冷酷な狼皇帝の契約花嫁 ~「お前は家族じゃない」と捨てられた令嬢が、獣人国で愛されて幸せになるまで~2
 ◇◇◇

 とても素敵な寝心地のベッドでたっぷり睡眠が取れたサラは、今日も朝から快活だった。
 外出予定までに執務を片づけるべく、書類確認をこなしていく。
 夫婦になった時カイルの寝室に置かれたサラの新しいベッドは、自国でも触ったことがないくらい上質だった。こんなプレゼントをされていいのか戸惑ったものの、とてもよくて気づけばすとんと眠りに落ちている。
 目覚めるたび、彼が別のベッドで眠っていることを思い出し、また寂しさを抱く。
(初めは彼の寝室で寝ることに緊張したのに、拍子抜けするくらい何もなくて……)
 心配になる情熱的なキスからも離れたくないという気持ちを感じるのに、その腕に抱えて彼のベッドへは連れていってくれないのかと考える。
 近くで眠っている彼を意識しているのは、サラだけなのも少し寂しい。
(夫婦だからベッドも隣同士がいい、なんて色々とプレゼントまでされてしまっている私がカイルにねだれるわけがないのだけれどっ)
 高速で書類を片づけているサラに、若手の税務官たちが「すごい!」とざわついていたのも、彼女は気づかなかった。
 この国に来たばかりだった頃、サラは栄養不足で少々肉づきの悪い身体だった自覚はある。
 もしや、そのせいで彼に大人の女性と思われていないのではと心配にもなった。
 彼を意識するあまり色々な想像が不安をかき立てる。
 けれど、カイルがベッドを二つ置いた意味を考えると、やはり男女の関係になるのは挙式を経てからという獣人族の風習を重んじてのことだろうとも思え、サラは落ち着く。
 間違いがあってはならないと考えてカイルがベッドを二つにし、あえて離して置いているのなら尊重すべきだ。
(一緒の寝室だと意識しすぎている自分が恥ずかしいわ……さっ、今日も活動をがんばりましょう!)
 アルドバドスが時間を伝えにやって来たのが見えて、サラは気持ちを切り替えた。
 皇妃の衣装を動きやすいドレスへと着替え、カイルと合流し《癒やしの湖》の活動のためドロレオで王城を出発した。
 そこは山岳に囲まれた草食系の獣人族が多い町だった。
 護衛にギルクたちとアルドバドスがつき、サラの手を取って進んでいくカイルに土地の人々は頭を下げていく。
「皇帝陛下自らお越しいただき、ありがとうございます。町の代表として感謝申し上げます」
「これまでよくぞ自分たちの《癒やしの湖》を守った。少なくなった水量の中、いさかいも起こさず必要な者には十分に与える、そのお前たちの努力を俺は尊敬している。よく、やった」
「それは、皇帝陛下が王弟時代からご指導してくださったからです」
 代表として話した男も、そうして彼の後ろでサラたちの到着を待っていた町の者たちも涙ぐむ。
「町の平和は、人々の暮らしの平和あってからこそ、と皇帝陛下は我々に力強く励ましの言葉をくださいました。あなた様が、各《癒やしの湖》への通路をすべて敷く、という功績をご即位前に成し遂げられたからこその混乱の少なさでしたし、我々も、あなた様だからこそ信じて、がんばってこられました」
 カイルは、すごい人だ。
 サラはその数年はかかる規模の《癒やしの湖》の回復計画を、臣下たちが集められ話し合われた大会議で知った。
 冷酷だと言われていたが、同時に、カイルの政策は完璧だった。
 獣人族の強靭(きょうじん)な肉体に効く薬がない中、彼らが生きていくには、傷と病を治してくれる《癒やしの湖》の水が必要不可欠だ。それが減少を始めると、国民たちは次第に不安を煽られる。
 その水位低下が全土で明確になった時に、不安による暴動も起こらなかったのはカイルの手腕によるものだ。
 両陛下が存命だった頃、カイルは部隊を率いて国内の治安を守りつつ《癒やしの湖》の管理を担当するよう指名を受けた。
 そこからずっと、カイルは誰よりも《癒やしの湖》に関わり続けたといってもいい。
 兄が皇帝になると、カイルは王弟という権限を生かして、すぐ《癒やしの湖》までの各ルートを整備する。
 整備に関していえば、たった数年で全土を整備、というのは、人間族の国だとかなり信じられないことだ。しかし、獣人族が元々強い力を持っていることに加え、獣化によりさらにその力が強化されるため、実現したのだった。さらに、ドロレオといった獣人皇国にだけ生息する共生動物の活躍もあった。
「皇妃様、どうぞご無理はされないでくださいませ」
「話は聞いております。あの時は、ご無事で本当に何よりでございました」
 たった一人の獣人族の子供の傷を癒やすために、魔力を枯渇して死にかけた。
 その話は、のちにカイルが彼女を最愛の伴侶だとして妻に迎えたこともあり、一気に広まったようだ。どの土地へ行っても歓迎と同時に身体を心配され、サラは自分まで大切にされていることをうれしく思いつつも、申し訳ない思いで苦笑する。
 獣人族は種族によっては生涯に一人の伴侶しか持たない。それは狼皇帝の一族もそうだった。
 残った皇族はカイルだけ。国民たちは『人間族はかなりか弱い』と知っているから、いよいよサラが心配なのだろう。
「大丈夫です。務めを果たします」
 迎えてくれた素敵な国。皇妃となった今も、なる前も大切な獣人族たちに何かしたい気持ちは変わっていない。
 この活動が、自分がこの獣人皇国に最も貢献できる恩返しだとサラは思っていた。
 町の者たちに案内される形で、人々がつくった道を進む。
 ()かす様子もない落ち着いた彼らと周囲の人々の雰囲気を見て、サラはさすがだと改めて思ってしまう。
(通常、自然災害を受けて物資が少ない場合でもこうは落ち着いていられない……)
 要所の《癒やしの湖》は対応済みだった。
 即位する前から調査にあたっていたカイルによって、《癒やしの湖》は危険度のランク別にすべて振り分けられていた。
 枯れるかもしれないと危惧されて緊急を要していた場所、そして次に危ぶまれていた場所――その情報からカイルたちの采配のもと順番が決められた。それもあって国内も大きな動揺や混乱もなかった。
 おかげでサラもスムーズな移動と回復活動ができた。
 そうして人間族の国へ行く日までには、一連の回復活動が落ち着いたのだ。
 さすがはカイルだ。そもそも彼の協力がなければ、サラも《癒やしの湖》を復活させられなかった。
(力を使ったら〝アレ〟が待っているのだけれど……)
 じわりと恥ずかしさがよみがえり、隣を盗み見る。
 カイルは今にも尻尾を出してぶんぶん振りそうなくらい楽しみにしている感じが伝わってきた。
 周りは、彼の機嫌がいいらしいことは見て取っていて困惑している。
「皇妃様が湖を復活させたら、皇帝陛下もなんらかのお手間を取るのだろう……?」
「そうとは聞いたぞ、だからお二人で回っているのだとか。とはいえ……予想していたのは少し違うな……?」
「仕事が増えるのに、なんとも上機嫌だ……」
「夫婦でご公務ができるのがうれしいとか? たしか皇妃様は、外のご公務は挙式後に本格的始動していくとは噂で耳にしたぞ」
 違うのだ。
(いえ、一緒にできてうれしいのは合っているけど、この活動に関してはそこじゃないの)
 サラは、町の者たちの憶測話を聞きながら頬が赤くなっていくのを感じた。
 婚約や結婚に使用される獣人皇国の契約魔法は、魔力でつながりをつくる。
 そのため伴侶から伴侶へだけなら魔力譲渡が可能だ。
 カイルはこの皇国で唯一の皇族。魔力量も桁違いだとか。なので、あまりに余っているから譲渡しても全然平気だと彼自身も言っていた。
 だが、その魔力の受け渡し方法がちょっと問題なのだ。
 身体のどこかに触れていれば魔力は渡せるけど、時間がかかるので直接の経口譲渡の方が強い。
 つまり、彼は――キスでサラに魔力を注いだ。
 サラが《癒やしの湖》に注ぐような要領で、彼は契約魔法のつながりを通して彼女の体内へと自分の魔力を送り込む。
 魔力の質は違うようだが、浄化の力しか受け入れない《癒やしの湖》と違い、どうやら〝聖女〟はどんな魔力でも補充できるみたいだ。
 魔力を渡されると、次第に回復していくのを感じるから、自分の体内で自分用に変換しているのかもとサラは推測していた。
(聖女、か……)
 獣人族たちはそう口にするが、聞くたびサラは慣れないでいる。
 この獣人皇国では、不思議な力を持った人間族に対して、そういう言い方があるらしい。
 サラは、自分が生まれた国では〝魔女〟と言われ蔑まれてきた。
 エルバラン王国では、髪と目に金色を持っている魔女が魔法で王子を蛙に変え、嫁いでくるはずだった姫を魔法の塔に閉じ込めて王家の血を途絶えさせようとし、国内を混乱へと陥れたという話があり、金髪や金目は嫌われた。
 サラはまさに両方、髪にも瞳にも金色を宿して生まれた。
 辺境伯の令嬢でありながら冷遇され、数ヶ月前、長女が婿を取ることが決まったと同時にこの土地に捨てられたのだ。
 魔女を憎んでいる自国では誰にも話せなかったが、サラは自分の小さな傷を癒やせる特殊能力を持っていた。
 魔法ではないし、ただの特殊な体質かなんかだろうと思っていた。しかしガドルフ獣人皇国へ来てから、彼女の特殊能力は〝魔力〟だったと判明する。
《癒やしの湖》は、魔力によって清らかな癒やしの水が湧き続ける。それが水量の減少という異常事態が発生し始めて、ここ数十年で深刻化した。
 原因は魔力の枯渇によるもの、だったらしい。
 サラが新鮮な魔力を注ぎ入れることで《癒やしの湖》の水が復活することが判明し、国内の復興活動計画が立ち上がった。
(初めて注いだ時、『ありがとう』と湖から聞こえた気がするのよね……)
 町の人々に案内されてカイルたちと共に《癒やしの湖》へと向かいながら、サラは考える。
《癒やしの湖》の水量減少は、なんらかの理由で『癒やしの魔力』の活動が低下して生産が不可となり、徐々に弱っていった結果、魔力で湧き出る水も同時に減少したものと考えられる。
 つまりは、まさに、枯渇。
 魔力が干からびて弱る、というのはサラも経験済みだった。
 彼女も死にかけた獣人族の子供の傷を癒やしただけで、限られた体内の魔力が底を尽き死にかけた。身体が動かない、これ以上何もできない、そう思った。
(たぶん、湖もその状態だったのかも)
 だからサラが、元気な癒やしの魔力を分け与える。
 そうするとまるで命を吹き返すみたいに《癒やしの湖》は活発化し、もとの水量、つまり本来持っていた魔力量まで戻るのだ。
 不思議なことに、獣人皇国にはその《癒やしの湖》のことを示唆したような言い伝えがある。
 危機が訪れた時に〝聖女〟が現れる――とか。
 隣同士でありながら、サラのいた国の〝危機を与えた魔女〟とは逆で不思議にも思っているところだ。
「ここがこのツィツィの町の《癒やしの湖》だ」
 足元の木の根に気をつけて進んでいたサラは、カイルの声に、ハタと視線を持ち上げる。
「町の者たちが綺麗(きれい)にしてくれている」
 そこには湖があった。見る限りでは生活に問題なさそうな数トンの豊かな水量。だが水底の土がかなり周囲に目立っている。
 そこは子供でも足をつけられるよう桟橋が設けられていた。さらに、水がくめるようにと数ヵ所にバケツが設置されてある。
 全体的に劣化もなく綺麗だ。大事に、大事に使ってきたのだろう。
「すごいです。水位の減少に合わせてつくり替えまでされているんですね」
「この湖を利用している近くの町の者たちや立ち寄った者たちも整備を手伝っている。彼らの善意と努力がここを美しく保っているんだ」
「素晴らしいことですね」
 サラが賞賛して微笑みかけると、すぐそこで見守っていた町の者たちが照れくさそうにした。
(私でもできる恩返しだわ)
 特殊な体質には昔から助けられてきた。けれど実家で侍女のような扱いを受け、冬の水仕事などで指先が切れて、それを自分で回復させていた時以上に、今、こうして役に立てる力でよかったと心から感謝してる。
 大好きな国だ。そこに生きている人々も、みんな温かくて好きだ。
 手を取って助け合い、感謝の気持ちでまた人と土地の縁ができて――。
 それは、今のエルバラン王国が忘れてしまった、本来の情の美しさにサラには思えた。
 サラは数年かけてでもかまわない、この皇国を美しい水がたっぷりの豊かな国に戻すことを目標立てていた。そのためにも、付き合わせることになるカイルに申し訳ないだとか、悪いなと思う気持ちをぐっと抑え込んで回復活動の声を上げた。
 いつか自分が老いていなくなったあとも、愛する獣人皇国に残る恩返しだ。
「サラ、手を貸そう」
「ありがとうございます」
 どんな時にでもぴったりと寄り添い、ついてきてくれるカイルに微笑みサラは水の手前へと進み、しゃがみ込む。
 心を一度落ち着けて、それから《癒やしの湖》にそっと手を差し入れる。
 もう、あれから何度も繰り返してきたことだ。
(がんばってくれていたみたい)
 最近はその水に含まれる魔力を感じられるようになっていた。
 手には、こぽこぽと水を生み出す元気がなくなっている感覚がある。
 けれど、サラは町の人たちの話を聞いたばかりのせいか、《癒やしの湖》に残されていた魔力が『もう少し』と、その意思だけで現在の状態を保ってくれている気がした。
 よく、がんばった。町の人たちに告げていたカイルの言葉が耳元によみがえる。
(よくがんばったわね)
 サラは同じ気持ちを《癒やしの湖》に抱いた。
 身体の中にある魔力に意識を向ける。じわーっと温かくなる感覚があり、体温が血管を巡って手に移動していくようなイメージを浮かべる。
 手へと移っていた(ぬく)もりは、やがてサラの指先から溶け出すようにして水へ――。
 その時、まるで水に光が差し込んだみたいに水中で輝きが起こる。
 それはぽこぽこと動き出した水音と共に広がって、間もなく水全体が明るさを増し、中央から噴水のように水が湧き始める。
(綺麗……)
 何度見ても不思議な光景で、同じく感動が胸へと押し寄せる。
 自分が起こしているなんて、いまだ信じられない。
 サラはカイルの差し出した手を取って立ち上がると、彼と共に水辺から少し離れ、そこから奇跡みたいな美しい再生と復活の光景を眺めた。
《癒やしの湖》が、よみがえっていく。
 水中から勢いよく水を生み出していく様子は、元気になった湖が喜びの声を上げているみたいに思える。
 だが、感動は不意に上からの声に飛び去る。
「へぇ。魔力が同調して〝生き返った〟なんて珍しい光景だなぁ」
 同時に、真上で大きな羽ばたきを聞いた。
 反射的にバッと顔を上げた時、サラの緩やかに見開かれた金色の瞳に、大きな白い翼が映る。
 そこには絵画から出てきたような美しい男がいた。
 彼は、アルバの上から長い後ろ襟のついたモンク・ローブのような白い祭服を着ており、どこか上級聖職者を思わせる。
 透き通るような白い肌。揺れる見事な白い前髪と紺色の瞳の濃さは、印象的だった。
 その、どこか神秘的な目がサラの見ている前で、愛想よく細められる。
「あなたが噂の聖女ですね?」
 なんで、背中に翼が生えているのか。
 サラは口をぱくぱくした。男の美貌よりも、彼の後ろに大きく広げられている白い翼に全意識が向く。
(え、え? 天使?)
 彼を見た際、サラは一瞬、教会に描かれている天使が頭に浮かんだ。
 まさに彼がそのモデルになったと言われても納得してしまう容姿だ。
 どこか愛嬌を感じる様子で首をかしげた男が着地する。するとその背から、彼が翼を消した。
(いえ〝しまった〟んだわ)
 サラはハッと気づく。カイルたちが獣耳や尻尾といった獣人姿を解いた時と同じような状態だ。
 彼は翼を持った人間ではなく、獣人族なのだ。
 するとカイルが、後ろからサラの両腕を取って自分に引き寄せる。
「貴様は――」
「おや、そんなことを言ってもいいのですか? 今は〝皇帝〟の身でしょう?」
 強い警戒を浮かべたカイルが、ぐっと口を閉じる。
(……知り合い?)
 そう、サラが思った時だった。まさにその通りだと言わんばかりに相手の男が胸に片手を添え、言葉を続ける。
「皇帝陛下には、お目にかかれてうれしく存じます。兄君の国葬の参列以来になりますね」
「参列に覚えはないが、貴殿がいつものように〝勝手に舞い降りて〟見届けたことなら覚えている」
「それが我ら〝天空にいるモノ〟の役目です。どうぞご了承を。大地にいる獣人国の様子を見守る立場にありますから。とはいえ我らの王はあまりにも無頓着ゆえ、下々が苦労します」
 サラはカイルだけでなく、後ろで待機していたギルクたちや町の人々にもピリッとした緊張感が漂っているのを感じた。
 白髪の男が「おや」と目を向けてくる。
「魔力がずいぶん減っていますね。足して差し上げましょう」
「えっ」
 彼が手を向けてきたかと思ったら、白銀の光が現れてサラの身体へ飛んできた。
 びくっとした一瞬あと、サラは爽快感に息をのむ。
 光が身体にぶつかった途端、温かな空気が一気に吹き込む感覚があった。それは胸を中心に全身の体温を上げていく。
(これは――)
 サラはすぐ身体の異変に気づく。
 魔力使用後の疲労感が一瞬にして消え去った。身体が軽い。
 魔力が一気に回復したのだ。
(私に魔力を直接つぎ足してきたの? 私に与えられるのは伴侶の契約魔法があるカイルだけのはずなのに……獣人族は魔力を使えないはず、それなのに彼、今、私の目の前で魔力を使ったの?)
 身体に触れるが異変は感じられない。完全に回復している。
 驚きのあまり声が出なくてカイルを見た。厳しい目で男を見ていた彼が、ハッと気づいて、苦い表情を押し込むように冷静な表情へ戻す。
「サラ、彼は俺たち獣人族と違って魔力を使える。神獣族のバルベラッド神獣王国の者で、外交を任された大公のツェフェルだ」
「し、んじゅう……」
 獣人族には神獣という分類があるらしい。そのうえ相手の身分の高さに驚く。
「俺たちとは少々異なり、神獣国は基本的に同一種の国になる。――彼は〝ペガサス種〟だ」
「え、ペガサスって、翼が生えた白馬の?」
「ああ。天空に領地がある」
 まるでファンタジーだ。サラはぽかんとしてしまった。
(そういえば、彼は『地上』という言い方をしていたわ)
 色々と情報が立て込んで混乱を感じつつ、神獣だという大公のツェフェルへ目を戻す。
 すると彼が、サラに無害そうに笑いかけて胸に手を添える。
「ご紹介に預り光栄です。ガドルフ獣人皇国の皇妃にして〝聖女〟。私のことは、どうぞツェフェルとお呼びください」
 皇妃になった女性は聖女だとは耳にしていたようだが、名前までは知らないみたいだ。
「ご丁寧に感謝申し上げます。私は、ガドルフ獣人皇国の皇妃、サラ・フェルナンデ・ガドルフです。大公様にお目にかかれたこと、光栄に存じます」
 彼の存在そのものへの衝撃が強かったせいで、やや呆然としつつスカートをつまんで挨拶をする。
(ペガサス――だから、翼が)
 空想の生物だと思っていた。それが実在していたことにもサラには驚きだった。
「ずいぶん驚かれたようですね。皇妃になったばかりとのことですのでご説明申し上げますと、私たちは魔力が使える種族だったため住処を空に浮かべたのです。魔法で外からは見えませんが、魔力の蓄積と共に大地も増築され、現在は八割以上が魔力でできています」
「えっ、土地を空に浮かべたのですかっ?」
「はい。天空にはいくつかの神獣族の領地があります。そして地上には大昔から複数の獣人族の国が存在している。その中で、こうして皇妃となったあなたに一番にご挨拶できて、うれしく思いますよ」
「それは、……説明も、ご丁寧にありがとうございます……」
 他にも獣人族の国がいくつかあることも意外だった。
(挙式後に外交を、というのはその国々のことなのかも)
 獣人族は人間族と関わらない生き方をしている。地上に国境があることにより、それが実現できている。しかし、それが上空であれば話は別だろう。
 サラは、獣人族の中には完全に獣化するタイプがいるのも知っている。
 人間族の国とは生息している動物もかなり違っていて、獣人皇国には人を運べるほど大型の鳥種の獣人族もいた。
 獣人国同士でも、隣接しない国とは滅多に交流はなさそうだ。
 妃教育で外交の優先順位が低いのもそのためだろう。
 人間族の国と違いすぎる環境と生物に溢れた獣人皇国。それを、ことを学ぶのに一生懸命なサラを見て、まだ外国の獣人族のことなどを教えるのは早いと、配慮しているカイルの優しさをサラは察することができた。
 でも、まさかの〝神獣〟だ。
 正直、ちょっと想像が追いつかない。
(獣人族はそれぞれルーツになった獣があるけど、まさかの神獣……ペガサスって伝説の生物じゃなくて、実在していたの?)
 聖獣とか幻獣とも言われているので、大まかに見ると同じ獣人族なのではないかとサラは思う。
 とはいえ、やはり魔法で大地を空に浮かべるなんて想像ができない。
「サラ、彼らは特殊な位置づけなんだ。獣人族と神獣族は根本から違う」
 気にしたのか、ぼうっとしているサラにカイルが耳打ちしてきた。
「じゃあ契約魔法も……?」
「ああ、ない。神獣は種族によって寿命も百年から数百年と違っている」
「す、数百……!」
「私たち神獣は獣人族と違って、種が違えば、まったく違う生物なんですよ~」
 不意にツェフェルの大きな明るい声が聞こえて、サラはびくっとした。
「神獣はそれぞれ特徴も持っていますしね。私たちペガサスは魔法で速く飛ぶことに()けていて、魔力のタイプは癒やしです。ですから、私たちは自分で傷も癒やせます」
 サラは驚きで声が詰まった。
 魔力を消耗した際の回復が一瞬だったのも()に落ちた。
「わ、私も傷を治せます……魔力が同じなんですか?」
「まさにそうです。親近感を感じますでしょ?」
 ずいっと顔を寄せられて驚いたサラを、カイルが肩を抱いて後ろに引いてくれる。
「とはいえあなたは人間族ですから、念のため魔力をあなたに同調させて注がせていただきましたよ。私たち神獣は生き物として違いすぎますからね。ですが見事魔力はあなたの身体に合いましたし、魔力の特徴からしても、聖女というのは我々ペガサスと似通う部分が多くあるのかもしれませんね」
 サラは、彼がやたら親近感を押してくる気がした。
(何かしら、お(しゃべ)りなのが気になるわ……)
 そう疑った拍子に、カイルの腕が強まって、サラは警戒心を感じ取った。
 ハタと気づいて周囲を見てみると、ギルクたちも警戒した様子でツェフェルを見ていた。アルドバドスなんて今にも唸りそうで、外国の大公に向けていい表情ではない。
 けれどサラは同時に、町の人々が後ろに下がって怖がっているのがわかった。
「それで、貴殿はまた気ままにふらりと様子を見に来たわけか? それにしては、我が皇妃がいる場所とはずいぶんとタイミングがいい」
「それはそうです。私は、狼皇帝が伴侶を得たというので、その様子を我が王へ伝えるために見に来たのですよ。急に、必要なところにふらりと舞い降りるのはペガサスに許された特権――いつものことでしょう?」
 相手が、美しい顔でにっこりと笑う。
 カイルとは真逆みたいな人だ。サラは、彼の笑顔は仲よくしたいとか愛を伝えるとかそういうものではなく、ただの武器なのだと察した。
(何度か出た社交場でも、こういう人を見かけたわ……)
 本心が読めない。害はなさそうに見えるがやり手で、社交するのなら気を引き締めて気をつけた方がいい相手。
 外交を任されているというくらいだから、そうなのだろう。
「伴侶を得ておめでとうございます。夫婦のご様子を見られましたし、私はこれで帰ります」
 ツェフェルの背中で大きく白い翼が広がった。
 と、彼の視線がサラに定まる。
「それでは、また」
(『また』……?)
 直後、強い風が吹いてサラは目を閉じてしまった。
 次に目を開けた時、そこには誰もいなかった。
 カイルたちが空を見上げているので視線を追いかけてみると、白馬の姿が一瞬だけ目に留まった気がした。
(とても速いわ……)
 あれもまた、彼が話していた魔法なのだろうか。
「皇妃を名指しできましたね。彼は『聖女』と真っ先に口にして確認しました」
 声がして振り返る。ギルクがそばまで来ていて、カイルが難しい顔をして眉間に(しわ)を作った。
「確かにそうだな」
「あの、いかがされましたか? 聖女かとは確認されましたが、彼は私の名前まではご存じではありませんでしたし」
「サラ、神獣族の中で、とくにペガサス種は他種族にさえ興味を持たないことでも知られている。サラの存在を知って見に来たのだとしたら、気をつけた方がいい」
 カイルはサラにも警戒して欲しいみたいだった。
(人間族を皇族に迎えたから、見に来たのではないのかしら……?)
 異種婚とはいえ人間族は初めてのことだ。彼らは同じく獣の姿を持った種族なので、完全に無関心でいられるはずはない気がした。
 先程話していた様子からすると、特別な立ち位置の種族なので様子を見に来る権限を有しているのもわかる。
 それ以上は、サラの知識が足りないのでなんとも言えない。
 足りないものがわかってよかった。ひとまず妃教育の講師たちに、神獣国のことを先に教えてもらうようお願いしてみることをサラは決める。
 町の人々のざわめきを、カイルの指示を受けて護衛部隊たちが収拾にかかる。
「何もないとよいのですが……」
「俺も同感だ」
 八人の仲間たちと何やら難しい顔をしていたアルドバドスが、ギルクのつぶやきにそんな相槌(あいづち)をそっと打っていた。
 アルドバドスは昔から一緒にいる八人の幼なじみとグループを組んでいる。彼はそのリーダーだ。
 彼らは労働力売買に所属し、一人で森にさまよっている子供らを保護し、引き取り手を見つける活動を行っている。
 アルドバドスはその他に、所属組織から仕事をもらったり、報告、報酬、手続きの監督までしている。その間に、仲間たちはグループ内の事務処理を行ったり、顧客からの問い合わせやアフターフォローに応じたり、時には連絡係としても走る。
 そしてアルドバドスが打ち合わせしている間は、休ませている移動用のドロレオのご機嫌を取り、出発に不備がないよう確認してキビキビと動き回る。
 その雑用の完璧なサポートっぷりは王城の者たちも一目置いている。
 話しっぷりや見かけはアレだが、つまるところ、アルドバドスを含めて全員が『すごく真面目』なのだ。
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