絵本の中のヤンデレ男子は、私のことを逃がす気がない。

 ◆◇◆

 それから、私達は朝食をすませて、ハルカの案内で、色々な場所を見てまわった。

 そして、最後に訪れたガラスのお城。そこを一階からゆっくりと見て、最上階の部屋のバルコニーにつくと、私はこの世界全体を見回わして、深く深く息をつく。

「綺麗……」

 色鮮やかな絵本の世界は、とてもとても綺麗で、まるで夢心地だった。

「アンナ、こっちに来て。休憩しよう」

 すると、一面ガラス張りのそのお城の中で、テーブルと椅子を出したハルカが、お茶にしようとティーセットを描き出した。

「何を飲みたい?」
「じゃぁ、ミルクティー!」

 ハルカの元に駆け寄りテーブルに付くと、ハルカは、私のためにミルクティーを入れてくれた。

 広い部屋の中央で、綺麗な景色を見ながら、カッコイイ男の子にお茶を入れてもらうなんて、まるで、名家のお嬢様にでもなった気分──

「あぁぁ!?」

 だけど、その瞬間、私は声を上げた。

「どうしたの、アン」
「ねぇ、ハルカ! 今日は何日!?」
「え?……9日だけど」
「うそー! 今日、好きな小説の発売日だったのに!?」
「発売日?」
「うん、お嬢様と執事の恋愛小説なんだけど……どうしよう。今日、新刊買いに行こうと思ってたのに!」
「……」

 その日付に驚愕して私は頭を抱えた。だけど、それをみたハルカは、こころなしか冷たい表情をする。

「なんだ、そんなことか」
「そんなことじゃないよ。凄く楽しみにしてたのに。ねぇ、願えばなんでもでてくるなら、その小説も魔法でだせるかな?」

 切実に訴える私に、ハルカは

「うーん……アンナ、その小説の内容知ってるの?」
「え、知ってるわけないじゃない」
「じゃぁ、ムリかな。この魔法は、あくまでも自分が想像したものを具現化するだけだから、中身を知らないなら、ただ白紙の小説が出来あがるだけだよ」
「え──!!!」

 できないと知り、私は愕然とする。

「じゃぁ、あの小説の続きは、もう読めないの!?」

 あの小説だけじゃない。
 続きが気になっていた漫画も、やり残したゲームも、この世界にいたら、ずっとその結末を知れないままなのだ。

「そんなぁ~」
「落ち込まないでよ。アンナ。そんな小説のことなんて直に忘れるよ。それに、どうせお嬢様と執事の恋なんて、バッドエンドで終わるか、親が許してくれるミラクルハッピーエンドかで終わるかのどちらかだろ」
「もう、そんな単純な話じゃないんだから! はぁ、信じられない。もう本が読めないなんて」
「本なら読めるよ。中身を知ってる本を出せばいい」
「そりゃ、読み終わった本を何度も読み返すのも好きだけど、"結末のわからない物語"をゆっくり追っていくのが、またいいんじゃない」

 私は酷く項垂れた。それは、本好きの私には、耐えられないた苦行だった。
 なにより私は、母のお腹の中にいた時から、本が好きだったらしい。

 胎教として、母はよく読み聞かせをしてくれて、その時に、このハルカが出てくる絵本も、よく読んでくれたらしいんだけど、その度にお腹をぽこぽこと蹴って、凄く喜んでいたんだって。

 本を読むのは、ある意味、私の生きがいだった。それなのに──

「アンナ」

 だけどその瞬間、ハルカが後ろから、私を抱きしめてきた。急に抱きしめられて、私は顔を赤くする。

「ッ……ハルカ?」
「もしかして、帰りたくなった? あっちの世界に」
「え?」

 あっちの世界──そう言われて、はっとする。この世界が楽しくて忘れていたけど、なんで私は今、この世界にいるのだろう。
 帰るには、どうすればいいんだろう。

「アンナ、よく見て」
「え?」
「この世界を、よく見て。とても綺麗で穏やかで、最高の世界だよ。ここにいれば、辛いことや苦しいことなんて、なにもない。あんな世界のことは、もう忘れて、僕とこの"優しい世界"で、夢のある話をしよう」

 まるで逃がさないとでもいうかのように、きつくきつく抱きしめて、耳元で囁きかけられる。

 この世界は楽しい。
 この世界は素晴らしい。

 ハルカといると、心が安らぐ。
 なんの不満もない。

 だけど──

「あ、そうだ。結末のわからない物語が読みたいなら、僕が作ってあげる」
「え?」
「僕がアンナが読みたい物語を考えて、本にしてあげる。そしたら、結末の分からない物語も読めるよ」
「ハルカが? 作るの?」
「うん。アンナもやってごらん。自分だけのオリジナルの小説。きっと楽しいよ」
「自分で小説を作るなんて、そんなの考えたこともなかった……確かに、面白そう!」
「でしょ。じゃぁ、本が出来たら、お互いに読ませあいっこしよう」
「うん!」

 そんなハルカの"夢のある話"に、私の思考はあっさり切り替わる。

 そうだ。
 ハルカの言う通り、今はこの世界を楽しもう。

 あの虹色の川の先にも行ってみたいし、ペガサスにだって乗ってみたい。見たい物や、やりたいことは、まだまだ、たくさんある。

 だから、帰る方法は──帰りたくなったら、考えればいいよね?


< 8 / 14 >

この作品をシェア

pagetop