冷酷な狼皇帝の契約花嫁 ~「お前は家族じゃない」と捨てられた令嬢が、獣人国で愛されて幸せになるまで~2
序章 とある神獣国から不穏な……
 そこは、調度品が何も置かれていない、ただひたすらに広い真っ白な広間だった。
 床から壁に至るまで不思議な光沢を帯びた白に覆われ、支柱の向こう、広間の左右には均等にいくつもの窓が大きな出入り口までずらりと並び、その縁はすべてきらきらと細かな輝きを放つ銀色だ。広間の奥には、三段の階段の上に玉座があった。
「ガドルフ獣人皇国(じゅうじんこうこく)に〝聖女〟が現れたらしいな」
 外からの日差しに揺れる美しい白いカーテンを眺めるようにして、一人の大きな男が重厚な灰銀色のマントを羽織って背を向けている。
 それを、一人の美丈夫が眺めていた。
 彼は目の前の男と同じく、真っ白な髪をしていた。長いまつ毛の影を落とした瞳は紺色だ。
「聞くところによると、彼女は皇妃にと迎えられたらしいが挙式もまだだ――ツェフェル、お前が奪ってここへ連れてこい」
 冷酷な命令が一つ、人払いをされた空間に落とされた。
 数秒、沈黙が漂った。
 絶世の美貌を持ったその男、ツェフェルはため息をつくようにして口を開く。
「お言葉ですが国王陛下、私はまだ結婚するつもりはないと百年前に申し上げたことはあなた様もご承知のはずで――」
「これは命令だ」
 ぴしゃりと遮られ、ツェフェルは見られていないのをいいことに不満そうな表情で口を閉じた。
「花嫁の心を奪い、そして余のもとに連れてこい」
「あなたのところにですか?」
「……この国だ、聖女が生きるには我らの国こそ相応(ふさわ)しい」
 ツェフェルは珍しげに、目の前の王の背中をじっと見つめた。
「まぁ、この国に聖女をと我らが王であるあなた様が望むのであれば、親族ではなく、一人の臣下として拝受いたしますが。しかしながら、どうでしょうかね? 心を奪う、というのもうまくいくとは思えませんが。狼皇帝、愛しちゃってると思いますけど」
 探るべく国王へ言葉を投げてみたが、無言だった。
(振り返りもしない、か)
 ツェフェルは、小さくため息をつく。
「聖女はたしか『ガドルフ獣人皇国が危機の時に現れて救う』という伝説ではなかったですかね? 現れてよかったではないですか。同種族が滅びるのを一つ防げた。人間族より我らの方がはるかに数も少なく、貴重です」
「そんなことどうでもよい。我らとは生きる場が違う」
 なんとも無情な返答だ。
「はぁ、また『高潔なる』とやらですか?」
 反論した矢先、目の前で像のように動かないでいた国王がちらりと振り返り、肩越しにギロリと(にら)みつけてきた。
 その背に、大きな白い翼が現れる。
 すると途端に、美しい場には不似合いな禍々(まがまが)しい気が立ち込めだす。
 それは人型に押し込めていた王の〝膨大な魔力〟だ。
「話をはぐらかすなツェフェル、それほど余の命令が嫌か」
 これはこれで珍しく余裕がない様子だ。
(さて、どんな返答をしたものか)
 ツェフェルは内心、自身の悪い性格である悪戯(いたずら)心が(うず)いた。もちろん腹を探る材料を探すのが目的ではある。
 だが、ツェフェルに向き合った国王の姿が大きな白馬へと変わった。
(おっと――これは、早い)
 白い翼はぐんぐん大きくなり、白馬の背丈はツェフェルの二倍以上も伸び、数人の人間が立てるはずの玉座は白馬の後ろ足をのせるのみとなった。
「ツェフェルよ」
 白馬が前足を踏み鳴らし、自分よりも小さなツェフェルをぐいっと覗き込む。
 美しい白いたてがみが魔力で揺れている。
 口元にはどんな鋼鉄な武器もかないそうにない歯が噛(か)みしめる音を立て、(ひづめ)がツェフェルの前にドンッと置かれた。
 ――まさに、狂暴なペガサス。
 その生き物に近づけるのは罪を持たない清らかな人間のみ。
 (けが)れた人間をその蹄で容赦なく踏み殺した逸話がある。そのため、ペガサス種の言葉を人間に伝える時は各国の獣人族が使者となって送り込まれた、とされている。
 それも、遠い昔の話だ。
(さすが王。親族とはいえ、敵にだけは回したくない男だなぁ)
 すると天井近くにまで白馬の頭が上がり、紺色の瞳が見下ろすと共にペガサスが床を踏み鳴らした。
「我らは、高潔なる神獣ペガサス。我らの下にいる獣人族など、どうでもよい」
 これを他国の外交官に耳にされたらアウトなのでは、なんてツェフェルは思う。
 けれどそんなこと、冷酷無情と呼ばれているペガサスの王は配慮しない。
(だから私が外交官の第一人者に指名されたんだよなー)
 それは王妃の『あなたは人当たりがいいもの』という理由だけで、周りが即肯定して決定してしまったことだった。
 とはいえ、ペガサスなのに、あちらこちらへと飛んでは他種族と会話するのが好きという風変わりな男だ。結婚をしない言い訳にもなるし、いっか、とツェフェルが引き受けたのもまた事実だった。
「たかが二百歳になったばかりの貴様が、余に何か言おうなどと身の程知らずな」
「ですから、何も申し上げておりません」
「黙れ!」
 怒号が落ちる。広げられた翼は広間の高い天井まで届くほどに大きく、強く踏み込んできた蹄に床が大きく揺れる。
(しまった。つい、いつものからかい癖が)
 そんなことを思っている彼の後方で、柱のそばに控えて待っていた政務側の部下たちが「ひえぇ」と情けない声をもらした。
「大公様! 後生でございますから真面目にっ」
「失礼な。私はいたって真面目だよ」
「ペガサスなのにあまりにも軽いと言いますか……」
 もっと失礼なことを言われた。軽い男なんて、他のペガサスに言ったら激怒される内容だ。
 ひとまずツェフェルは、国王の怒りが静まるまで待つ。
(何をこうも荒ぶっているのか?)
 ここ数年は精神的に余裕のないタイミングはいくつかあった。とはいえ、今回はやや様子が違っている気がする。
 さらに探ろうかと考えたものの、ツェフェルは引きの頃合いだと察知した。
「大公、もう一度聞こう。余に口答えをするか?」
「いいえ、滅相もございません」
 白馬が馬車以上に大きなその顔を近づけ、ぐるるると喉の奥で(うな)る。
 後ろで彼の政務側の部下たちが「閣下が食べられるぅ!」なんて縁起でもない失礼なことを言って、床に額を押しつけるのが聞こえた。
「よいか大公ツェフェルよ、とにかくその聖女を我が王国の住人にせよ。我が親族の中で、花嫁を迎えていないお前だけができることだ」
 ツェフェルは、数秒ほどその白馬の紺色の目をじっと見据えた。
「私たちと違い、力のないガドルフ獣人皇国の獣人族たちが、それで彼らの唯一生きる(すべ)である《癒やしの湖》を失っても?」
「かまわん。余は、他の獣人国になど興味はない」
 国王は冷酷な言葉を響かせると、背を向けながら人の姿に戻り、ツェフェルをその場に残して奥の白いカーテンをくぐっていった。
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