真夏、蝉、氷菓子、君の声
拝啓:誰にも見えない君へ
チャイム。教師。学校。同級生。せみの声。夏。夏。

「おまえらー、期末が終わったからって気を抜くんじゃないぞ。ちゃんと勉強しろー」
「はいはーい」
「とか言ってしないくせに」
「バレたー?」
「あはは」
「帰ろー」
「掃除は?」
「サボり」


ああ。騒々しい。馬鹿みたい。


「関口さん、掃除お願いねー」
「うちらこれからカラオケだから」
「よろしくー」

馬鹿みたい。馬鹿みたい、私。



バケツに水をはった。ひやりと冷たくて、そのまま手を水に浸す。廊下は暑かった。体中の水分が出ていきそうなくらい。窓からグラウンドが見える。野
球部のかけ声。
いっちに一さんっ、いっちに一さんっ、いっちに一さん

ミーンミンミンミンミンミミーン…

一瞬気が遠くなって、慌てて我にかえる。掃除を、しなければならない。

「さぼっちゃえよ」

一瞬、誰に何を言われたのかわからなかった。

「嫌よ。私は、ああはなりたくないから」
「『ああ』って、なに?」
「曽根さんたちのように、なりたくないの」
「へー…....なれたら楽じゃない?」
「自分を許せない。他人を許すようには」
「難しい生き方するな」
「あなたに言われたくない」

ふり返った。そこにいるのは、年中半そでカッタージャツの男。

ニヤニャ笑って、立っている。

「俺も手伝おうか」
「したいならそうすれば?」

バケツを持って教室へ入る。ぞうきんをしぼった。ひんやりした手が、バケツの水の中で私の手と触れあう。

「なぁ…あんなやつら、俺がブチ殺してやろうか」

殺気に鳥肌が立つ。私は、こいつならやりかねないということを知っている。

「冗談は、やめて」
「したいならそうすれば、って、言ってくれないんだな」

長めの黒髪からのぞく、切れ長の瞳。殺気は、もうない。

「俺にとっては、掃除しなんかよりずっと、楽なんだけどなー」

ミーンミンミンミンミンミンミンミーーーーーン

近い距離。濡れた手と手がからみあう。

「邪魔、しないでくれる?私、早く帰りたいんだけど」
「キスしたい」
「馬鹿なこと言ってないで手伝ってくれない?」
「はいは~い、貞操観念固すぎてつけ入るすきねー」

私は知っている。こいつの発言のほとんどは思いつきで、戯れ言で、全部本気ではないということ。

「重てーな、この机。誰のだよー」

触れる肌は偽物で、真実などどこにもないということ。

「暑。夏帆子、後でアイス食わせて」

どこにも、ないということ。




「夏帆子。アイスは?」
「家にあるから。もう少しがまんして」
「えー?コンビーじゃだめ?」
「嫌よ。家にあるのにどうしてわざわざコンビニ行かなきゃなの?」
「言うと思った」

住宅街をぬける。石段を上がれば、そこからはもう田舎の風景だ。

なまぬるい風が頬をなでる。

「俺のこと嫌いにならない?」

突然、隣を歩く男が言う。

「残念ながら、私は出会ったときから、あなたが嫌いよ」
「そう言う夏帆が、好き」
「私は、嫌い」

ざわざわと、木ずれの音。

「名前、呼んでよ。あなたじゃなくて」

大地が動く。雲が、すごいスピードで流れてゆく。緑の葉が舞う。

「麗貴」
「夏帆子」

唇が転く触れた。

「好き」
「あっそう」

スタスタ歩き出すと、麗貴は私の手をつかむ。

「暑いから、はなして」
「冷たいよ、俺の手」

確かにその通り。こいつの手は、年中冷たい。

「そう。悪くないわね」
「だろ?」

そうして私たちは、家へ向かって再び歩きだした。



よりによって、寺の娘ね。
初めて家に来たときにポツリと言われた言葉を覚えている。

俺のこと、はらっちゃう?

そんな力、私にも、この寺社にもないわ。

一度、入れたら終わりだよ?

それならいいわ。もう終わっているから。


別に、後悔はしていない。麗貴が来てから、何が変わったということはない。

「おかえり、夏帆ちゃん。暑かったろ」

祖母だ。庭に水をまいていたのだろう。

「ただいま」

祖母は、ゆっくりと麗貴を見て、頭を下げた。

「おかえりなさい」

麗貴は、たじろいだ後、ささやいた。

「ただいま。おばあちゃん」
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