君と頑張る今日晴れる
あめそら2
わたしは自分の勤務時間が終わってから、まだ保育をしている悠を待つついでに、職員室のパソコンデスクで保育週案を書く。
わたしが受け持つのは、悠とはべつの五歳児クラス。
男の子たちが「ザリガニ釣りがやりたい」、女の子たちは「クローバーの髪飾りを作りたい」と言っていたので、名古屋市内では珍しく自然が多くあってザリガニの釣れる池がある下茶池公園に行く計画を立てた。そして、子どもたちの様子や課題を保育週案に書き込む。
となりの保育室から、元気な女の子の声が聞こえてくる。
「悠先生おままごとやろー」
「いいよ、悠先生は何役をやればいいかな?」
「わたしがママ!ゆきちゃんが赤ちゃん、だから悠先生はパパね」
わたしが聞き耳を立てていると、さっそく、おままごとが始まった。
「おーい、パパが仕事から帰ったよー。めいちゃんママ、ご飯ある?ゆきちゃん赤ちゃんは良い子にお留守番できたかなー?」
悠が低音に声を変えて中年パパを演じる。
「パパ、今日のご飯はカレーよ」
「ありがとう、めいちゃんママ。ぱくっ。う、う、う、ぐぐぐぐぎゃあああ。ばたっ」
「たいへんっ!パパがカレー食べたら倒れちゃった!」
「ううう、ゾンビになっちゃったぞー!みんな食べちゃうぞー」
「わー、悠先生がゾンビなった!」
「みんな逃げろー!」
「ううう、捕まえた子はこちょこちょしちゃうぞー」
捕まった子の大きな笑い声が聞こえる。
「あははははは、悠先生やめてー、あはははは」
「ううう、めいちゃんの次は誰を捕まえようかなぁ〜」
クラス内のおままごとをやっていなかった、他の子どもたちも巻き込んだ遊びに発展していき、子どもたちのにぎやかな笑い声が園内に響き渡る。
なんでおままごとをやっていたのに、急にゾンビの追いかけっこになるのだろう。悠の保育は発想が子どものように奇想天外でいつもこんな感じだ。
悠の頭の中を確認できるなら、どんなことを考えているのか見てみたい。
そんな子どもとの遊びは得意な悠だが、保育士としてできなくてはならないのに、どうしても苦手なことがある。
それは保育計画や制作など事務作業と言われるもの全部だ。特にパソコンを使うことが苦手で、悠は作業時間がひといちばい掛かる。
なので普段から、わたしはさっと自分の仕事を片付けると彼の手伝いをすることが多い。
でも今日はわたしの予定があるので、悠の勤務時間が終わってからふたりで荷物をまとめて保育園を出た。
「あー、今日も晴は可愛いなぁ、仕事あがりに晴の顔が見れるなんて幸せ」
となりで歩いている悠がわたしを急に褒め出す。これはいつものことだ。
「わたしの顔なんてべつに普通だし。そんな可愛くもないでしょ」と、小っ恥ずかしいので適当に返す。
「えー、俺は晴が世界でいちばん可愛いと思う。顔はもちろん、今日のベージュのワンピースとかボブヘアーも好きだし。あ、前髪切ったでしょ。でも俺は晴の外見だけじゃなくて性格もだいすき」
相変わらず悠は恥ずかしげもなく、こういうことをさらっと言ってしまう。
いつものことなのだけど、それでもこっちは照れてしまう。
「恋人フィルターがかかってるだけでしょ」
そう言って金白駅前の交差点で信号を待つ間、照れ隠しのためにわたしはスマホを見る。
恋人フィルターがかかっているのは、正直わたしのほうだ。
付き合って一年半経つというのに、悠の顔が格好良く見えてしょうがない。
たまに寝癖がついてるけど黒髪の無造作ヘア、オーバーサイズの白Tシャツ、黒のスキニーもわたし好みなのだ。
それにこの人あたりの良い優しい性格。わたしはどんどん彼に惹かれていってしまっている。これは沼だ。
けど、このことは本人に直接言わない。絶対に調子に乗って喜ぶからだ。
それに、なんか悔しいし。
そんなわたしの気持ちも知らずに、となりで悠は能天気に笑っている。
「あー、今日も晴の弾き語りを早く聴きたい」
「ありがとう、そう言ってくれて、でも毎回聴きに来なくってもいいからね」
「なんでそういうこと言うんだよ。俺が聴きたくて来てるの。晴の歌声ってさ、優しくて心が落ち着くし、なんか聴いてて俺も頑張ろうって思えるんだよ。まあ、晴の事情を知ってるから余計に感情が入っちゃうんだけど」
そう言ったあと「それに晴の可愛さに気づいた他の男が言い寄ってきたらいやだし」と、彼が小声で呟いたのをわたしはしっかり聞き逃さなかった。
交差点の信号が青になる。
「荷物多いけど俺が持とうか?」と、悠がわたしを気遣ってくれたが「べつに大丈夫。これもダイエットだよ」と、荷物を持たせるのも申し訳ないと思って適当にわたしは断った。
月に一回、わたしは桜舞駅を出てすぐの桜舞公園でギターの弾き語りをやっている。
最初はただの練習のつもりだったけど、いつの間にか聴いていってくれる人がぽつぽつと増えた。
「本当に晴の歌ってさ、初めて聴いたとき、優しくて囁くような透き通った声がすっと心に入ってきて、俺は思わず天使だって思ったもん」
「もう悠っ!恥ずかしいからやめて」
わたしは彼の熱弁スイッチがさらに入ってしまう前に話を止める。
褒めてくれるのは嬉しいけれど照れくさいのだ。
それに止めないと悠はいつまでも語り続ける。
わたしは運動や裁縫などはできないし、絵を描かせたら、園児が描いたラクガキとまちがわれるほど絵心がない。
特技なんてものはなかったけれど、音楽だけはだいすきで没頭した。
わたしは幼い頃からお父さんの影響でピアノをやっている。中学からはギターと作詞作曲を始めて、シンガーソングライターの真似事をした。
歌はどちらかと言ったら得意で、カラオケに行けば友達が褒めてくれた。
なので音楽は多少できるのだと思う。
真っ赤に燃えるような夕日が西の空にほぼ沈みかかり、空の上側は薄紫色、下側にはオレンジ色の水平線が見える。
駅から公園へと繋がる横幅の広い道には、桜の木が並び、その下のベンチが弾き語りをするわたしの定位置。
いつものベンチに着くと、ギターケースから何年も使っているミニアコースティックギターを取り出す。
通りすぎる人たちに一礼してから、わたしはベンチに腰を下ろした。
ギターを太ももの上に置き、左手でギターのネックを握り右手はピックを持つ。
ひと呼吸、深く吸ってはく。
声出しやリハーサルはいらない。
保育園でもギターを弾いて子どもたちと歌っているので、指も声も充分にあたたまっている。
右手のピックで、ゆっくり弦を優しくなぞるようにCコードを鳴らす。
あたたみのあるアコースティックギターの音が響く。
悠は少し離れたところから、わたしを見ている。
歩いて通りすぎる人たちが、たまに視線を向けるのがわかる。
よし、始めよう。