淑女の笑みは三度まで~腐りきった貴族の皆様に最高の結末を~

「こんなところにいたのね。探したわよ、お姉様」
 昼が過ぎ、ようやく一階の掃除をすべて終えた頃。
 アルダンテは廊下の途中で小柄な少女に声をかけられた。
「……なんの用でしょうか? 掃除の途中なのだけれど」
 窓から差し込む日によって白く透き通って見える白金の髪。
 裾や袖のところどころにレースがあしらわれた、見るからに高価な純白のワンピースを着た彼女の名前は、アルラウネ・エクリュール。
 父マクシムスとバーバラの間に生まれた子供である彼女の年齢は、今年で十五歳。
 アルダンテの義妹にあたる存在である。
「なあに、その格好。みっともない。まるで召し使いね」
 アルラウネは口元に手を当てると、意地が悪い笑みを浮かべてそう言った。
 朝から掃除に掛かり切りだったアルダンテのワンピースは、煤(すす)や埃によってところどころが黒く汚れている。
 アルラウネはそんな惨めな義姉の有様を指して嘲笑を浮かべたのだろう。
 だが、そもそもそれを差し引いても、元より平民のように質素なアルダンテの服と上質なアルラウネの服では、主と召し使いほどの差があった。
「やめてよね。仮にもお姉様はエクリュール家の長女なんだから。そんなみすぼらしい姿で外を歩かれたら義妹の私の評判にまで傷がついてしまうじゃない」
 数か月前に社交界デビューを果たしたばかりにも関わらず、アルラウネはその可(か)憐(れん)な容姿と立ち振る舞いから、すでに国中の有力な貴族から求婚が殺到するほどの人気を博していた。
 そんな彼女を父マクシムスも義母バーバラも自慢の娘として、高価な服や宝飾品をこれでもかと与えて、蝶(ちょう)よ花よと可愛がっている。
 家族に対する親愛の情などとうに存在しないアルダンテには、両親に愛されているアルラウネをうらやましく思う気持ちは一切なかった。
 無関心だったといってもいい。
 だが顔を合わせる度に自分を見下してくる、彼女の舐(な)めた態度に関しては当然不快に思ってはいた。
 本来なら調子に乗ったその顔に平手打ちのひとつでもお見舞いして、しっかりと躾(しつけ)をしてやりたいところだったが――
「あ、そういえばお姉様は社交界を出入り禁止になって以来、お父様の言いつけでこのお屋敷から出れないんだっけ。じゃあお姉様のせいで私が恥をかく心配はなさそうね。よかった」
 アルラウネの言う通り、三年前のとある出来事から社交界を出入り禁止にされたことで家の評判を落としたアルダンテは、自分とは真逆で人気者の義妹に対して強く出られない状況にあった。
「用がないなら行きますわ。まだ二階の掃除が残っていますので」
「そんなに邪険にしないでよ。せっかく可愛い妹が可哀想なお姉様に素敵なプレゼントをしてあげようっていうのに」
 そう言ってアルラウネはアルダンテの手を取ると、透明に透き通った白い宝石が中央に収まった首飾りを握らせる。
「……どういうつもりかしら?」
「それね、ロディ様から頂いたの。でもいらないからお姉様に差し上げるわ」
 その名を聞いた途端、アルダンテは眉をしかめて無表情を保っていた顔を険しくした。
 ロディ・バラクはバラク伯爵家の子息で政略結婚によって結ばれたアルダンテの婚約者である。
 アルダンテに会うために頻繁に屋敷を訪れる彼とアルラウネは当然面識があった。
 そして婚約者の妹に装飾品の贈り物をすること自体は特別不思議なことではない。
 それなのにアルダンテが顔をしかめた原因は、アルダンテとロディの関係性にあった。
「確かお姉様、ロディ様に一度も贈り物を頂いたことがなかったのでしょう? よかったじゃない。私のお下がりでも、ロディ様からの気持ちがこもっていることには変わりはないし。あはっ」
 婚約者になってからの三年間、アルダンテに対してロディは、一度も贈り物はおろか、愛の言葉を囁(ささや)いたことすらなかった。
 アルダンテとしてはただの政略結婚で、共にいることは義務でしかないロディに、恋人同士の甘い関係を期待したことなど一度もない。
 ロディにとってもそれは同じだっただろう。
 しかし、婚約を結んだ者同士、最低限の礼儀は互いに払ってしかるべきだとアルダンテは考えていたし、それ故にロディの機嫌を損ねるような振る舞いは決してしなかった。
 それなのにロディが、あろうことか自分と仲の悪い義妹に、内緒であんなにも立派な首飾りを贈っていただなんて。
 婚約者に対する礼を失したその行いはとても看過できるものではなかった。
「この首飾り……いつロディにもらったのですか?」
「一か月前にお姉様とお父様に大事な話があるって言ってここに来た時があったでしょう? その時頂いたのよ。愛の言葉と一緒にね」
 信じられない、とアルダンテは呆(あき)れて言葉を失った。
 一か月前、ロディはアルダンテとの正式な結婚をする日程の相談にこの屋敷を訪れている。
 そんな話をしに来た傍らで実はアルラウネと逢い引きし、あろうことか愛を囁き首飾りを贈っていただなんて。
「ロディ様、誠実そうに見えるのは見た目だけね。二十五歳にもなって十も年下の婚約者の妹に言い寄ってくるだなんて、本当に気持ち悪い方。それに――」
 アルラウネがアルダンテの手に握られた首飾りの宝石を指さす。
「その首飾りに埋め込まれている宝石。ロディ様は君のためにこの国で最高の宝石を用意した、なんて言っていたけれど――ほら」
 呆然(ぼうぜん)としているアルダンテの手から首飾りを奪い取ったアルラウネは、それを窓から差す光にかざした。
「宝石なんかに縁がないお姉様は知らないだろうけど、この国で作られた最高品質の一等級の宝石は太陽の光で透かすと国の紋章が影になって浮かび上がるの。それがない時点でこれは二等級以下の量産品。そんな紛(まが)い物で喜ぶ女は二流以下もいいところよね」
 フン、と鼻を鳴らしてアルラウネは首飾りを再びアルダンテの手に握らせた。
「まあこの国で一等級の宝石をプレゼントできる人なんて王室に連なる方ぐらいのものだろうから期待なんてしてなかったけれど」
 肩をすくめた彼女はアルダンテに背を向ける。
 そして顔だけ振り向くと、見下したような目をして言った。
「それ。私はいらないけれど、お姉様にはお似合いでしょう? 二流以下の婚約者同士、末永くお幸せにね。あははっ!」
 高笑いをしながら廊下を歩いていくアルラウネが視界から消えた後。
 アルダンテはため息をつきながら、首飾りを握り締めた。
 こんなもの、今すぐに窓から投げ捨ててしまおうか。
「……いえ。まだ本当のことと決まったわけではないわ」
 アルラウネが私をからかうために口から出まかせをいっている可能性もあった。
 投げ捨てるのはロディ本人に本当にアルラウネに首飾りを贈ったのかを確認してからでも遅くはない。
 気を取り直したアルダンテは掃除を再開するために、二階に向かおうとして――
「……あれは」
 窓から見える外の庭に見覚えのあるひとりの男の姿が見えた。
 栗色(くりいろ)の髪をして仕立てのいいスーツを着た若い貴族の男――ロディである。
「確認、するべきなのでしょうね」
 踵(きびす)を返したアルダンテは、ロディを出迎えるために屋敷の玄関に向かう。
 すると、そこにはすでに入口のドアを開けて屋敷の中に入ってきていたロディが、いつも通りの笑顔で立っていた。
「ごきげんよう、アルダンテ。珍しいですね、普段外にほとんど出ない貴女(あなた)と玄関で顔を合わせるなんて――うん?」
 ロディはアルダンテの服に気がつくと、少し困ったように眉根を寄せる。
「まるで召し使いのような格好だ。屋敷の掃除でもしていたのですか?」
 アルダンテの目の前まで歩み寄ってきたロディは、服についていた汚れを優しく手で払った。
「家の役に立とうとするお気持ちは立派です。でもそういったことは侍女に任せて、貴女はもっと貴族のご令嬢らしく、優雅に振る舞ってもよいのではありませんか?」
 そう言って優しく微(ほほ)笑(え)みかけてくるロディの表情は、心からアルダンテのことを思いやっているように見える。
 今までのアルダンテであれば、そんなロディのことを疑う気持ちなど微(み)塵(じん)もなかっただろう。
 しかしアルラウネの話を聞いた今となっては、彼の表情や言葉のすべてが怪しく見えて仕方がなかった。
「ごきげんようロディ様。突然いらっしゃるだなんて、一体どうされたのですか?」
「近くを通る予定があったので、せっかくですしエクリュール家の方々にご挨拶をと思いまして」
 そう言った後、不意にロディは視線を泳がせると、そわそわと落ち着かない素振りをしながら口を開く。
「ところでアルラウネ……妹君の姿が見えませんが、今日はお出かけでもされているのですか?」
「アルラウネになにか御用でも?」
 平然とした素振りを装って聞き返すと、ロディは慌てた様子で早口に答えた。
「いえ! 特別用があったわけではないのですが……その、僕のことについてなにか話していませんでしたか?」
「特になにも聞いておりませんが」
「そうですか……」
 肩を落としあからさまに落胆するロディに、アルダンテは呆れた表情で小さく嘆息する。
 目は口ほどに物を言うという言葉があるが、この様子ではほとんど自分が黒だと言っているようなものだ。
 アルダンテはスカートのポケットにしまっていた首飾りを握り締めると、意を決して口を開く。ロディの浮気を問い詰めるために。
「ロディ様。貴方はアルラウネに――」
 しかしその言葉が最後まで発せられることはなかった。
 ロディの背後でガチャリ、と音を立てて。
 入口のドアが外側に向かって開いたからだ。
 そこには長い白髪を後ろで結わえた長身の男が立っている。
 人のよさそうな温和な顔立ちをして、仕立てのいい高級感のある黒いスーツを着たその男の名はマクシムス・エクリュール。
 アルダンテの父にしてエクリュール伯爵家の当主である。
「お帰りなさいませ、お父様」
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