失恋したはずなのに、エリート警察官僚の再会執愛が止まりません
「いや、瑠衣になにもなくてよかった。念のため家に入るまで見てるから、ちゃんと鍵をかけてね」
「はい」
「あと、わかっていると思うけど、家を知られている可能性もあるから、早めに引っ越した方がいい」
「そうですね。土曜にでも不動産屋に行ってきます。じゃあ」
「あぁ、じゃあ」

 昔と違い「また」とは言わない。
 ファストフード店での偶然はもう二度とないだろう。近くに住んでいるから、すれ違うことはあるかもしれないが、私はとっくの昔に彼に失恋しているのだ。

 泣きそうな顔を見られたくなくて、私は急いでマンションの中に逃げ込んだ。
 もしかしたら心配で見てくれているかもしれないと、振り返りたくなるのを必死に我慢して、玄関の鍵を開けて中に身体を滑らせる。

「はぁ……なんで、会っちゃうの」

 私はドアの鍵をしっかりかけ、念のためチェーンをすると、その場にへなへなと座り込んだ。今日はいろいろありすぎて身体も心も疲れ果ててしまい、立ち上がる気力さえない。

 彼には「会いたくなかった」と言ったが、うそだ。
 会えるものなら、会いたかった。けど、あの店に行かなくなってしまったら、偶然会うことなんて二度とないとわかっていたから、忘れたふりをしていただけ。

 あれから十年も経つのに、あの頃と同じように優しげな笑みを向けられただけで、まるで昔にタイムスリップでもしたみたいに、気持ちが舞い戻ってしまう。

「あんな、懐かしそうな顔、しちゃってさ……ひどいよね、ほんと」

 少しは気まずそうにしてくれていれば、まだよかったのかもしれない。
 会えて心底嬉しいとばかりに微笑まれて、いやでも気づいてしまう。
 私の告白が貴一さんにちっとも響いてなかったんだと。それを知らしめられて、二度失恋した気分だった。

「最悪だ……もう」

 もう関係のない人。もう会うことのない人。
 私はそう考えて、のろのろと立ち上がった。ずっと片手で握りしめていたビニール袋をそっと覗き、ため息交じりに天を仰ぐ。

「あ~やっぱり、ぐちゃぐちゃ」

 スーパーで買った卵はほとんどが割れてしまっていて、保存は利かなそうだ。そのまま捨てるのももったいないから、夕飯に使ってしまおう。

 私は洗面所で手を洗い、冷凍庫に入っているミックスベジタブルとご飯を炒めて、ケチャップで味付けをすると、卵を贅沢に三個使ったオムレツを作り、ご飯の上にのせた。
 ほかの七個の卵で玉子焼きを焼き、パックに入れて朝食用に冷蔵庫で保存しておく。

 そのとき、玄関の外でカタンとなにかの音がして、全身が強張った。

「……っ!」

 きっと風の音だ。そうに違いない。私は恐怖心と闘いながら、足音を立てないようにそっとオムライスの皿をテーブルに運んだ。

(チェーンもかけたんだから、大丈夫)

 やっぱり明日、休みを取って不動産屋に行こうか。
 そう考えて首を横に振る。
 私はクラス担任を受け持っている。愛小井幼稚園は園児百人越えのマンモス幼稚園だが、現在出勤している先生の数は、かなりぎりぎりだ。
 二週間ほど前から胃腸炎に罹患する子どもが増え、クラスを持つ同僚たちが次々と感染していった。皆、明日は我が身と戦々恐々としており、休暇中の先生たちも早い復帰を望まれているのだ。
 そんな中、引っ越すために有休を申請するのは憚られた。

(うん、明日はなるべく早く帰ろう)

 定時に帰れれば、まだ外が明るい時間に駅に着く。
 もし遅くなるようだったらタクシーを使おう。駅からワンメーターでつくのだから、安全を考えれば、その方がいい。
 私はもう一度玄関のチェーンと鍵を確認し、寝る支度をしてベッドに潜り込んだ。


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