大魔法使いアンブローズ・オルブライトによる愛弟子たちへの優しい謀略

オルブライト侯爵の魔法が使えない弟子 1

 パトリスが弟子になる提案を受けると、アンブローズは安堵の息をついた。パトリスの手を両手で包み込むと、くしゃりと目尻に皺を寄せて微笑む。
 その微笑みは、かつてパトリスの母親が向けてくれたような、慈愛に満ちたものだった。

「可愛い弟子ができて嬉しいよ。これからよろしくね」

 アンブローズの言葉が、締め切った部屋の中のように真っ暗だったパトリスの心の中に一筋の光を落とした。
 
 この人はどうしてこんなにも、落ちこぼれと言われている自分を必要としてくれるのだろう。
 小さな胸の中に浮かんだ疑問を、パトリスはすぐに消し去った。
 
 理由なんてどうでもいい。周囲の人間から疎まれてきた少女にとって、自分を必要としてくれる人の存在はありがたく、決して失いたくないものだった。
 
「よろしくお願いします、お師匠様」
「私のことはアンブローズと呼びなさい。お師匠様と呼ばれるのはどうも、堅苦しくて苦手なんだ」
 
 アンブローズはあっけらかんと言った。当時すでに大魔法使いの座を手にしていたが、その地位を振りかざそうとしない。

 パトリスはアンブローズのその言葉に感銘を受けたが、ブラッドは呆れたように溜息をついた。

「そのようなことを仰っていると、またグレンヴィル伯爵から小言を喰らいますよ。大魔法使いの威厳を持てと何度も言われているではありませんか」
 
 魔法使いは総じてプライドが高い生き物だ。しかしその頂点に立つアンブローズは、プライドなんて紙を丸めて捨てる如く否定するため、他の魔法使いたちは頭を抱えていた。
 パトリスの父親であるグランヴィル伯爵もまた、頭を抱える魔法使いのうちの一人だった。
 
 その日以来、アンブローズとブラッドは週に一度、グレンヴィル伯爵家のタウンハウスを訪ねるようになった。
 本来なら弟子となったパトリスがアンブローズの家を訪ねて教えを乞うべきところだ。しかしパトリスは父親から外出を禁じられていたため、畏れ多くも師と兄弟子に来てもらうこととなった。
 エスメラルダ王国の大魔導士を屋敷に呼びつけているなんて、もしもエスメラルダ王国の人々がこのことを知れば、こぞって非難されるかもしれない。しかしパトリスを弟子にしていることは秘密にされていたため、その事態は起きなかった。
 
 アンブローズによる特別授業は、パトリスが父親から勘当されるまでの九年間、ずっと続いた。
 
 授業の内容は座学が九割と実技が一割。週に一度の授業が、パトリスの唯一の楽しみだった。
 
 座学では魔法の歴史や理論を嚙み砕いて教えてもらった。
 アンブローズの弟子になる前は、母親が生きていた頃は母親が、以降は父親か父親が雇った家庭教師から魔法を教わっていた。彼らの説明はどれをとっても難しく聞こえたが、アンブローズの説明はわかりやすく、パトリスは乾いた土が水を吸うように知識をつけた。
 
 実技はアンブローズの手本を真似て魔法を練習する内容だったが、パトリスは一度も成功した試しがなかった。大魔法使いのアンブローズでもパトリスから魔法の才を引き出すことはできなかった。しかし彼は一度もパトリスが魔法を使えないことを責めなかった。
 それどころか、パトリスもまたブラッドと同じく自分の自慢の弟子だと、折に触れて言っていた。
 幼いころから落ちこぼれ扱いをされてきたパトリスは、アンブローズの言葉に何度も救われたのだった。

 兄弟子のブラッドとも上手くやっていた。
 平民のブラッドは、偶然にも王都の平民学校を訪れたアンブローズの目に留まり、弟子となった経緯がある。
 
 出会った当初は貴族のパトリスに対して引け目を感じており、兄弟子と言うより貴族に仕える平民のようにパトリスに接していた。それを見たアンブローズに注意され、少しずつ兄弟子らしく振舞うようになったのだった。
 初めはパトリスをお嬢様と呼んでいたブラッドだが、以降は名前で呼んでいる。パトリスもまた、アンブローズの意向に則り、ブラッドを名前で呼んだ。
 
 真面目で心優しいブラッドのことを、パトリスはすぐに好きになった。
 
 やがてブラッドが魔法騎士として王立騎士団に入団した。
 ブラッドはアンブローズの見立て通り魔法の才があった。しかし本人が魔法騎士になることを望んだため、アンブローズの弟子でありながら魔法騎士となった。

 パトリスはブラッドからその話を聞かされた時は胸にぽっかりと穴が空いたような寂しさを感じたが、無理やり笑みを取り繕い、大好きな兄弟子の門出を祝った。
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