悪役教師は、平和な学校生活を送りたい
 人気のない廊下を二人並んで歩いていると、「それでですね」とエルヴィンは言葉を続けた。

「俺なりに、いろいろ考えました。……進級することについてはまだ気が乗らないけれど、ここまで必死になるあんたを見ていると……自分の都合だけで誰かを苦しめたくはないと思うようになったんです」

 思わずエルヴィンの顔を見ると、彼はほんのりと微笑んだ。

「俺、明日から授業に行ってみます。……補講クラスの皆はともかく、他の同級生からは『サボりが来た』って指を指されるでしょうがね」
「そ、それは私としても嬉しいです。でも、シュナイト君はそれでいいのですか?」
「……これでいい、と思ってます。それに、冬のグループ試験まであと一ヶ月くらいでしょう。俺がいても戦力には心許ないかもしれないけれど、腰を抜かしたルッツを担いで逃げたり女子たちの盾になるくらいならできますし」
「シュナイト君……」
「進級については、それから考えます。まあ、叔父や従弟のことを考えるだけで頭が痛くなるんですけど……でも、これが今の俺がやるべきだと思ったことです」

 真っ直ぐな目で見つめられ、ディアナは唾を吞んだ。

(知らなかった。彼も、こんな目をするんだ……)

 まだ少しけだるげではあるけれど、何か一つ芯の通ったものの見られる眼差し。
 初めてベランダで見かけたときとは全く違うたたずまい。

「……分かりました。あなたが自分で決めたことなら、私はあなたを応援しますし……その判断を心から嬉しく思います」
「ああ。……あ、もう着いたな」
「そうですね。荷物、ありがとうございました」

 この先は教員の宿舎棟になるので、生徒は立ち入り禁止だ。
 エルヴィンから荷物を受け取って彼に背を向けると、コツ、と小さな足音が響いた。

「……先生。俺、なんだかんだ言って……先生が俺をずっと探してくれたこと、嬉しかった。本当に、嬉しかったんだ」

 ディアナは、動きを止めた。
 思いのほか近くで聞こえる声に耳を澄ませると、エルヴィンが小さく息をつく音がした。

「俺のことなんて放っておいてくれればいいと、あんたにもリュディガーにも言ってきた。でも、声を掛けてもらえて、気にしてもらえて……嬉しかった」
「……」
「俺自身の未来についてはともかく、今は少しでもあんたの力になれるように、頑張る。……ありがとう、先生」
「シュナイト君……」

 振り返るが、もうエルヴィンはディアナに背を向けて歩き出していた。以前の教育相談でバルコニーから出て行くときの彼は、もっとゆったりとした足取りだったはずだ。

 教え子の後ろ姿を見送り、ディアナは小さく頷いた。

(……よかった。私の気持ちもシュナイト君の気持ちも曲げることなく、私たち両方にとって納得のできる形に物事が動いて……よかった)
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