冷酷弁護士と契約結婚
危機
2月のバレンタインあたりからここ3週間、涼介は多忙な日々を送っている。

幼馴染の西園寺雅が数年前に立ち上げた株式会社BON BONの顧問弁護士のほか、父が受け持っていた伊乃国屋コーポレーションと

祖父が担当していた株式会社九条不動産を涼介が受け持つことになった。

三社へ出向することが多く、朝は早くに家を出て夜も鈴音が寝た後に帰ってくる。

ほとんどお互いが顔を合わせないすれ違いの日々が続く。

それでも1日1回は鈴音にメッセージを送ってくれる。






いつも手をつないで眠ることに慣れてしまった鈴音には、このキングサイズベッドがやけに大きく感じ、不意に不安になってしまう。

彼女はいつもう涼介が寝ている右側へ移動し、

大好きな彼のほのかな香りに包み込まれ、

いつの間にか眠りにつく。

涼介はそんな愛おしい鈴音の姿を見て忙しさも忘れ満たされた気持ちになる。






今日も仕事終わりに涼介からメッセージがあり夕飯は要らないとのこと。急いで帰ることもないので、

以前から気になっている可愛らしい花屋へ立ち寄る。

白い立て看板に”FOR YOU 雑貨&フラワーショップ”と書かれており、赤いダブルドアが印象的。

中には色とりどりの花と観葉植物、所どころに鈴音好みの雑貨がセンス良く置かれている。

中央のカウンターでは男性がドライフラワーのリースを作っていた。

「いらっしゃいませ、ごゆっくりどうぞ」

軽く会釈し、店内を見て回る。ハーブティーやポプリ、そしてドライフラワーのリースもある。

(きっとあの男性が作って販売しているのね)

鈴音はアロマオイルとディフューザーを購入した。

(少しでも涼介さんがリラックスできればいいな)

会計を済ませた鈴音に店の男性が声をかける。

「失礼ですが、伊乃国屋で働いていた吉岡さん?花の配達でオフィスにお邪魔した時、何回かあなたを見かけたんですよ。

あっ、僕ここのオーナーで上田といいます」

「は、はい以前伊乃国屋で働いていました」

「うちで受け付けの花と観葉植物の手入れを担当させてもらっています。もしかして転職しました?最近見かけないから」

「え、まあ......」

鈴音の結婚指輪に目が留まった上田が、眉間にしわを寄せ呟く。

「なんだ結婚しちゃったんだ......」

気を取り直した上田が鈴音に自分の名刺とチラシを渡した。

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「よかったらぜひどうぞ。ご自宅どこですか?もしこのご近所なら無料配達もできるので」

「か、考えてみますね。ありがとうございます」

鈴音は急いで家路についた。






涼介はまだ帰宅していない。不安な気持ちを落ち着かせるために早速購入したディフューザーをセットする。

帰ってきた涼介がリラックスできるように、そして自分自身のためにもラベンダーを選んだ。




鈴音はフラワーショップの上田が言ったことが気になっていた。

確かに会社で何回か

上田が観葉植物の手入れをしているのをとお目に見たが、

直接話をしたことは一度もない。

(なんで私の旧姓知っているのかな?それに会社辞めたことも......涼介さんの仕事が落ち着いたら話してみよう)






企業委託の件も一段落し、涼介は久しぶりに早く帰宅した。ゆっくりしたいところだが、書類に目を通したかってので書斎へ向かう。

しばらくして帰ってきた鈴音は、玄関にある涼介の靴に気が付き笑顔になる。

(今日は早く帰れたんだ)

エコバックとカバンをテーブルに置き、コートを脱ぎながら書斎へ足を運ぶ。書斎のドアが少し開いており、涼介の話声が聞こえる。

盗み聞きするつもりはなかったが、思わず聞き入ってしまった。

「......まぁ、そんなところだよ。元々結婚なんてしたくもなかったし。いい女避けにはなっている......

結婚したからにはいい夫婦演じないとな......」

これは愛のない契約結婚という現実を再確認させられ、

手から滑り落ちたコートにも気が付かず、

傷ついた鈴音は静かに家を飛び出した。






外はすっかり暗くなり、街灯に明かりが灯り始めた。3月中旬の夜気は、上着なしではまだ肌寒く感じる。

どこをどう歩いてきたかも分からないまま、目の前にある公園のベンチに腰掛けた。

(わかっていたことじゃない、みんなの目を欺くための演技だって。

これは契約結婚なんだから。

でも......

でももしかしたら涼介さんも私の事すきなのかもって......

ばかみたい、一人で舞い上がって)

鈴音の目から大粒の涙がゆっくりと流れた。

「あれ、鈴音ちゃん?こんな所でどうしたの? 」

突然花屋の上田が近づいてきたので、驚き慌てて涙を拭いて立ち上がる。

「い、今帰る所です」

立ち去る鈴音は、いきなり腕をつかまれた。びっくりして腕を振り払おうとすると、さらに強くつかまれた。

「泣いてたんでしょ、目が赤いよ。僕だったら絶対鈴音ちゃんを泣かすようなことしないよ」

微笑む上田の顔に恐怖を感じる。

(えっ、なんで下の名前まで知っているの?いやだ、怖いよ。もしかしてこの人......)

危機を感じた鈴音はさり気なく胸元のネックレスに触れ、真ん中を押した。

以前涼介が教えてくれたのだ。

『このサファイアみたいな物の真ん中を押すと、

俺のケータイと警備会社へ知らせが来るようになっている。

その後警備会社が警察へ連絡を入れるから。これは緊急の時だけ押すように』

「ダメだよ、いつの間にか僕の前からいなくなっちゃって。やっとまた会えたと思ったら、結婚しちゃってるし。

『君が会社を辞めようがどこへ行こうがいつも見ているよ。僕たちは一緒になる運命だから』......覚えているでしょう? 」

口元に弧を描きながら、上田はさらにゆっくりと鈴音に近づいてくる。

「君を迎えに来たよ。これからはずっと一緒だよ」

空いている手で嫌がる鈴音を抱き寄せようとした時、涼介が力強く引き離し、上田はしりもちをついた。

「鈴音大丈夫か?」

強く鈴音を抱きしめた涼介の額には汗が浮かんでいる。きっと走り回って彼女を探していたのだろう。 

汗と混ざった彼のコロンの香りが鈴音を安心させる。

その時上田が立ち上がり、手に光る物を持って横から走ってくるのが見えた。

鈴音が身を挺し涼介に覆いかぶさった瞬間、左肩に燃えるような熱を感じ、次第に痛みが広がりヒュッと息を飲む。

驚いた涼介は振り返り彼女を抱きかかえた。手には生温かい濡れた感触があり、彼女が出血をしていると分かった。

「しっかりしろ鈴音......ああ、なんてことだ!」

痛みで朦朧とし弱々しく涼介を見つめる鈴音は、

一生懸命声にならない声を発し、やがて意識を手放した。

警察官が駆け付け、手に血の付いた花ばさみ握り大声でわめいている上田を取り押さえている。

遠くから救急車のサイレンが近づいてきた。
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