絵本の中のヤンデレ男子は、私のことを逃がす気がない。
◇◇◇
「行ってきまーす!」
それから一年がたって、私の環境は目まぐるしく変わった。
体に多少の傷や後遺症は残ったけど、いじめられていた中学校を転校して、また別の町にやってきてからは、友達も出来て、それなりに穏やかな日々を過ごしていた。
なにげない休日──
私は本屋によって、ノートと好きな漫画と、あの日ハルカに貶された小説の最新刊を買って、小高い丘の上にある公園のベンチに腰かけた。
空を見上げれば虹がかかていた。それは、あの絵本の世界で見たような、大きくて綺麗な虹で、その瞬間、私は思いだす。
「春架……」
ぼそりと呟いて、目を閉じた。
これは、あのあと母に聞いた話だけど、遠い昔、まだ母のお腹の中にいたころ、どうやら私は
──”双子”だったらしい。
二卵性の女の子と男の子。そんな私たちに両親は『杏菜』と『春架』と名付けようとしていたんだって。
だけど、男の子の方は、産声を上げることは出来ず、泣かずに亡くなった赤ちゃんは、その後、戸籍を与えられず、結局、名前を付けてあげられなかったって母は言っていた。
「春架が欲しかったものは、"家族"だったのかな?」
だから、ずっと私を待っていたのかな?
母が胎教として読み聞かせていた、あの絵本。お腹の中で、身を寄せ合って二人で聞いていた、あの"優しい世界"をつくりだして。
春架が欲しかったのは、"自分の名前"と、それを呼んでくれる"家族"で、6時44分、私が死んで、あの懐中時計が止まってしまえば、手に入るはずだったんだよね?
だけど──
『こんな形で来てほしくなかった』
そのハルカの言葉を思い出して、目に涙が浮かんだ。
あの日、私は、この”残酷な世界”と、さよならをした。この世界に、生まれることができなかった春架は、自ら命を絶った私をみて、何を思ったんだろう。
『次、アンナがここに来る時は──』
──アンナが、”おばあちゃん”になっていたら、いいな?
それはハルカが、私に最後に言った言葉だった。
おばあちゃんになるまで、生きてと。
でも……
「私が、おばあちゃんになるまで、待ってるつもりなの?」
なんて、気の遠くなる話だろう。
今、14歳。おばあちゃんになるまで、あと何十年あるかな?
その間、春架はずっと一人で待っているの?
寂しくない?
辛くはない?
本当は一人になりたくなかったよね?
ずっと一緒にいたかったんだよね?
それなのに春架は、また一人になるのを覚悟して、私をこの世界に帰してくれた。
どんなに辛くても
そんなに苦しくても
私が帰りたいと願った、この残酷な世界に──
「春架……生きるよ、私」
遥か彼方、空を見上げて、私は呟く。
「でもね……アレは、本当だったんだよ」
あの時、春架の問いかけに「もちろん」と答えたのは、一緒にいたいと思ったのは、嘘じゃなかったんだよ?
「会いたいな……春架に……っ」
空を見あげれば、どこからかシャボン玉が飛んできた。ふわりふわりと、遊ぶようなシャボン玉。
ねぇ、春架──
もし、聞いているなら
今度は、双子じゃなくていい。
姉弟じゃなくていい。
私が、”おばあちゃん”になるまで、待っていなくていいから
早く、あの”三途の川”を渡って、生まれ変わっておいでよ。
そしたら、今度は──
「私まだ、春架の考えた小説、読んでないよ……」
今度は、この”残酷な世界”で
”夢”のある話をしよう──