君と頑張る今日晴れる

ゆきそら8


 入院する日まで、わたしたちは映画館、水族館、動物園に行ったり、長期入院に必要なものの買い出しのついでにショッピングモールでデートをした。


 デート中にわたしが咳き込んでしまうと、悠が背中をさすって介抱をしてくれる。そして、すぐに医者からもらった頓服薬を飲む準備をしてくれた。


 わたしたちは一緒にいられることの喜びを、せいいっぱい噛み締めてふたりで過ごした。


 そして生検の結果が出ると同時に、わたしの入院が始まる。


 医者の話では悪性な腫瘍ということしかわからない。結果、有効な抗がん剤は見つからなかったと言われた。


 しかし病気の進行は待ってくれない、つらい治療が始まる。


 悠は、毎日わたしに連絡をくれた。


 わたしは抗がん剤の副作用で立ち上がることも、スマホを触ることもできない日がつづくようになった。


 抗がん剤を打っていると、直接面会することはできないので、病室の窓の外から悠は手を振ってくれた。


 一時帰宅の期間中。悠は毎日、わたしに顔を見せに来てくれた。それなのにわたしは、情緒不安定になっていて彼に何度もあたってしまう。


 それでも悠はいやな顔ひとつせず、わたしの側にいてくれた。


 

 治療を始めて三ヶ月経った頃、奇跡が起きた。


 医者から勧められて、海外の医療機関に腫瘍の一部を送って遺伝子検査をしたら、悪性リンパ腫に有効な抗がん剤が効くということが判明。


 投与する抗がん剤を有効なものに変えたら、腫瘍はどんどん小さくなっていき咳も出なくなった。


 そして十ヶ月のつらい治療を終えて、わたしは寛解し退院。


 その半年後には、悠からのプロポーズを受けて、わたしたちは結婚した。


 子どもにも恵まれ、ふたりの男の子を授かった。


 もう、わたしには無理だと諦めていた悠との結婚。わたしが自分の子どもを授かるなんて夢のまた夢だと思っていた。


 あのとき、諦めなくて本当に良かった。心からそう思う。わたしは、今、幸せだ。


 わたしと悠はどこにでもいる普通の夫婦になった。


 空がよく見えるマンションの部屋を買った。


 悠とはケンカも増え、わたしが一方的に怒ると彼は不貞腐れて、夜中でも逃げるようにスケボーをするために家を出て行く。


 だからわたしはドアのチェーンをかけて、家に入れないようにして困らせてやったこともある。


 でも、わたしと悠はすぐに仲直りをしてしまう。お互い口を聞かないことがあっても、いつも悠が我慢できずに謝りにくるのだ。そして、わたしもそれが嬉しくて、つい許してしまう。


 それに、わたしたちには何があっても一緒に幸せになるという約束があった。


 長男は小学生で弟の面倒見が良い優しい子だ。次男は保育園児でまだ幼くて、甘えたいざかりでとても可愛い。


 悠はパパになったというのに相変わらず寝坊も忘れ物もする。


 まだまだ、手が掛かる。


 この家族で、ずっと一緒に幸せになる。


 そう思っていたけど、どうやら、わたしはここまでのようだ。


 寛解してから十年後、わたしの病気が再発した。


 そして、その半年後、わたしは息を引き取った。


 悠は結婚してからも、いつもわたしのことを心配してコールドプレスを購入。毎日、人参ジュースを作ってくれた。一緒にセカンドオピニオンの病院も探した。


 再発して、もうわたしが助からないとわかったとき。


 わたしは最後を病院のベッドでひとりぼっちではなく、悠や子どもたちと少しでも長く過ごしたいと願った。


 すると悠は、すぐにわたしの看護が家でできるように準備して、わたしの願いを叶えてくれた。


 そして、わたしの呼吸が止まる、そのときまで、わたしの手を握ってずっと側にいてくれた。


 こんなにも早くお別れになってしまったことを、本当に申し訳なく思う。でも、わたしのできることは全部した。怖がりのわたしにしてはよく頑張った。


 だって十年前に諦めていたら、きっとこの夢のような家族での生活は存在しなかった。わたしはひとり寂しく病院のベッドで最後を迎えていただろう。


 まだまだ一緒にいたい。


 最近、ギター弾けてなかったから弾きたいなぁ。


 空も見たい。


 保育園にも顔を出したい。


 悔しいな。


 でも、わたしの物語はここまでだ。


 悠、本当にありがとう。


 薄れる意識の中、聞こえる悠や子どもたちの声が、わたしはいつでもひとりじゃなかった。そう思わせてくれた。


 目は開けれないけど十二月の寒い冬だ。


 今日の空は澄んだ青色にちがいない。
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