君と頑張る今日晴れる

あめそら6

 こでまり保育園は、0歳児から小学校就学前までに子どもたちが通う保育園だ。


 保育士が15名。


 さらに午前は主婦、夕方は専門学生などのアルバイトの職員が10名いる。


 開園から閉園までの時間を職員たちはローテーションで働いている。


 私は休憩中、職員室の机で、昨日の夜ご飯の詰め合わせ弁当を食べていた。


 保育士たちは忙しく、広いとは言えない職員室は、途中作業の制作や資料が散らかりっぱなしだ。


 それでも、私は保育園のこの生活感が嫌いじゃなかった。


 午後二時、そろそろ私の休憩が終わる頃。


 悠が休憩の交代でドアから入ってきた。


 「悠、ちょっと」


 「ん?」と、彼が立ち止まる。


 私は職員室に、私と悠の他のもう一人の職員しかいないのを確認してから「ロッカーに、いつもみたいにお弁当入れといたからね」と声をかけた。


 「今日も作ってきてくれたの!?嬉しいー。ありがとな晴。いつも俺のまで大変じゃない?」


 「いいよ。どうせ昨日の余りものだし。それに悠は私がお弁当持ってこないとコンビニで済ませるだけでしょ」


 「うん。用意するのめんどくさくってさ」


 「もー毎日それじゃ体に良くないでしょ。なんのために人参ジュース飲んでるのよ!今度、私が料理も教えるから覚えて」


 「えー。俺、料理苦手なのにー」


 「苦手だからやらないじゃダメ!悠もそろそろ自分で料理くらいできるようになって!他にも…」と、私があれこれ言い出したら止まらなくなってきたのを、座って見ていた最首明里が「クスクス」と笑い出した。


 明里は、私と同期で同い年の保育士。


 柔らかい物腰で人当たりが良く、ふわふわした性格の子だ。


 私は困ったことがあるとよく明里に相談する。


 仕事仲間であり、気が許せる親友なのだ。


 「なんか晴と犬塚君見てると、長年の夫婦みたいに見えるよ〜」


 「えー。まだ付き合って一年半くらいなんだけど」


 「それだけ二人の相性が良いんじゃない」と明里はニコニコしている。


 「でしょ。明里さんもそう思うでしょ。俺たちってやっぱり相性バッチリなんだよなー」と浮かれる悠。


 「うんうん。羨ましいくらいだよ〜」


 「調子に乗らないの悠。もー、明里も変なこと言わないでよ」


 「でも、いつも私には、犬塚君には晴が必要で、晴には犬塚君が必要に見えるなぁ〜。なんて言うのかな二人で一つってやつ?」


 明里はいつもよく人を見ている。


 私や悠の気持ちは言わなくても、きっと明里には筒抜けのはずだ。


 いつも嫌味なことは言わず、私なんかよりおっとりしていて可愛い。本当に人が出来た友人だと思う。


 でも、彼女言った言葉が少しだけ、ちくりと心に刺さった。


 「明里さん、相変わらず良いこと言うなぁ」と、悠は恥ずかしげもなく感心している。


 「もう休憩終わりだから保育室に戻るね」


 私はそう言って、心情が悟られないように職員室から逃げるように出た。


 二人で一つか。


 それってどっちかが欠けたら、もうダメじゃん。


 そう思った途端、また胸が苦しくなってきた。


 そして、溢れ出そうになる涙を必死に我慢した。


 あぁ、最近、自分お情緒がおかしい。


 はっきりそう自覚できる。


 でも、抑えられるはず。私は大丈夫。と胸に手を置いた。


 気づきたら私と悠がもう離れられないくらい近くて、お互いにかけがいのない存在になってしまっている。


 私はそのことが嬉しくあり、後悔もした。


 職員室から、明里と話す悠の明るい声が聞こえてくる。


 出会った頃の悠からはとても想像できない声だ。


 「幸せってなんだろう。自分が空っぽすぎて何も感じれない時がある」


 私たちが出会ったばかりで、まだ付き合っていない時、彼が言ったこの言葉が忘れられない。


 悠の悲しい表情から、彼の過去に重大な何かがあったのだと察して、当時、私は言葉か出てこなかった。




 これは悠から聞いた、彼の子どもの頃の話だ。


 悠の実家、岐阜県K市は名古屋よりずっと田舎町。


 そのK市で、おじいちゃんが悠のことを我が子のように育ててくれたそうだ。


 おじいちゃんは、いつも幼い悠を散歩に連れていってくれた。


 鶏小屋や牛小屋を見たあと、田んぼ道と川の堤防を歩き、最後に決まって神社に寄るのがいつもの散歩コースだった。


 神社で手を合わせるおじいちゃんに悠は質問した。


 「じいちゃんって、手を合わせてお願い事ばっかしてるよね。神社でも家でもさ」


 「はっはっはっ。家でお願いはしとらんよ」


 「いつも仏壇の前でしてるじゃん」


 「うーん。あれは報告かな」


 「報告?誰に?なんの?」


 「ばあちゃんにみんなのこと報告しとるんや」


 「ふーん。じゃあ今はなんの報告してんの?」


 「神社は報告じゃなくて神様にお願いしとるんや」


 「神様にお願い?何を?」


 「悠が健康で幸せであれますようにってお願いしとるだよ」


 おじいちゃんは、そう言って悠の頭を優しく撫でた。


 悠はその時。


 ほとんどの子どもが誰しも一度は考えたことがある質問をおじいちゃんにした。


 「じいちゃん、神様って本当にいるの?」


 「いるよ」


 「でも俺見たことないよ」


 「きっと目で見えるものじゃないんだよ。でも神様はみんなをよく見とる。だから、悪いことすれば罰が当たる。良いことすれば、自分に良いことが返ってくる。やで悠も良い子にしとれよ」


 「うん。わかった」


 悠の両親は仕事が忙しくほとんど家にいなかったが、大好きなおじいちゃんがいてくれたから、悠は寂しくなかった。


 悠はおじいちゃんから愛情をたくさん貰って育ち、小中学校も元気に登校し地元の高校に進学した。


 しかし、高校二年の夏に悠の幸せが音を立てて壊れた。



 暑い真夏日。


 おじいちゃんが畑で倒れているのが見つかったのだ。


 その場で死亡が確認され、原因は熱中症だった。


 悠の両親はお通夜と葬式の日は、流石に仕事を休んだが、次の日からは相変わらず働き詰めで家には帰ってこなかった。


 大好きなおじいちゃんがいなくなってから、誰もいない家で一人で夕食を食べるたびに、今までの幸せな生活はおじいちゃんがいてこそだったのだ、と思い知らされた。


 高校からの帰り道。


 どうせ誰もいない家に帰っても寂しいだけなので、悠はよく道草をした。


 決まっていくのは、おじいちゃんとの思い出の散歩コースだ。


 スケボーともこの頃に出会い、悠は一人きりの長い時間をひたすら堤防でスケボーするようになった。


 その帰りに神社の前を通るたび、納得できないやりきれなさを感じていた。


 おじいちゃんは言っていた。


 神様はよく見てる。悪いことをすれば罰が当たり、良いことをすれば、良いことが返ってくる。


 おじいちゃんは、両親に変わって育ててくれた。


 だから、老後をゆっくりなんてできなかったはずだ。


 ばあちゃんが早くに亡くなって寂しい思いをしたけれど、めげずに真っ直ぐ生きてきた。


 そんな善人なおじいちゃんが突然死んでしまって、ニュースで見た犯罪者はのうのうと生きている。


 神様がいるとしたら、一体何を見ているのだろうか。


 それに大人になれば、なるほど見えてくる。人間は全然、平等ではない。


 悠は、高校でクラスメイトと、自分の家庭環境を比べて惨めな思いをした。





 そんな悠の辛い過去を聞いた時、私は胸が苦しくなった。


 家族に支えられ、恵まれた環境で育った私とは違う苦しみを、彼は今まで抱えてきたのだ。


 でも、悠はあの日。


 秋晴れの空の下。


 私に言ってくれたのだ。


 「幸せって何かわからなくなってた時に、俺は晴を見て自分の生き方が変わったんだよ。俺は、今、幸せって何かわかるよ。俺の幸せは晴と一緒にいることなんだよ」


 あの屈託なく、秋晴れの雲ひとつない青空のような悠の笑顔を、私は忘れることはない。


 だから。


 私は何があっても頑張ろうと決意したのだ。
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