幸薄い少女は、常世の君にこころゆくまで焦がされる

棲み処


「わきまえなさい」


 鬼のような形相をした継母(ままはは)に体を押されて、咲良(さくら)は石畳の上に尻もちをついた。


「新しいワイシャツが欲しいですって? 入学した時に買ってあるじゃないの。まったく何を言ってるのかしらこの子は。高校に通わせてもらってるだけありがたいと思いなさい」


 片眉を吊り上げて怒声を発する継母に、咲良は言い返すことができない。

 恐怖で胸がじんと痛んで、全身から汗が噴き出る。


 外出先から帰宅した継母に、新しいワイシャツを買ってもらえないかと要望したが突っぱねられた。


 黙ったまま足元に目を落としている咲良に、継母は冷ややかな視線を向ける。


「髪の毛、結んでなさいと前にも言ったわよね。あなたのその頭見るとイライラしてくるのよ」


 冷たい言葉を浴びせられ、咲良はとっさに髪を触る。

 濡羽色(ぬればいろ)の少しクセのある黒髪は実の母親譲りだった。


「その辛気臭い顔、見るのも嫌になのよ」


 額に青筋をたてた継母は舌打ちして振り返ると、使用人とともに屋敷の母屋へと歩いていった。

 屋敷の正門の前に一人取り残される咲良。

 夏の夕暮れ、西日が眩しくて目を細めた。咲良の肌は青白くあまり日に焼けてない。



 やがて立ち上がって、制服のスカートについた汚れを払い落とした。砂利がパラパラと地面に落ちる。



 ここ宮野家は地元の名家であり、周囲を塀に囲まれた広大な敷地に屋敷を構えていた。母屋である大きな平屋と、いくつかの離れが立ち並ぶ。

 田舎ののどかな風景の中に建てられた伝統的な日本家屋も、咲良にとっては落ち着ける場所ではなかった。

 庶子、いわゆる妾の子である咲良は、この家にとっては厄介者でしかなかった。

 旦那の愛人だった女とそっくりな咲良のことがよほど憎いのか、継母は咲良のことを忌み嫌っていた。使用人たちも継母の手前、咲良のことは空気のように扱っていた。

 実の母はもともと体が弱く、咲良を生んで間もなく床に伏した。やがて咲良が小学生のころに母は亡くなった。その後、咲良は宮野家に引き取られることになった。



 敷地内を奥へ歩くと、二階建ての蔵がぽつんと見えてくる。白い漆喰の壁に覆われ、無骨な扉に閉ざされた古い蔵。

 まるで座敷牢のような空間、そこが咲良の棲み処だった。

 重たい鉄の扉が音を立てて開く。中は物で溢れかえり、蔵としての役割をしっかりと果たしている。二階へと続く急な階段を上がったところが咲良の寝床だった。

 いつの時代に使われていたのかわからない机とペラペラの布団。そして、数冊の本と母の遺影が咲良の持ち物のすべてだ。

 ワイシャツの袖を確認する。元は長袖だったはずシャツの袖は、ハサミで切り取られてしまい二の腕までの丈になっている。ビンテージもののそれとは違うなんとも不格好な袖を、咲良は思わずぎゅっと握りしめる。



 咲良は昼間の学校でのことを思い出して、唇をかみしめた。


「あんた、そろそろ暑いでしょ、半袖にしたら? そうだ、あたしが切ったげる!」


 そう言ってせせら笑い、咲良のワイシャツをハサミで切り刻んだのは継母の実の娘であるレイコだ。継母とよく似た吊り上がった目をしており、甲高い声と派手なメイクが特徴的だ。

 レイコは咲良のことを嫌っており、家でも学校でも意地悪をしてくる。



 イヤなことは考えないようにしようとしても、一人になるとどうしても頭をよぎる。胸が締めつけられる思いで母の遺影を見ると、ずっと抑えていた涙が自然とこぼれおちた。

 夏の宵、咲良の不安が晴れることはなかった。
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