淑女の笑みは三度まで~腐りきった貴族の皆様に最高の結末を~
「…………」
会釈をするアルダンテをマクシムスは無言のまま一(いち)瞥(べつ)する。
その目は自らの娘に対するものとは思えないほどに冷たく鋭かった。
(私はお父様の敵、みたいなものだものね)
マクシムスが寵(ちょう)愛(あい)していたアルダンテの母はアルダンテを産んだことをきっかけに体調を崩し、そのまま病に伏せって亡くなっている。
マクシムスからすればアルダンテさえ生まれてこなければ最愛の妻を失うことはなかったのだ。
たとえ実の娘とはいえ、アルダンテが憎まれるのも無理からぬことだったといえるだろう。
(それにこの人は元から自分以外の誰も信用なんてしていない。私以外に対しても、表向きは普通に接していても目の奥は決して笑っていないもの)
幼い頃、アルダンテがマクシムスの書斎に誤って入ってしまった時に、机の上で見つけた書類――そこにはエクリュール家と親交がある貴族達の詳細な情報が記されていた。
中には彼らの不正が記されたものも。
それを見た幼いアルダンテは、いかにマクシムスが他人を信用していないかを知り、自分の親ながら得体の知れない不気味さを感じたのだった。
「来ていたのかね、ロディ君」
マクシムスはロディに視線を移すと、穏やかな声音で言った。
「我が家になにか御用かな?」
「いえ。近くに来たから寄っただけで特にこれといった用は――」
「ならばお引き取り願おう。これから家族だけで折り入った話があるのでね」
「えっ?」
普段はまるで実の父子のように親交があるマクシムスに、有無を言わさずに帰れと言われるなど思ってもいなかったのだろう。
ロディは口を開けたまま呆然としていた。
そんな彼の横をマクシムスは気にかける素振りもなく通り過ぎていく。
それを見てアルダンテは父の身に。あるいはエクリュール家に。
なにか重大なことが起こったことを察した。
(いつもは外面のいいお父様が、取り繕う余裕をなくしている。確か五日前から王都に行かれていたはずだけれど、一体なにがあったの?)
「……なにをしている」
アルダンテが思案に耽(ふけ)っていると、不意に廊下を歩いていたマクシムスが振り返った。
その視線はロディではなく、アルダンテの方を向いている。
「お前も来なさい。家族で話があると言っただろう」
それだけ言うと、マクシムスは返事も聞かずに居間の方に歩いて行った。
「仰せの通りに」
ロディにアルラウネとの関係を問い質したい気持ちはあったが、エクリュール家において当主であるマクシムスの言うことは絶対。
たとえそれが三年もの間、屋敷の敷地内から一歩も外に出るなという命令であったとしても、アルダンテは従わなければならなかった。
なぜなら――。
(約束だもの。仕方ないわ)
アルダンテはマクシムスとある約束を交わしている。
四年間、口答えせずに大人しく家族の言うことに従い、なにも問題を起こさないこと。
それを守れたなら謹慎を解除して、その後は常識の範囲内であれば好きに振る舞うことを許すというものだった。
普段は口答えを許さず、厳しく罰することを是とするマクシムスだったが、ただ罰を与えただけでは気が強いアルダンテを従順にさせることは無理だと思ったのだろう。
わざわざ契約の書面まで用意されて目の前にチラつかされたその褒美に、アルダンテはまんまと飛びついた――フリをした。
(自由を与えるなんて口実で四年間も厳しい教育を施して、もう二度と逆らう気を起こさせないようにするつもりだったのでしょうけど――そんなことでこの私を手懐けられると思ったら大間違いよ)
アルダンテはその約束をのみ、三年が過ぎた今、約束の期間は残り半年と迫っていた。
(今更どんなにお父様にぞんざいに扱われようがどうってことはないわ。あとたった半年我慢すればいいだけだもの。たとえ家族だったとしても、貴族が書面で交わした約束は絶対。破ることは許されないのだから)
さっさと歩いて行くマクシムスの背中を、アルダンテは早足でついていく。
その途中、アルダンテは呆然としているロディにすれ違い様に声を掛けた。
「ロディ様」
不意にアルダンテが、手に持った首飾りをロディに向かって放り投げる。
ハッと正気に戻ったロディは反射的にそれを受け取りながら、眉をしかめて口を開いた。
「危ないじゃないですか。突然物を投げるなんて――えっ!?」
受け取った物がアルラウネに贈った首飾りだと気づいたロディが、目を見開いて驚きの表情を浮かべる。
とても演技とは思えないその反応からアルダンテは、ロディが自分にバレないようにアルラウネに口止めをして首飾りを贈ったであろうことを察した。
(まさかバラされた上に、私づてに贈り物を突き返されるなんて思ってもいなかったでしょうね)
「アルラウネと貴方がどういった関係なのかはまた次の機会に、ゆっくりと聞かせて頂きますわ。それではロディ様、ごきげんよう」
「な、なぜ君がこれを……ち、違うんだ! これを贈ったのは別に深い意味があったわけじゃなくて――」
慌てた様子で言い訳を垂れ流すロディに背を向けると、アルダンテはその場を後にする。
「惨めな方……でも」
浮気をするロディを強く叱責できず、別れることすら自分の意思では決められない。
父親に逆らえず、家族の言いなりでしかない今の弱い立場の自分も、他人から見たらきっと惨めな人間に見えるのだろうと。
アルダンテはひとり、乾いた自嘲の笑みを浮かべるのだった。
会釈をするアルダンテをマクシムスは無言のまま一(いち)瞥(べつ)する。
その目は自らの娘に対するものとは思えないほどに冷たく鋭かった。
(私はお父様の敵、みたいなものだものね)
マクシムスが寵(ちょう)愛(あい)していたアルダンテの母はアルダンテを産んだことをきっかけに体調を崩し、そのまま病に伏せって亡くなっている。
マクシムスからすればアルダンテさえ生まれてこなければ最愛の妻を失うことはなかったのだ。
たとえ実の娘とはいえ、アルダンテが憎まれるのも無理からぬことだったといえるだろう。
(それにこの人は元から自分以外の誰も信用なんてしていない。私以外に対しても、表向きは普通に接していても目の奥は決して笑っていないもの)
幼い頃、アルダンテがマクシムスの書斎に誤って入ってしまった時に、机の上で見つけた書類――そこにはエクリュール家と親交がある貴族達の詳細な情報が記されていた。
中には彼らの不正が記されたものも。
それを見た幼いアルダンテは、いかにマクシムスが他人を信用していないかを知り、自分の親ながら得体の知れない不気味さを感じたのだった。
「来ていたのかね、ロディ君」
マクシムスはロディに視線を移すと、穏やかな声音で言った。
「我が家になにか御用かな?」
「いえ。近くに来たから寄っただけで特にこれといった用は――」
「ならばお引き取り願おう。これから家族だけで折り入った話があるのでね」
「えっ?」
普段はまるで実の父子のように親交があるマクシムスに、有無を言わさずに帰れと言われるなど思ってもいなかったのだろう。
ロディは口を開けたまま呆然としていた。
そんな彼の横をマクシムスは気にかける素振りもなく通り過ぎていく。
それを見てアルダンテは父の身に。あるいはエクリュール家に。
なにか重大なことが起こったことを察した。
(いつもは外面のいいお父様が、取り繕う余裕をなくしている。確か五日前から王都に行かれていたはずだけれど、一体なにがあったの?)
「……なにをしている」
アルダンテが思案に耽(ふけ)っていると、不意に廊下を歩いていたマクシムスが振り返った。
その視線はロディではなく、アルダンテの方を向いている。
「お前も来なさい。家族で話があると言っただろう」
それだけ言うと、マクシムスは返事も聞かずに居間の方に歩いて行った。
「仰せの通りに」
ロディにアルラウネとの関係を問い質したい気持ちはあったが、エクリュール家において当主であるマクシムスの言うことは絶対。
たとえそれが三年もの間、屋敷の敷地内から一歩も外に出るなという命令であったとしても、アルダンテは従わなければならなかった。
なぜなら――。
(約束だもの。仕方ないわ)
アルダンテはマクシムスとある約束を交わしている。
四年間、口答えせずに大人しく家族の言うことに従い、なにも問題を起こさないこと。
それを守れたなら謹慎を解除して、その後は常識の範囲内であれば好きに振る舞うことを許すというものだった。
普段は口答えを許さず、厳しく罰することを是とするマクシムスだったが、ただ罰を与えただけでは気が強いアルダンテを従順にさせることは無理だと思ったのだろう。
わざわざ契約の書面まで用意されて目の前にチラつかされたその褒美に、アルダンテはまんまと飛びついた――フリをした。
(自由を与えるなんて口実で四年間も厳しい教育を施して、もう二度と逆らう気を起こさせないようにするつもりだったのでしょうけど――そんなことでこの私を手懐けられると思ったら大間違いよ)
アルダンテはその約束をのみ、三年が過ぎた今、約束の期間は残り半年と迫っていた。
(今更どんなにお父様にぞんざいに扱われようがどうってことはないわ。あとたった半年我慢すればいいだけだもの。たとえ家族だったとしても、貴族が書面で交わした約束は絶対。破ることは許されないのだから)
さっさと歩いて行くマクシムスの背中を、アルダンテは早足でついていく。
その途中、アルダンテは呆然としているロディにすれ違い様に声を掛けた。
「ロディ様」
不意にアルダンテが、手に持った首飾りをロディに向かって放り投げる。
ハッと正気に戻ったロディは反射的にそれを受け取りながら、眉をしかめて口を開いた。
「危ないじゃないですか。突然物を投げるなんて――えっ!?」
受け取った物がアルラウネに贈った首飾りだと気づいたロディが、目を見開いて驚きの表情を浮かべる。
とても演技とは思えないその反応からアルダンテは、ロディが自分にバレないようにアルラウネに口止めをして首飾りを贈ったであろうことを察した。
(まさかバラされた上に、私づてに贈り物を突き返されるなんて思ってもいなかったでしょうね)
「アルラウネと貴方がどういった関係なのかはまた次の機会に、ゆっくりと聞かせて頂きますわ。それではロディ様、ごきげんよう」
「な、なぜ君がこれを……ち、違うんだ! これを贈ったのは別に深い意味があったわけじゃなくて――」
慌てた様子で言い訳を垂れ流すロディに背を向けると、アルダンテはその場を後にする。
「惨めな方……でも」
浮気をするロディを強く叱責できず、別れることすら自分の意思では決められない。
父親に逆らえず、家族の言いなりでしかない今の弱い立場の自分も、他人から見たらきっと惨めな人間に見えるのだろうと。
アルダンテはひとり、乾いた自嘲の笑みを浮かべるのだった。