絶景保存士とは
ダーゼルとは
「は? なんで?」
たっぷりの沈黙の後、若者は訝しげに、困ったように眉を顰めてアリヤを見た。彼女自身も自分でも全く思ってもみなかったことを口にして、はっと我に返る。しかし、もう遅い。「アリヤ」と母に窘められて、彼女は漸く自分の失言に気が付いた。
「お客さんに変なこと言うんじゃないよ。すみませんね。この子、昔から絶景何とかっていうのになりたいって煩くて……」
「へぇ。あんた、保存士になりてぇの?」
突然、砕けた口調になった若者に感情の読めない目で見つめられ、アリヤはぎくりと身を固くした。バカにされるかもしれない、と思ったのだ。
小さな頃は本気で目指そうと友人達と一緒に近くの山を登ったり、川沿いに歩いて海を目指したこともある。今思えば、女の子らしい遊びとは言えなかったが、それでも友人達は快く付き合ってくれたし、今でも大事な友達だが、やたらと彼女達と対立していた男子達にバカにされていたものだった。そのうち歳を重ねるにつれて、友人達もアリヤの遊びを上手く躱し、女の子らしい遊びをするようになっていった。もう今の彼女の歳で本気で絶景保存士を目指しているのは、アリヤだけになってしまった。今でも彼女が将来の夢について話すと、冷笑されることもある。一瞬、彼女はそれだと思ったが、実際はそうではなかった。
若者は彼女をじっと見据えると、もう一度問うてくる。
「本気か? 本気で保存士になりたいか? 遊び半分とかじゃねぇだろうな?」
「そっ、んな訳無い! なりたい! 私、絶景保存士になりたいですっ!!」
「ちょっとアリヤ、いい加減にしな! お客さんに迷惑かけんじゃないよ!」
「でも、お母さん……!」
ここで食い下がらなければ、この先一生巡り会えないかもしれない。そう思うと、アリヤは必死だった。母の制止も聞かずに若者の前まで行ってその場に土下座する。母が「そんなことするもんじゃないよっ!」と激昂するが、それでもアリヤは構わないと思った。ずっと、ずっとなりたかったのだ。プライドなんて犬にでもくれてやれ、と彼女は本気で思っていた。
若者はいきなり自分の目の前で土下座をしたアリヤに驚愕し、目を白黒させていたかと思うと、はっと我に返ってアリヤの前にしゃがみ込んだ。頭を床に擦り付けんばかりに下げているアリヤに努めて優しく語りかける。
「いや、そこまでしなくていい。お前の気持ちは分かった」
「じゃ、じゃあ……!」
顔を上げ、希望に満ちあふれた表情を浮かべるアリヤに、若者は「ただし」と左手の人差し指をぴっと立てる。その短い言葉と指に思わず、彼女は黙って若者の答えを待った。
「お前、見たところまだ成人してないだろ? いくつだ?」
「じゅ…………十四、歳、です」
心の底から言いたく無さそうに渋々と答えるアリヤとこれで諦めてくれるかと安堵した様子の彼女の母。アリヤの年齢を聞くと、若者は何事か思案し、「進路は? どっち目指してる?」と続けて質問する。
「し、進路は……その……まだ、何も…………決まって、ない、です」
自分の現状にアリヤは情けなくなって蚊の鳴くような声しか出てこない。
この世界では十八歳が成人とされている。それまでに大抵の子供は皆学校へ行き、あらゆることを広く浅く勉強する。六歳の頃に一度学校へ入ったら、そのまま九年間学び、十五歳になったら、今度は働くか学院へ行くか、進路を自分で決めるのだ。大抵の子供が家業を手伝ったり、学校で学んだことを生かして新しい商売を始めたり、どこかに住み込みで働きに行ったりと働く道を選ぶが、詩術が得意な子供は大抵、学院へ行く。
学院とは国が設立した教育機関だ。より多くの優秀な詩術師を輩出する為、宮廷詩術師のシンユエ・リュンヌが積極的に推し進め、各国へ設立に至った。詩術に関して各分野に分かれ、より専門的な勉強を主としている。アリヤは絶景保存士になりたかったが、学院に行くことは諦めていた。絶景保存士の資格はあらゆる詩術の知識が必要なので、学院に行かなければ取れないのだが、彼女はこの若者のような絶景保存士に弟子入りする方を希望していたので、あまり考えていなかったのだった。自分の進路すら、曖昧で恥じ入るアリヤに若者は「オレはな」と別の話を始めた。
「この仕事、殆ど感覚でしかやってない。いつも行き当たりばったりだし、経験から得た知識しか知らねぇ。だから、オレはお前を弟子に迎えたとしても、ちゃんと教えてやれねぇ。オレに弟子入りするなら、ちゃんと勉強してからにしろ」
「…………え?」
まだぴんときていないアリヤに若者は、今度はしっかりと条件を言う。
「学院へ行って、オレの代わりに保存士について、保存士になるにはどうしたらいいのか、しっかり勉強して来い。弟子入りはそれからだ」
「でも、え? あの、弟子入り……って、い、良いんですかっ!?」
思わず、立ち上がったアリヤと同じように若者も立ち上がる。あまりにもあっさりと弟子入りの話を受け入れられ、驚くアリヤだが、次の若者の言葉に今度は感激の涙が滲んだ。
「保存士になりたい。その気持ちは嘘じゃねぇんだろ? だったら、オレに断る理由無ぇし。良いよ、弟子。お前がオレの弟子一号な」
『弟子一号』。その言葉の意味を理解した途端、アリヤは人前だということも忘れてその場で何度も飛び跳ね、感動のあまり言葉に出来ない。興奮が全身を震わせ、思わず両手で口を覆って母へ視線を送った。しかし、ここで新たな問題が発生する。
「でも、アリヤ。うちにはそんなお金無いよ」
そうなのだ。学院へ行くには難しい試験を越えることと相応の学費がいる。こればかりはアリヤの力が及ぶところではない。「諦めな」と言う母にアリヤががっくりと肩を落としそうになったところで、再び若者が提案する。
「その金、オレの方で出すって言ったら、受け取ってくれます?」
「は、はあっ!? 何言ってんだい!? あんたっ!」
アリヤと彼女の母は更に驚愕する。家族でも親戚でもない赤の他人からここまで支援される理由が無い上に、若者はどう見てもそんな大金を持っているようには見えない。「あんた、伝手はあんのかい?」と少々警戒した様子の母に若者は「ああ、まぁ。一人、金を貸してくれそうなやつ、知ってるんで」とだけ返す。このぶっきらぼうだが、親切な若者にアリヤは当然ながら大変興味を持った。
「あの、どうしてそこまでしてくれるんですか?」
「ん~? ――まぁ、単純に保存士に興味持ってくれるやつってなかなかいないし、それに……やりたいこと思いっきりできた方が後悔無くて良いだろ? ま、半分はオレの師匠の受け売りだけど」
「師匠?」
「オレの話はいいだろ。で、どうする? 学院、行くか?」
「いっ、行くっ!」
お金を出してもらうのに、名前を名乗っていないのは失礼だと気付いたアリヤは慌てて舌を噛みそうになりながらも「わ、私、アリヤ! アリヤ・ベルガモット!」と名乗る。若者もそれに倣って「ん。オレはダーゼル。名字は無い」とだけ名乗った。
絶景保存士になる為、思ってもみなかった進路へ行くことが決まり、アリヤは未だ信じられないと言いたげに目を輝かせながら感動している。感動のまま、目の前にいるダーゼルにぎゅっと抱き付き、「ダーゼル、ありがとう! 大好き!」と一瞬で懐いた。ダーゼルは女の子に抱き付かれることに慣れていないのか、微かに頬を赤らめて「わ、分かった! 分かったから離れろ!」と慌て出す。
「これ、アリヤ! 年頃の娘が抱き付くんじゃないよっ!」
いつものように母に叱られても、今のアリヤには何の効果も無い。ただ嬉しさでダーゼルを見つめて笑っていた。
たっぷりの沈黙の後、若者は訝しげに、困ったように眉を顰めてアリヤを見た。彼女自身も自分でも全く思ってもみなかったことを口にして、はっと我に返る。しかし、もう遅い。「アリヤ」と母に窘められて、彼女は漸く自分の失言に気が付いた。
「お客さんに変なこと言うんじゃないよ。すみませんね。この子、昔から絶景何とかっていうのになりたいって煩くて……」
「へぇ。あんた、保存士になりてぇの?」
突然、砕けた口調になった若者に感情の読めない目で見つめられ、アリヤはぎくりと身を固くした。バカにされるかもしれない、と思ったのだ。
小さな頃は本気で目指そうと友人達と一緒に近くの山を登ったり、川沿いに歩いて海を目指したこともある。今思えば、女の子らしい遊びとは言えなかったが、それでも友人達は快く付き合ってくれたし、今でも大事な友達だが、やたらと彼女達と対立していた男子達にバカにされていたものだった。そのうち歳を重ねるにつれて、友人達もアリヤの遊びを上手く躱し、女の子らしい遊びをするようになっていった。もう今の彼女の歳で本気で絶景保存士を目指しているのは、アリヤだけになってしまった。今でも彼女が将来の夢について話すと、冷笑されることもある。一瞬、彼女はそれだと思ったが、実際はそうではなかった。
若者は彼女をじっと見据えると、もう一度問うてくる。
「本気か? 本気で保存士になりたいか? 遊び半分とかじゃねぇだろうな?」
「そっ、んな訳無い! なりたい! 私、絶景保存士になりたいですっ!!」
「ちょっとアリヤ、いい加減にしな! お客さんに迷惑かけんじゃないよ!」
「でも、お母さん……!」
ここで食い下がらなければ、この先一生巡り会えないかもしれない。そう思うと、アリヤは必死だった。母の制止も聞かずに若者の前まで行ってその場に土下座する。母が「そんなことするもんじゃないよっ!」と激昂するが、それでもアリヤは構わないと思った。ずっと、ずっとなりたかったのだ。プライドなんて犬にでもくれてやれ、と彼女は本気で思っていた。
若者はいきなり自分の目の前で土下座をしたアリヤに驚愕し、目を白黒させていたかと思うと、はっと我に返ってアリヤの前にしゃがみ込んだ。頭を床に擦り付けんばかりに下げているアリヤに努めて優しく語りかける。
「いや、そこまでしなくていい。お前の気持ちは分かった」
「じゃ、じゃあ……!」
顔を上げ、希望に満ちあふれた表情を浮かべるアリヤに、若者は「ただし」と左手の人差し指をぴっと立てる。その短い言葉と指に思わず、彼女は黙って若者の答えを待った。
「お前、見たところまだ成人してないだろ? いくつだ?」
「じゅ…………十四、歳、です」
心の底から言いたく無さそうに渋々と答えるアリヤとこれで諦めてくれるかと安堵した様子の彼女の母。アリヤの年齢を聞くと、若者は何事か思案し、「進路は? どっち目指してる?」と続けて質問する。
「し、進路は……その……まだ、何も…………決まって、ない、です」
自分の現状にアリヤは情けなくなって蚊の鳴くような声しか出てこない。
この世界では十八歳が成人とされている。それまでに大抵の子供は皆学校へ行き、あらゆることを広く浅く勉強する。六歳の頃に一度学校へ入ったら、そのまま九年間学び、十五歳になったら、今度は働くか学院へ行くか、進路を自分で決めるのだ。大抵の子供が家業を手伝ったり、学校で学んだことを生かして新しい商売を始めたり、どこかに住み込みで働きに行ったりと働く道を選ぶが、詩術が得意な子供は大抵、学院へ行く。
学院とは国が設立した教育機関だ。より多くの優秀な詩術師を輩出する為、宮廷詩術師のシンユエ・リュンヌが積極的に推し進め、各国へ設立に至った。詩術に関して各分野に分かれ、より専門的な勉強を主としている。アリヤは絶景保存士になりたかったが、学院に行くことは諦めていた。絶景保存士の資格はあらゆる詩術の知識が必要なので、学院に行かなければ取れないのだが、彼女はこの若者のような絶景保存士に弟子入りする方を希望していたので、あまり考えていなかったのだった。自分の進路すら、曖昧で恥じ入るアリヤに若者は「オレはな」と別の話を始めた。
「この仕事、殆ど感覚でしかやってない。いつも行き当たりばったりだし、経験から得た知識しか知らねぇ。だから、オレはお前を弟子に迎えたとしても、ちゃんと教えてやれねぇ。オレに弟子入りするなら、ちゃんと勉強してからにしろ」
「…………え?」
まだぴんときていないアリヤに若者は、今度はしっかりと条件を言う。
「学院へ行って、オレの代わりに保存士について、保存士になるにはどうしたらいいのか、しっかり勉強して来い。弟子入りはそれからだ」
「でも、え? あの、弟子入り……って、い、良いんですかっ!?」
思わず、立ち上がったアリヤと同じように若者も立ち上がる。あまりにもあっさりと弟子入りの話を受け入れられ、驚くアリヤだが、次の若者の言葉に今度は感激の涙が滲んだ。
「保存士になりたい。その気持ちは嘘じゃねぇんだろ? だったら、オレに断る理由無ぇし。良いよ、弟子。お前がオレの弟子一号な」
『弟子一号』。その言葉の意味を理解した途端、アリヤは人前だということも忘れてその場で何度も飛び跳ね、感動のあまり言葉に出来ない。興奮が全身を震わせ、思わず両手で口を覆って母へ視線を送った。しかし、ここで新たな問題が発生する。
「でも、アリヤ。うちにはそんなお金無いよ」
そうなのだ。学院へ行くには難しい試験を越えることと相応の学費がいる。こればかりはアリヤの力が及ぶところではない。「諦めな」と言う母にアリヤががっくりと肩を落としそうになったところで、再び若者が提案する。
「その金、オレの方で出すって言ったら、受け取ってくれます?」
「は、はあっ!? 何言ってんだい!? あんたっ!」
アリヤと彼女の母は更に驚愕する。家族でも親戚でもない赤の他人からここまで支援される理由が無い上に、若者はどう見てもそんな大金を持っているようには見えない。「あんた、伝手はあんのかい?」と少々警戒した様子の母に若者は「ああ、まぁ。一人、金を貸してくれそうなやつ、知ってるんで」とだけ返す。このぶっきらぼうだが、親切な若者にアリヤは当然ながら大変興味を持った。
「あの、どうしてそこまでしてくれるんですか?」
「ん~? ――まぁ、単純に保存士に興味持ってくれるやつってなかなかいないし、それに……やりたいこと思いっきりできた方が後悔無くて良いだろ? ま、半分はオレの師匠の受け売りだけど」
「師匠?」
「オレの話はいいだろ。で、どうする? 学院、行くか?」
「いっ、行くっ!」
お金を出してもらうのに、名前を名乗っていないのは失礼だと気付いたアリヤは慌てて舌を噛みそうになりながらも「わ、私、アリヤ! アリヤ・ベルガモット!」と名乗る。若者もそれに倣って「ん。オレはダーゼル。名字は無い」とだけ名乗った。
絶景保存士になる為、思ってもみなかった進路へ行くことが決まり、アリヤは未だ信じられないと言いたげに目を輝かせながら感動している。感動のまま、目の前にいるダーゼルにぎゅっと抱き付き、「ダーゼル、ありがとう! 大好き!」と一瞬で懐いた。ダーゼルは女の子に抱き付かれることに慣れていないのか、微かに頬を赤らめて「わ、分かった! 分かったから離れろ!」と慌て出す。
「これ、アリヤ! 年頃の娘が抱き付くんじゃないよっ!」
いつものように母に叱られても、今のアリヤには何の効果も無い。ただ嬉しさでダーゼルを見つめて笑っていた。