幸薄い少女は、常世の君にこころゆくまで焦がされる
逢瀬
「こうして咲良と外を歩いてみたかった」
「……う、うん。私も!」
横目で琥珀の様子をうかがうと、いつも通り穏やかな笑みを浮かべている。
咲良は琥珀といっしょにあてもなく歩いた。あえて家の方には向かわずに、街中の方へと向かう。
学校をサボって街へ遊びに行くなんて、咲良にとって初めての経験だ。これがよくないことであるのは間違いないが、今はそんなことより隣を歩く琥珀との時間を噛みしめることに夢中だった。
ふと、さっきのレイコの言葉が頭をよぎった。食事のたびに咲良がおにぎりを余計に頼んでいることをレイコは知っていた。その事実に咲良は不安を覚えた。原田が言ったわけではないだろう。たとえ言ったとしても悪気はないはずだ。実際には原田すらあざむいているのだから文句を言えるはずもない。
その時は、そのことをあまり深く考えないことにした。
駅前の通りを歩いていると視線を感じた。通りすがる人たちが、なにやらちらちらと琥珀の方を見ているのがわかる。すれ違った二十代くらいの女性二人組の声が聞こえてきた。
「見て、すっごいイケメン」
「ね、モデルかな?」
琥珀の人並外れた容姿は女性たちの目を惹きつけてしまうようだ。
(あれ、もしかして私と琥珀ってカップルに見えてる?)
こんな経験したことがなさすぎてようやく気づいたが、このくらいの歳の男女が歩いていればカップルにしか見られないだろう。人の多いところが落ち着かなくなった咲良は、進行方向を変えようと提案した。
「こ、琥珀、どこか行きたいところある?」
「んー、人間の街のことはあまりよくわかってないからな。むしろ咲良に案内してほしいが」
「私もこういうの初めてで、お金もないしなあ」
「俺は人間社会にさほど興味はない。咲良とこうしていっしょにいられるだけで幸せだ」
嬉しい言葉をくれる琥珀だが、そうは言ってもただ歩いているだけ。デートと呼ぶにはあまりにも味気ない。
「──ああ、そうだ。海が見たいな。俺の住む常世は海が遠くてな。見たことがないんだよ」
「あー! 海?」
「歩いて行けるか?」
「行けないことはないよ。じゃあ海へ行こっか!」
私たちは河川敷へと移動して、そこからさらに歩いて下流を目指した。海までは距離にして五キロくらい。かなり歩くが行けないこともない。
歩きながらいろんな話をした。琥珀は常世のことをいろいろと教えてくれた。琥珀の住む町のこと、家のこと、そこに残る風習やしきたり、伝統などなど。
たくさん話した後、しばらく無言で歩いていると、琥珀が突然切り出した。
「咲良。言わなきゃならないことがある」
内心どきりとしながら咲良は『なに?』と返事をする。
「実は、ケガはとっくに治っている」
知っていた。
毎晩ガーゼを取り替えているが、あやかしの生命力の強さからかキズの治りは人間以上に早かった。完治まで三週間ほどかかるとみていたものの数日で手当がいらないレベルにまで回復していた。
こうして実際に歩いている琥珀の姿は元気そのものだ。
しかし、そのことを指摘すれば琥珀は出て行ってしまうと思ったので、咲良はあえて黙っていた。それどころか引き留めるようにして甲斐甲斐しく世話をやいていたのだ。
「咲良、学校を出たら常世にこないか?」
一瞬何を言ってるのかわからず琥珀の顔を確かめると、目を合わせようとせずに前を向いている。その横顔はいつもの涼しげなものではない。
「常世……それって琥珀の、世界に?」
人間が常世に行くことが何を意味するのか、琥珀が話してくれたことを咲良は思い出していた。あやかしが人間を常世へ連れて行くときは……たしか。
琥珀が足を止めると、咲良も慌てて立ち止まる。
琥珀がゆっくり顔をこちらに向ける。その表情はどこか固い。
「そうだ。はっきり言おう。俺は咲良とずっといっしょにいたい。常世へ、俺のところへ嫁がないか?」
琥珀と視線が重なり合う。言葉を聞いた途端、胸の奥がじゅっと焼けた。
私は今どんな顔をしてるんだろう。きっと真っ赤になってるに違いない。
「そんな……そ、それって、私、まだ子供で」
「人間の世界では十八は立派な大人だろう?」
「そ、そうだけど」
「咲良、俺はいずれ常世へと帰る。このままお前と別れるのはあまりにも惜しい」
「……私も、琥珀と離れたくない」
咲良も思いをふりしぼった。
「うれしいことを言うんだな。思いは同じか」
「はい……」
「だがいつまでも咲良の部屋にいるわけにはいかないからな。しかし、さすがに急すぎるか。もっと時間がいるか?」
「……」
琥珀の突然の告白に、咲良は返事ができないでいた。迷うことなんてないと思った。将来やりたいこともなかったし、特に考えてもなかった。
常世への嫁入りという現実離れした提案も、琥珀が言ってくれるなら受け入れることができた。誰かに必要とされたことのない自分を、琥珀はまっすぐに見つめてくれる。それだけで信じるには十分だ。
その後、どちらともなくまた歩き出した。
そのまま無言で肩を並べ歩き、やがて海岸線が見えてきた。