憎き上司の子を懐妊したのち、引くほど溺愛されている件について。
「妊娠の方はどうだ。順調か?」
「…結城さんには関係ありません」
振られた仕事を的確に処理して帰り支度を始めた時、結城さんはそのように話し掛けてきた。
妊娠が発覚して2か月が経つかという頃。
悪阻は落ち着き、りんご味のこんにゃくゼリー以外にも食べられる物は増えた。
妊娠の経過は順調。
健診の度に少しずつ大きくなっていく生命に、1人で感動を覚えていた。
「……健診は、1人で行っているのか?」
「当たり前でしょう。他に誰と行くというのですか」
「………」
最近の私は、夫婦で妊婦健診に来ている様子を見ると、羨ましさというか、寂しさというか…。2人で1つの小さな生命の成長を喜び、共感し合い、感動している光景に、何とも言えない気持ちでいっぱいになる。
待合室で肩を寄せ合いながら、エコー写真を眺める夫婦。
その光景が妙に目に付いて…心が騒ぎ出すのだ。
…妊娠が発覚した時は、1人で産み育てると意気込んでいたし…今もそれは変わらない。
だけど、病院は盲点だった。
見るつもりが無くても見てしまう『普通の光景』に、私は酷く憧れを抱いてしまい…。
実はたまに、その意気込みすら…見失いそうになっていた。
「…なぁ、沢城………」
「…はい」
「俺さ、やっぱりお前と結婚して…妊娠出産を支えて、一緒に子育てをしたい。俺は好きなんだよ、沢城のことが…」
「…………」
私の元に近付いてきた結城さんは、そっと私の身体を抱き寄せて優しくキスをした。
…自分勝手だよ。本当に。
「散々私に酷いことして、妊娠したら手のひら返して…。恥ずかしいと思わないのですか」
「…恥ずかしくない。好きだから…嫌われたかった」
「それが恥ずかしいと言っているのですよ。本当に頭がおかしいです。気持ち悪い」
「ありがとう…」
「褒めてませんけど?」
私の肩に腕を回している結城さんの手を離そうと振り払うが、びくともしない。
しかも何だか嬉しそうな表情をしていて、複雑な気持ちでいっぱいになった。
「改めた方が宜しいですよ、その性癖。どの女性も理解出来ないと思います」
「大丈夫、もう俺は沢城だけだから。他の人が理解出来なくても問題無い」
「…………私、結城さんを受け入れませんけれど」
「そこをどうか。好きなんだ、沢城」
「私は嫌いです」
もう一度、結城さんの手を離そうと振り払うと、今度は離れた。
そのタイミングで結城さんの元から離れ、中途半端なままの帰り支度を進めて鞄を手に持つ。
「では、帰ります。お疲れ様でした」
「…沢城、待って」
「………」
「会社に妊娠の事実を報告して、休暇に入るか退職するかを決める時期がもうすぐやってくる。俺は責任を持ってお前と結婚して、沢城自身は勿論、子供も生涯かけて愛して守りたいと思っている。だから…沢城が受け入れてくれるなら、俺が沢城の相手だと、ちゃんと会社に報告したいんだ」
「……」
真剣な表情。
真剣な眼差し。
だけど…何を言われても、私は……。
「ごめんなさい。大嫌いです、結城さん」
「……」
呆然と立ち尽くす結城さんを無視して、私は足早にオフィスを後にした。