全盲の御曹司は契約バディを妻にしたい

第6話 あなたと私は違うから

 沢城さんから立ち去るようにと言われてから1週間が経った。
 いろいろと迷っていたけれど、踏ん切りはついた。
 もっとあの人と過ごしたい。それが本心だ。
 でも、私が西条さんのもとを去らなければ、実家の食堂も危うい。それに、私の家だけではない。西条家と沢城家にも迷惑がかかる。沢城さんの言う通り、私が西条さんの輝かしい未来を閉ざしてしまうのなら、庶民の私は去るべきだ。

 たとえ、西条さんのことが好きであっても。

《俺は君がいてくれるだけでいいんだ。そこに家柄だとかは関係ない》
《愛したいんだ、君のことを……》
《君には傍にいてほしい。これからもずっと……》

 頭の中では彼からもらった言葉が何度もリピートされる。
 踏ん切りはついたとしても、心は簡単に切り替えることはできない。そういうことなのだろう。

《徹さんは生まれた時から決まっているの。沢城の娘と結婚するとね》
《あなたと出会ってから、今まで以上に私と結婚しようとしなくなったわ。もうこれ以上、彼を……私を苦しめないで》
《あなたのことを悪く言うつもりはないの。ただ、あなたがいるから、徹さんの未来が、立場が危うくなる可能性だってあることを自覚してちょうだい》

 沢城さんの言っていることが正しい。
 由緒正しいお家のお嬢様を妻とすれば、これから西条さんは益々力を持つことになる。それは当然のことだ。
 仕方ないことなんだ。これが運命なのだ。
 受け入れるしかない。

「これでよし」
 
 数日前からこの部屋を出る準備をしていた。
 今日は沢城さんに電話をして、いよいよ実行に移す時だ。
 今日であれば西条さんは夜に会食があるし、料亭がこっちよりも自宅の方が近い。だからそのまま自宅に帰るだろうから。
 
 あの日以降、私が西条さんに事情を打ち明けることなく辞めることが決まっていても仕事で彼らに顔を合わせない日はなかった。
 外回りや外での移動が必要な時は西条さんの目として隣でサポートする。西条さんが安心して歩けるように。
 それに加えて西条さん、宮田さんとアイディア出しをして企画を練って広報活動の企画もして。オフィスでの仕事も変わらずこなしていた。
 我ながら、だいぶ上手く気持ちを隠せていたと思う。
 西条さんは僅かな声色の変化も感じ取ってしまうだろうから、私の思いや迷いが聴こえてしまわないようにそれすらも忘れるために仕事に打ち込んでいた。

「……さて」

 私は彼女の電話番号を入力し、電話をかける。
 
「もしもし。沢城さんの電話番号でお間違いないでしょうか」

 もとあった生活に戻るだけ。
 広すぎる自室を見渡して、何も残っていないことに胸が痛む。こぢんまりとまとめられた私の少ない荷物は、まるで私の心の様子そのものだった。

「はい、合っています。沢城優子です。お待ちしていましたよ、渡辺さん」

 沢城さんは電話越しであっても凛とした話し方で、すっと耳に言葉が入ってくる。

「今日、荷物をまとめました。明日にでもこちらを出れるかと思います」
「わかりました。もちろん、あの人たちには話していませんよね?」
「はい」
「こちらも準備が完了しました。いつでも戻ってもらって問題ありません。あなたの上司にも話はつけておきましたから」
「ありがとうございます……」

 これでいいんだ。
 私は沢城さんからの説明をただ聞くことしかできない。明日から、また創界社で営業職として働く日々が戻ってくる。望んでいたことじゃないか。よかったんだよ、これで。
 何度も何度も私に言い聞かせる。そうでもしないと、この部屋に、あの人の傍で、まだこの仕事をしたいと願ってしまうから……

「今回はこんなことに巻き込んでしまってごめんなさい。私自身としては、あなたの働きぶりを見ていて、これまでのどの秘書より徹……西条を大切にしていて真摯な姿勢だったと思うし、誠実な人だっていろんな方から聞いていたわ。それは事実よ。だから、あなたといつか一緒に仕事をしてみたいと思っているの。それでは、また何かありましたらご連絡くださいね」

 はい、と返事をしようとした時。
 私の耳元にあったはずのスマートフォンを奪おうと、大きな手が私の腕からそっと上の方に沿って移動してきて、ひょいと後ろの方から取られてしまい、音声が遠のいてしまった。

「何がご連絡くださいだって?」
「……!」

 後ろを振り向くと、そこには西条さんが私のスマートフォンに向かって話しかけていた。

「優子。お前のやっていたことはわかっているんだぞ」
「どうしてあなたが!? 今日は会食じゃなかった?」
「会食というのは嘘だ。会食の日だと言っておけば、実行するなら今日だと思ったからな」
「そう。まんまと罠にかかってしまったってわけね」
「渡辺は何も話してくれないからこうするしか方法がなかったんだ。自分で背負い込むタイプだしな。だからあの日、オフィスにお前が来ていたことが関係あるんじゃないかと思って調べさせた。そしたら、お前が渡辺のご両親の食堂を人質にして俺の前から去るように指示したそうじゃないか」
「はぁ……本当、あなたが雇っている探偵さんって有能よね。気持ち悪いくらいよ」

 途中からスピーカーにしていたおかげで、ふたりのやりとりが聞こえる。

「俺は何度も言っているはずだ。沢城財閥とうちの関係のために結婚する気はないと。そして何より、渡辺を蔑ろにしたお前を許さない」
「あなたという人が……珍しいこともあるものね。渡辺さん、聞こえる? あなた、相当愛されているのね」

 沢城さんは呆れたような言い方で私に向けてそう言う。

「お前はお前の役割を果たそうとしているのは知っている。だが、俺は俺のやり方でこの会社の上に立つ。そのために必要なのは、お前との婚姻関係ではない」
「……まあいいわ。今に始まったことでもないしね。そもそも結婚がという形にこだわる必要もないのかもしれないわ。結婚以外でお父様が納得する方法を探すしかないわね。でも忘れないで。私たちの財閥が西条グループにとってなくてはならない存在だってことを。じゃあね」

 そう言って、沢城さんは電話を切った。
 何が起こったのかわからない。やっぱり、このふたりにしかない関係性もあるのだと思わされる。
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