幸薄い少女は、常世の君にこころゆくまで焦がされる
不穏な足音
「やばい! 琥珀、隠れて!」
咲良は階段の方に向かって「今開けまーす!」と叫んだ。そして、琥珀の方へ視線を戻すと、すでに彼は黒猫へと姿を変えていた。
猫になった琥珀は素早く桐箪笥の裏へと回り込む。
「どうしてカギをかけてんの、いつも開いてただろ」
蔵の扉を開けるなり、継母の怒号がふりそそぐ。家の者が蔵に来ることはめったにないが、今は琥珀がいるので念のため内側に南京錠でカギをかけていた。
「いや、ちょっと……」
咲良の言葉など無視して、ずかずかと蔵の中に踏み込んでくる継母。後ろからレイコもついてきた。
「うわ、くっさ。きったなー! よくこんなところにいられるね」
レイコは鼻をつまむ仕草をしながら、あざけるように咲良に笑いかける。
継母とレイコはおそるおそる階段をあがり、さっきまで咲良たちが過ごしていた二階へと足を踏み入れる。
いったいどうしたんだろう。昼間、学校を早退したことがバレたんだろうか。けれど継母は咲良のことには無関心だ。学校の成績がどうなろうが知ったことではないはずだ。
この二人が急にやって来る時は、きまってなにかイヤなことがあった時だ。その鬱憤を晴らすために咲良をいじめにくる。
いったいどんな暴言を吐かれるのか、もしくは折檻を受けるのかと咲良は覚悟していたが、継母の口から出たのは思いのほかご機嫌な台詞だった。
「なんだい、けっこう綺麗にしてるじゃないか。居心地よさそうだね」
継母の口からは毒が出てくるところしか見たことがない。なんだか当たり障りのない会話に、話の方向が見えない。
「こんな広い空間、あんたにはもったいないくらいだね。しっかしなんでもいろいろ置いてあるねえ」
継母は隅に置いてある段ボールを覗いたり、ガラクタをしげしげと眺める。琥珀が隠れていることがバレないかヒヤヒヤした。
「あの! 何か探し物ですか?」
気をそらすように咲良が尋ねると、継母は口をかすかにすぼめた。
「ここがどんな感じだったか見に来ただけさ。壊そうと思ってねえ」
「へ?」
言葉の意味がわからず間の抜けた声を出す咲良。
「こんな蔵、今の時代にあってもねえ……。古臭いし景観も悪いだろ。風水的にもよくないらしくてねえ」
風水、そういえば最近継母は何かにつけて占いの話をしていた。
「先生が言うには、蔵をつぶして、池かプールにでもした方がいいんじゃないかって」
「いいねー、プール! みんな呼んで泳ぎたい!」
『名案だろ?』とでも言いたげな継母に、はしゃぐレイコ。そんな二人をよそに他人事ではない咲良はボソッとつぶやいた。
「あの……私はどこで過ごしたら……?」
「ん、庭の隅に物置があるじゃない、あそこで十分だろ?」
咲良の不安をよそに継母は、さらっと言ってのける。まるで他人事だ。庭の隅の物置というのは三メートル四方くらいのプレハブ物置のことだ。
何度かのぞいたことがあるが、環境としては室外とほぼ同じだ。真夏はサウナのようになっているし、冬は冷凍庫のように冷え込んでいる。
あんなところに比べたら、この蔵の方がまだマシだ。
「物置……」
「おっきいプールがいいなあ」
レイコは咲良の方をチラリと見る。彼女の口から出る言葉は咲良への同情の言葉なんかではない。
戸惑っている咲良に、継母は思い出したように吐き捨てる。
「まあ、そういうことだから、近々ここを出る準備しとくんだよ、いいね?」
継母の言葉など耳に届いていなかった。咲良が心配しているのは琥珀のことだ。
もう少し琥珀とここで過ごしたいのに、二人の秘密の居場所がなくなってしまう。
「へっくしょい! やだ、冷えたかしら。そろそろ戻るわ」
継母の盛大なくしゃみに、咲良は肝を冷やした。猫アレルギーの人間は猫の気配に敏感なはずだ。
二人を蔵から見送ってから、咲良はしばらくボーっとしていた。
「いよいよ、出ていかなければいけないようだな」
いつのまにか琥珀がすり寄ってきていた。その姿は黒猫のままだ。
「あれ、あれ!? 猫の姿でも、喋れるの?」
自分でも間の抜けた質問をしたと思って、咲良は吹き出した。相手はあやかし、なんでもありだろう。
「むしろ種族的にはこっちが本来の姿だ」
黒猫の姿のまま、咲良を見据える琥珀。その目はまるで作り物のようだ。
「いやー! かわいい! 猫の姿もやっぱり素敵! 今夜は抱っこして寝ていい!?」
テンションが上がる咲良とは対照的に、うつむきがちに語り出す琥珀。
「咲良、言わねばならないことがある」