0.0001%の恋
 私の異動が正式に発表された。社長の娘であると公表されて間もないこの時期に秘書室へ異動するとなれば、必要以上に騒がれる。それを考慮し、月末に発表され翌月に即異動することが決まっていた。

 異動することが決まってから業務に関する引き継ぎ資料の作成を開始していた。資料は共有フォルダに入れておいたので、それを見ればある程度のことはわかるようになっている。引き継ぎ期間は短かったが、多分これでなんとかなるだろう。

 問題は部長が心配していた新規プロジェクトの方である。営業部からは部長と第1~3営業課の課長、事務方から私を含め各課のリーダーが参加していた。

 今後は私に代わってリーダーになる安川さんが参加する予定だが、ここまでプロジェクトは段階を踏んで進んできたのだ。途中参加の安川さんには正直荷が重いと予想される。事務方の私達はシステムに触れる機会が多いため、会議で発言を求められることが非常に多かった。安川さんが私の助言を聞こうとせず、ろくに引き継ぎができなかったので仕方がない。リーダーは他に2人いるし、田中さんもいる。他力本願になってしまうが、なんとかなると信じたい。

 私が参加する最後の定例会議後に打ち上げをすることになり、その場で私と安川さんの交代が部長から伝えられる。事情を知らないコンサルの人達は驚いた様子だったが、田中さんの表情に変化はなかった。もしかしたら事前に部長から話があったのかもしれない。

 部長がどう話したかもわからないし、田中さんがどう感じたかもわからない。自分が仕事を途中で投げ出すような人間であると田中さんに思われることがただただ恥ずかしくて、まともに顔を見ることもできなかった。

 ひと通り挨拶も済ませたので、部長に断りを入れて先に帰らせてもらうことにした。

「橘さん!」

 店を出ようとしたところで呼び止められ、振り返るとそこにいたのは田中さんだった。走って逃げ出したくなったがそうもいかない。

「少しだけ、いいですか?」

 会社じゃないとはいえ、他の社員の目がある場所で田中さんと2人で話すのは危険だ‥‥

「いや‥‥あの‥‥」

 どうやったらこの場から逃れられるのかがわからず、思わず口ごもってしまう。

「亜子ちゃん?どうかした?」

 そこに深山さんが登場し、更に窮地に追い込まれた!もう走って逃げてもいいだろうか!?

「ごめんなさい!ちょっと急いでるので!失礼します!」

 私は2人に深々と頭を下げ、一目散にその場から逃げ出した。これ以上田中さんや深山さんとのことが噂になるのは耐えられそうにない。
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