憎き上司の子を懐妊したのち、引くほど溺愛されている件について。


「…よし、頑張ろう…」


今日は、久しぶりの会社。
そして…退職を結城さんに伝える日。


緊張しながら経理部室の扉を開くと、皆が一斉にこちらを向いた。


「…おはよう、ございます…」
「あっ、沢城さん!!!!」
「おはよう、おはよう!!!」


私の姿を見た経理部員たちは、みんなが飛ぶように駆け寄ってきた。
そして手を握り、上下何度も振られる。


「言いなよ、何隠しているのよ!!」
「え?」
「結婚もせずに妊娠なんて…って思ったけれど、相手が結城部長だなんて…!!」
「え!?」
「羨ましすぎます~!! 何で隠していたのですか? というか、入籍は? 結婚式は!?」
「結婚式は先走りすぎでしょ~!!! 沢城ちゃんはおめでたなのよ!!」
「えぇぇ!?」



待って。何故、相手が結城さんだとバレているの!?



オフィスに居ない結城さん。

どうにか経理部員の包囲を抜けた私は、自分のデスクに鞄を置いて、小走りで結城さんを探しに向かった。


宛もなく歩き続ける。
すると、炊事場で結城さんの姿を見かけた。


「あっ、結城さん…!!」
「…沢城……おはよ」
「一体、どういうことですか!?」
「……」


口角を上げたまま無言の結城さんは、紙コップに麦茶を注ぎ、一気飲みをする。

そして、ピーピーッと鳴り始めた電子レンジから湯気の立った焼きおにぎりを2つ取り出し、そのままかぶりついた。


「…冷凍焼きおにぎりなんだけど、食べる?」
「け、結構です!! てか結城さん、何で私の相手が結城さんだとバレているのでしょうか!?」
「…沢城が休む前、ここで話していた会話を聞かれていたみたい」
「えっ」
「その人が“スピーカー”だったのが、運の尽きだ」
「……」


焦る私を他所に、何だか嬉しそうな結城さん。
焼きおにぎりをフーフーしながら頬張る様子が…何とも言えない。


「もうさ、本当に結婚しようよ」
「……」
「俺は一生、沢城を愛する。でもたまには、憎くて大嫌いって罵って欲しい」
「…勘弁して下さい。気持ち悪いですって…」


焼きおにぎりを全て食べ終え、また麦茶を一気に飲み干している。
私のイメージする“エリート”から掛け離れた結城さんの姿に、少しだけ意外さを感じた。

そんな彼と目が合い、そっと微笑まれる。
それにまた嫌気が差して…喉で止まったままだった伝えたい言葉を、ここで吐き出すことにした。


「…結城さん。私、決めたんです。退職して、実家に帰ります。だから…大丈夫。結城さんに愛される必要はありません」
「えっ」
「親が子育てを手伝ってくれるみたいです。だから、今度こそ…退職届を受け取って頂きます」
「………」


紙コップをキッチン台に置いて悲しそうに俯いた結城さんは、唇を少しだけ噛んでいた。
何だか泣きそうで、辛そうで………。でも私からすれば、何で貴方がそんな表情をしているの? って感じだけどね。


「好きだよ…沢城…。俺に愛されて…退職は…しないで」
「嫌です」
「めちゃくちゃに愛したい…。公私ともに、ずっと俺の傍に居て欲しい」
「勘弁して下さい」
「沢城のことが嫌いだなんて嘘だったんだ。本当はずっと好きで……。でも、俺のことは嫌われたくて…つい」
「知りませんよ、そんなこと」


結城さんが発する言葉全てを蹴散らし、私は炊事場を後にした。

本当に考えられない。
何もかも今更過ぎる。


…そう思うけれど。


実際…経理部内に広まっている私の結城さんの話は…どう処理しよう?


『結城さんと結婚』以外に、穏便に流す術が思いつかなかった。





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