大嫌いで大の苦手な強面上司が私だけに優しくしてくるなんて聞いていない
(あ、行っちゃった……)

 看護師さんが点滴を外しながら自力で歩けますかと質問してきたので私ははいと答えた。体調は特に変な所も無く元気そのものなので自力での歩行も問題ないだろう。
 点滴は抜き終わりベッドからゆっくりと立ち上がる。母親は大丈夫? 駐車場まで歩ける? と言うので大丈夫だとへらっと作り笑いをして答えた。

「ありがとうございました」
「いえいえ、お会計は……あ、これ」

 ドアの手前にある机に何やら白いレシートみたいな用紙が置かれてあるのに看護師が気づく。

「さっきの会社の人がお支払いも済ませてくださっているようですね」
「ええっ、部長が?!」

 本条部長はなんと私の治療費も全て支払ってくれていたようだ。菓子折りに治療費の支払いにいつの間にそんな事してたのか……。

「そ、そうなんですか……」
「こちら精算機の領収書と明細ですね。どうぞ」
「ありがとうございます……」
「出口わかりますか? ご案内しますよ」

 看護師の案内を受けて病院を出た後は母親が運転する白い軽自動車に乗り込み、自宅まで帰還する。その道中母親から本条部長について尋ねられた。

「あんたあの人が本条部長? 営業部の」
「うん、そう……」
「なんか嫌な人って言ってなかった? 全然そうには見えないしむしろ好きな部類なんだけど」
「私もわかんないよ……てかあの人に叱られた事あるんだけどその時とは全然態度が違うもん」
「へえ……あんた何かした?」
「してないし心当たりないもん」

 信号が赤になり、停止する。脳裏にはにこやかに微笑む本条部長の顔がよぎった。

(やだ、あんなに嫌いで苦手だったのに顔思い出すだけでキュンキュンしてくる)
「その人って独身?」
「しらないよ。私に聞かれても知らないって」

 本条部長のプライベートは知られてない。結婚しているのか恋人がいるのかどうかもわからない。優秀とはいえあんな厳しくて怖い人と結婚する人なんている? というのがほとんどの女性社員の見解だし、金目当てで彼を狙う人はまずいなかった。
 それに特技とか好きな食べものとか趣味とかそう言うのも知らない。なんか休みの日も仕事しているという噂は聞いた事はあるが、あの感じだと薄々噂は本当に思えてしまう。

「あんた、狙ってみたら?」
「絶対無理。てかふざけてる? あんな部長無理だよ」
「ふざけてないよぉ。私なら安心して嫁に行かせられる人と思っちゃうなあ……」
「はいはい……」

 自宅に到着すると時間的にまだ大学にいるはずの妹・みおと中学にいるはずの妹・しおがそれぞれ下着姿のままリビングのソファやカーペットの上に寝転がっていた。
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