淑女の笑みは三度まで~腐りきった貴族の皆様に最高の結末を~

第一章 誰が貴方に謝罪などするものですか

「アルダンテ! アルダンテはどこ!」
 昼時の暖かな日差しが差し込む屋敷の中に、ヒステリックな女の金切り声が響き渡った。
 質素なカーキ色のワンピースを着て、雑巾を片手に居間の窓を拭いていたアルダンテは、自分を呼ぶ声の方に視線を向ける。
(あんなに声を荒げて。またお父様と喧(けん)嘩(か)でもしたのかしら)
 アルダンテは最後の窓を拭き終えると、その場に待機して声の主がやって来るのを待つことにした。
 やがてドン、ドンと。
 上の階から自分の不機嫌さを周囲にまき散らすかのようなわざとらしい足音が聞こえてきた。
 足音の主は居間のドアを勢いよく開くと、部屋の中央で待機していたアルダンテに向かって大声で叫ぶ。
「このノロマ! いつまで一階の掃除をしているのよ! 日中までに二階を含めた屋敷中の掃除を終わらせておけと言ったでしょう!」
 そこにはいかにも貴族らしい豪奢なドレスを纏った、金髪の中年女性――バーバラ・エクリュールが、眉間に皺(しわ)を寄せて怒りの表情で立っていた。
「申し訳ございません、お母様。すぐに二階を掃除しに参ります」
「お待ちなさい!」
 バーバラはアルダンテの横を通り過ぎて窓際に近づくと、注意深く窓枠を見つめてから端の方を人さし指でなぞる。
 そしてわずかに指先についた汚れをアルダンテに見せつけて言った。
「まだ汚れが残っているじゃない! 早く終わらせたいからって適当に済ませられると思ったら大間違いよ! やり直しなさい!」
「……はい。仰せのままに、お母様」
 内心ではうんざりしながらも表情に出さずにそう答える。
 そんなアルダンテを見てバーバラはフンと鼻を鳴らした。
「まったく本当に使えない子ね。掃除のひとつも満足にできないなんて。娘がこの調子なら、母親もさぞ出来の悪い女だったのでしょうね!」
 バーバラは現在、屋敷の主であるエクリュール伯爵の夫人という立場にあるが、アルダンテと血の繋(つな)がりはない。
 現在十八歳であるアルダンテが二歳の時、彼女の母親は病で亡くなった。
 バーバラはその後、アルダンテの父マクシムスが後妻として娶(めと)った他家の貴族の女である。
 嫉妬深かったバーバラは、家に飾られた絵画に描かれている、マクシムスの前妻の肖像画を見る度に怒りを募らせ、アルダンテをいじめていた。
 理由はアルダンテの赤紫色の髪色や紫色の瞳。
 そしてなにより顔立ちが、マクシムスに愛されていた前妻にそっくりだったからだ。
 侍女の仕事である掃除をアルダンテにわざとやらせているのも、嫌がらせの一環である。
 そんなバーバラに対して、気が強かった幼い頃のアルダンテは反抗的な態度を取っていたが――
「……申し訳ございません」
 とある理由により、三年前の十五歳の時からバーバラの理不尽な命令にも従順に従うことにしていた。少なくとも、表面上は。
 それをいいことにバーバラの嫌がらせは日に日に激しく、陰湿になっている。
「日が落ちるまでには埃(ほこり)ひとつ残すことなく屋敷中を完璧に掃除しておきなさい。それまで食事は抜きにしますからね。いいわね?」
「承知いたしました」
 チッ、と舌打ちをしてバーバラが居間から出て行った。
 バーバラの後ろ姿を見送った後、アルダンテは窓際の棚に置いてあったハタキを手に取る。
「……仕方ないわ。これは自由を得るためにお父様と交わした契約の代償なのだから」
 そうつぶやくアルダンテの表情は暗い。
 なぜなら彼女は今日、この屋敷で自分が受ける理不尽な扱いが、これで終わりではないことを知っていたからだ。
「でも、それもあと少しの辛抱よ」
 首を左右に振って気を取り直したアルダンテは、一度終えた窓枠の埃取りを言いつけ通りに再び始めるのだった。
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