幸薄い少女は、常世の君にこころゆくまで焦がされる
悪いあやかし
聞きたくない、といった仕草で咲良は顔を背ける。
「安心しろ、今すぐ出ていくとか、そういう話ではない。俺が現世に来た本当の理由だ。聞いてくれ」
琥珀は木の床にごろんと寝そべった。あくびでもしそうな気配だが表情は真剣そのものだ。
「常世には悪いあやかしもいる。常世のルールをやぶる無法者。こっちの世界で言う指名手配のようなもんだ。罰しなければいけない存在だ。俺はそいつを追って現世へきた。そいつは現世にとっても災厄でしかない。必ず討ち取って常世に連れ戻す」
琥珀の目がきらりと輝く。
「あやかし退治、それが俺の本来の目的だ」
突然の話に、咲良は目をまたたかせるだけだった。
「安心しろ。咲良にもこの家にも迷惑はかけん。こっちはこっちで片を付ける。そして──」
琥珀は目を伏せてか細くつぶやいた。
「そいつを討ち取った時に、俺は常世へ帰る」
険しい顔をする咲良の顔を、琥珀はじっと見つめている。
「咲良、今宵はもう休め。俺はちょっと風にあたってくる」
しばらくしても琥珀は戻ってこなかったので先に眠ることにした。
翌朝、目が覚めると布団の中に琥珀の姿があり安心した。出会った夜と同じように、黒猫の姿で丸くなっていた。
明くる日、咲良は放課後に道で女性に声をかけられた。
その日は朝から雨が降っていた。ちょうど琥珀を拾った日のような。
「あなた、つかれてるわね。んふふ」
中年の女性は、あまり見ない服装をしていた。黒いコートに身を包み、その首元には宝石をあしらったネックレスが光っている。帽子で目元が隠れていて、紅をひいた口元しか見えない。
女性の不気味な雰囲気に、咲良は話をするのをためらった。
「あの、なんですか?」
「つかれてるって言ったの、ふふ」
「別に、疲れてませんけど」
「違うわ、憑かれてる、悪いものに憑かれてるという意味よ、ふふふ」
女性は少し大きな声で言い直すと、帽子の下から視線をのぞかせる。彼女の黒い瞳と目が合った。その眼はあやしく輝いており、全てを見透かされたようだった。
「悪いもの、てなんですか?」
「悪いものは、悪いものよ。ふっふっふ」
『この町には悪いあやかしが潜んでいる』という琥珀の言葉を思い出した。背中を震わせながら咲良は言葉を返す。
「あの、なんなんですか?」
「最近何か拾わなかった? たとえば……黒い、なにか……なんだろうねえ」
どきりとしながらその女性から視線を外す。とても目を合わせてはいられない。
「行きますね。それじゃ」
「あやかし……」
咲良は思わず足を止めて、振り返る。
「あやかしというのはねえ。若い人間の身体や魂が、大好物でねえ。ヒトや動物に姿を変えては人間に近づくそうだよ」
女性は咲良をじっと見据えて一言つけくわえた。
「気を付けたほうが、いいよ。んふふふ」
咲良は答えずに、女性に背を向けて歩き出した。
少し歩いてから振り返ると、女性の姿は消えていた。
彼女が何者だったのかはわからない。占い師? 陰陽師? 琥珀に話すと心配するだろうと思い、咲良は黙っていることにした。