大魔法使いアンブローズ・オルブライトによる愛弟子たちへの優しい謀略
オルブライト侯爵の客人 2
これは魔法大家のグランヴィル伯爵家との結びつきを強くするための政略結婚だとも言った。事情があるらしく、ひと月後に式を挙げるそうだ。
今まで独身主義を貫いてきたアンブローズが結婚をするなど、誰が想像できただろうか。しかし使用人たちはその背景を知る由がなかった。
よもや主人に問い詰めるわけにはいかない。執事長は何やら理由を知っているようだが、アンブローズへの忠義の厚い彼が口を割るはずがない。
使用人たちはすぐにパトリスを案じた。自分を捨てた家門の人間が主となるなんて、パトリスがあまりにも可哀想だと同情した。
パトリスは初めこそ衝撃を受けていたが、すぐに平静を装った。
彼女の胸の中では、白い布の上に黒いインクを垂らしたように、不安が広がっている。それでも、自分はもうグランヴィル伯爵家の落ちこぼれの次女ではないのだと言い聞かせ、気を取り直した。
そうしてひと月後、オルブライト侯爵家の屋敷にレイチェルが嫁いできた。
式を終えた後の花嫁衣裳で現れたレイチェルは相変わらず美しい。しかし以前より痩せており、やつれているように見えた。
久しぶりに見る姉の姿に、パトリスは緊張して喉がカラカラになる。
もしも目が合ったとしても、名前を呼ばれたとしても、オルブライト侯爵家のハウスメイドとして振舞うようにしよう。
このひと月の間、そう自分に言い聞かせて覚悟を決めてきた。
しかしレイチェルは使用人たちに一言だけの短い挨拶をした後、疲れたと言い、すぐに寝室へ向かってしまった。
その時、一度だけレイチェルの水色の瞳がパトリスを捕らえたが、すぐに視線を逸らしてしまった。まるで、道端に咲いている花を無感情に眺めているような、そんな眼差しだった。
再会と呼ぶにはあまりにもお粗末なものだった。パトリスは去り行くレイチェルの後姿を、ただ黙って見つめる。
アンブローズがレイチェルに、パトリスがメイドとして働いていると伝えているのかはわからない。もしかすると、パトリスに似ている他人だと思ったのかもしれない。
そう言い聞かせたが、姉のあまりにも淡白な反応に、パトリスの胸が痛んだ。ナイフを突き立てられたような、鋭い痛みを感じたのだ。
ハウスメイドのパトリスは、レイチェルと顔を合わせるのは稀だ。侯爵夫人の身の回りの世話をするのは侍女の仕事のため、パトリスがレイチェルと関わることは早々ない。
屋敷内で顔を合わせることは数度ある程度。それも、日が経つにつれて減っていった。
レイチェルは、病気を理由に部屋に引きこもるようになった。レイチェルに仕えている侍女の話によると、医者は病ではなく疲労だと言っていたそうだ。
それからひと月経ってもレイチェルは部屋に籠り、食事はほとんど室内でとっている。アンブローズと食事をともにすることの方が稀だ。
おまけに、アンブローズが仕事へ行くときも帰宅した時も部屋から出て来ない。
一部の使用人たちは、レイチェルが仮病を使ってアンブローズを避けていると、非難する者もいた。
レイチェルは使用人たちに対して不愛想で、叱責こそしないが常に睨んでいるため、一部の使用人が委縮してしまっている。
愛想がなく、高圧的で、自分勝手。
使用人の中でレイチェルの評判は落ちるばかり。そのような中、レイチェルが勘当された元妹のパトリスに嫌がらせをするのではないかと心配する同僚も現れ、パトリスを心配してくれるのだった。
「奥様になにかされたら、すぐに言うのよ? みんな、あなたの味方なんだからね?」
「うん……心配してくれてありがとう」
気遣いの言葉は嬉しいが、素直には受け取れなかった。
パトリスはと言うと、レイチェルの体を心配していた。初めこそ彼女の無関心さに傷ついたが、それでも嫌いにはなれなかった。
幼い頃から恐ろしくも尊敬の対象だった姉なのだ。その積み重なった歴史は、そう簡単に崩れなかった。
(お姉様は、どうしてしまったのかしら?)
実家にいた頃の姉は、誰かから非難されるようなことはなかった。だから、同僚たちから姉の話を聞く度に、胸がザワザワとして落ち着かないのだ。
気になっても、聞くことはできない。今や自分は平民で使用人、姉は侯爵夫人なのだ。そう簡単に話しかけられる間柄ではない。
そうして、いつの間にか再会した姉への気まずさは、薄れていった。
***
今まで独身主義を貫いてきたアンブローズが結婚をするなど、誰が想像できただろうか。しかし使用人たちはその背景を知る由がなかった。
よもや主人に問い詰めるわけにはいかない。執事長は何やら理由を知っているようだが、アンブローズへの忠義の厚い彼が口を割るはずがない。
使用人たちはすぐにパトリスを案じた。自分を捨てた家門の人間が主となるなんて、パトリスがあまりにも可哀想だと同情した。
パトリスは初めこそ衝撃を受けていたが、すぐに平静を装った。
彼女の胸の中では、白い布の上に黒いインクを垂らしたように、不安が広がっている。それでも、自分はもうグランヴィル伯爵家の落ちこぼれの次女ではないのだと言い聞かせ、気を取り直した。
そうしてひと月後、オルブライト侯爵家の屋敷にレイチェルが嫁いできた。
式を終えた後の花嫁衣裳で現れたレイチェルは相変わらず美しい。しかし以前より痩せており、やつれているように見えた。
久しぶりに見る姉の姿に、パトリスは緊張して喉がカラカラになる。
もしも目が合ったとしても、名前を呼ばれたとしても、オルブライト侯爵家のハウスメイドとして振舞うようにしよう。
このひと月の間、そう自分に言い聞かせて覚悟を決めてきた。
しかしレイチェルは使用人たちに一言だけの短い挨拶をした後、疲れたと言い、すぐに寝室へ向かってしまった。
その時、一度だけレイチェルの水色の瞳がパトリスを捕らえたが、すぐに視線を逸らしてしまった。まるで、道端に咲いている花を無感情に眺めているような、そんな眼差しだった。
再会と呼ぶにはあまりにもお粗末なものだった。パトリスは去り行くレイチェルの後姿を、ただ黙って見つめる。
アンブローズがレイチェルに、パトリスがメイドとして働いていると伝えているのかはわからない。もしかすると、パトリスに似ている他人だと思ったのかもしれない。
そう言い聞かせたが、姉のあまりにも淡白な反応に、パトリスの胸が痛んだ。ナイフを突き立てられたような、鋭い痛みを感じたのだ。
ハウスメイドのパトリスは、レイチェルと顔を合わせるのは稀だ。侯爵夫人の身の回りの世話をするのは侍女の仕事のため、パトリスがレイチェルと関わることは早々ない。
屋敷内で顔を合わせることは数度ある程度。それも、日が経つにつれて減っていった。
レイチェルは、病気を理由に部屋に引きこもるようになった。レイチェルに仕えている侍女の話によると、医者は病ではなく疲労だと言っていたそうだ。
それからひと月経ってもレイチェルは部屋に籠り、食事はほとんど室内でとっている。アンブローズと食事をともにすることの方が稀だ。
おまけに、アンブローズが仕事へ行くときも帰宅した時も部屋から出て来ない。
一部の使用人たちは、レイチェルが仮病を使ってアンブローズを避けていると、非難する者もいた。
レイチェルは使用人たちに対して不愛想で、叱責こそしないが常に睨んでいるため、一部の使用人が委縮してしまっている。
愛想がなく、高圧的で、自分勝手。
使用人の中でレイチェルの評判は落ちるばかり。そのような中、レイチェルが勘当された元妹のパトリスに嫌がらせをするのではないかと心配する同僚も現れ、パトリスを心配してくれるのだった。
「奥様になにかされたら、すぐに言うのよ? みんな、あなたの味方なんだからね?」
「うん……心配してくれてありがとう」
気遣いの言葉は嬉しいが、素直には受け取れなかった。
パトリスはと言うと、レイチェルの体を心配していた。初めこそ彼女の無関心さに傷ついたが、それでも嫌いにはなれなかった。
幼い頃から恐ろしくも尊敬の対象だった姉なのだ。その積み重なった歴史は、そう簡単に崩れなかった。
(お姉様は、どうしてしまったのかしら?)
実家にいた頃の姉は、誰かから非難されるようなことはなかった。だから、同僚たちから姉の話を聞く度に、胸がザワザワとして落ち着かないのだ。
気になっても、聞くことはできない。今や自分は平民で使用人、姉は侯爵夫人なのだ。そう簡単に話しかけられる間柄ではない。
そうして、いつの間にか再会した姉への気まずさは、薄れていった。
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