がらをしてきたことはなかった。
 そのためパトリスは、わざわざ出向いてまでパトリスの話をしようとしているレイチェルの意図を測りかねた。

 すると門の前で話している声が聞こえたのか、シレンスが屋敷の中から出てきた。
 先にレイチェルの対応をして彼女の用件を知っているためか、気遣わしい表情で一瞬だけパトリスに顔を向けた。
 
 パトリスの心の中で不安がむくむくと膨れていく。ブラッドが姉を帰してくれないだろうかと心の中で祈ったが、現実は願い通りにはなってくれない。
 ブラッドはやや考え込んでいたものの、小さく頷いた。
 
「……わかりました。兄弟子として、彼女の話を聞きましょう。どうぞ、こちらへ。エスコートできず申し訳ございませんが、ついてきてください」
「エスコートは結構ですわ。自分で歩くのもやっとな方に図々しくもエスコートを強請るようなことはしませんわ」
 
 レイチェルは淡々と言い放つ。そんな彼女にブラッドは苦笑するだけでなにも言葉をかけなかった。

 ブラッドがシレンスの助けを借りて屋敷へと歩みを進めると、その後ろにレイチェルが続く。
 レイチェルから少し距離をとって付き添っていたパトリスは、レイチェルがきょろきょろと辺りを見回していることに気づいた。

 それは不躾にジロジロと眺めているのではなく、まるでこの屋敷を昔から知っていて、懐かしさに耽っているように見えた。
 前を歩くブラッドとシレンスが立ち止まってもレイチェルは歩みを止めず――そのまま前へと進む。その先にあるのは応接室だ。
 
「――オルブライト侯爵夫人、応接室にどうぞ」

 ブラッドの声に、レイチェルはハッと我に返ったような顔をして立ち止まる。
 そんな彼女の様子に、シレンスが片眉を上げている。
 
「……ご案内感謝しますわ」

 レイチェルは珍しくバツが悪そうに目を伏せた。

「リズさん、お茶をお願いします。応接室に運んでください」
「かしこまりました……!」

 パトリスはいつもよりやや素早く礼をとると、急ぎ足で厨房へと向かう。
 早く応接室にお茶を届けて、二人の会話を聞きたかった。
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