全盲の御曹司は契約バディを妻にしたい

第4話 御曹司と休日

***

「見てください西条さん! すごい反響ですよ」

 私はリビングのテーブルでノートパソコンを使ってエッセイを執筆している西条さんに後ろの方から声をかける。

「『見えなくても諦めない』か……たしかにそうだな」

 先日の特別講演では、その大学の学生だけでなく、地域住民や他大学の学生も参加できるようになっていた。また、現地に行かなくても講演の様子が見られるようにオンラインでの参加も許可している、ハイブリッド形式を採用していた。
 そのこともあり、多くの人々が西条さんの講演を聞いていたようだった。

「SNSでも話題ですね。西条さんのように中途視覚障害の方々を中心に、やりたいことに挑戦してみたい、といったような内容で呟かれています」
「そうか。そうなら良かった」

 西条さんは今回のエッセイだけでなく、何冊か自費出版で視覚障害者に向けてエールを送るような本を出版している。
 そして、視覚障害者団体の会員でもある。それもあって、こうした人たちの中ではかなり有名なのだとか。
 中途障害を経ても、こうして誰かのためになろうとする姿をどれだけの人が知っているのか私は知らない。
 会社の人々や社外の関係者、マスコミや週刊誌の編集者……彼をよく知らない人は、ただの冷徹で暴君としか思っていないのだろうか。

「それにしても西条さん。私が言うのもどうかとは思うのですが、少し休まれてはいかがですか?」

 今日は休みだというのに、西条さんは7時に起きてからずっとパソコンに向かっている。
 仕事熱心な人であるのはわかるけれど、私はこの人が休日にしっかり休んでいるのをまだ見たことがない。
 というより、どうして休みの日までこの部屋にいるのかわからない。ここは仕事が忙しい時に泊まるような部屋だったはずなのに。

「君に言われると、休まなくてはならない気持ちになるな」
「はい。ぜひそうしてください。見ているこっちまで疲れてしまいますよ。しっかり休んでください」
「……ははっ、ついに俺に向かってそんなことまで言うようになったとはな。成長したものだ」

 西条さんは眼鏡を外しながら、ほんのわずかに微笑んだ。
 こんな暖かい表情、はじめて見たかもしれない。
 そう思うと、心の中で私はガッツポーズをしてしまう。少しは私のことを信頼してくれているのだと、そう思えたから。

「今コーヒー淹れますね」
「ああ。ありがとう」

 西条さんは珈琲急須を使ってコーヒーを淹れるのが好きなようで、私はここに来てはじめて急須で淹れるのを知った。
 広いキッチンには、料理が好きで度々手の込んだものを作りたいと言って私が揃えた調理器具や調味料や皿が収納されている大きな棚がある。あとは西条さんの好みのコーヒー豆。私は緑茶やほうじ茶が好きだから、それもいくつか置かせてもらっている。
 ここに来たばかりの頃は、本当に何も置かれていない状態だった。まるでモデルルームのような、生活感が全くない真っ白な状態。それが今では、こんなにも個性が溢れている。

(これじゃあまるで私たち……)

 これ以上は思わないようにした。
 たとえ、言葉に出さないとしても。これ以上、特別な想いを抱いてはいけない。
 どう足掻いても半年で終わる関係なのだから。

 眉間に力が入ってしまう。そんな表情を西条さんには見せられない。
 いろいろと考えていると、やかんのお湯がぐつぐつと煮だった音がしてきた。その音が耳に入ってきて私は慌ててIHクッキングヒーターの火を落とす。
 西条さんのために覚えた急須を使ったコーヒーの淹れ方。
 この人がいなければ知らなかったことがたくさんある。でも、私は西条さんと別れたら、もう二度とこの淹れ方をしないのだろうか。

 急須にコーヒーの粉を入れてお湯を注いで数分待つ。
 この香りも、過程も、私は知らなかった。
 
「はい、できました。熱いので気をつけてください。2時の方向にいつものマグカップです」
「うん。ありがとう。いい匂いだ」

 西条さんはマグカップを鼻に近づけ香りと温度を楽しむ。
 全盲だからこそ、視覚以外の感覚が研ぎ澄まされているのだと思う。

「今、エッセイでちょうど大学生の頃のエピソードを書いていたところなんだ」
「そうなんですね。どんな内容で書いているんですか?」

 私には、バディとしての好奇心と職業人として確認しておきたい気持ちとが混ざっていた。

「そうだな。大学生の頃、サークル活動をしていたんだ。今と同じような福祉ボランティアサークルみたいな。そこで、全盲であることを打ち明けて同じ境遇の子たちや、それを支えたいと思う子たち。地域の人たちともたくさん交流した。そこではじめて、俺ができることはこれなんだと思った。ピアサポートってやつかな」
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