幸薄い少女は、常世の君にこころゆくまで焦がされる
宵闇
その夜も、琥珀は外へ出かけていった。
琥珀はここ数日、ずっと深夜に抜け出しては、明け方に戻ってくるという生活を続けていた。まるで夜行性の動物だ。
どうやら『悪いあやかし』を探しに行ってるようだ。
悪いあやかしと言っても、人間を無差別に襲う妖怪のようなものではないようだ。心の隙間に入り込み、惑わし、長い時間かけて身も心も奪うものらしい。執念深くターゲットを見極め、長い時間をかけてその人間のエネルギーを奪うという。だからこそ見つけるのが難しいらしいが。
蔵の外まで咲良が見送る中、闇夜に紛れるように姿を消す琥珀。いつかこのままいなくなってしまうんじゃないか。琥珀の仕事の状況も詳しくは聞かないし、彼も話さなかった。
あの時、浜辺でした祝言の約束は果たして現実のものになりえるのか、不安を抱く時もあった。
昼間は学校で会えないので、夜はなるべくいっしょに過ごしたいというのが咲良の本音だった。
人間の姿だと恥ずかしいが、猫の姿なら愛くるしいから抱きかかえて寝ても問題はない。
ふと、夜中に目が覚めた。琥珀はまだ外に出ているのだろう。
離れにあるトイレに行き、蔵へ戻ろうと庭を歩いていると、正門の方へ向かう人影が見えた。誰だろうと目をこらすとレイコだった。その足取りはおぼつかない。
(レイコ……こんな夜中にまた外へ……?)
この前話していた男との待ち合わせだろうか。いくら奔放なレイコといえど、こう頻繁に出歩くというのは気がかりだ。なんだか気になってしまい咲良はあとをつけることにした。
夜中は悪いあやかしが出るといけないから、絶対に屋敷の外へ出るなと琥珀に言われていた。しかし、少しくらいは大丈夫だろうと咲良はたかをくくった。
街灯のまばらな夜道をふらふらと歩くレイコ。あまり近づきすぎるとバレてしまうため、なるべく距離を置いてあとを追っていた。
角を曲がったところでレイコを見失ってしまった。あわてて辺りを見回すと、大きな公園の中央に人影が見えた。
公園に入り、その姿が見えるところまで近づく。
そこには、ぴったりと身を寄せ合う男女の姿。
一人はレイコで……もう一人は……。
琥珀だった。
自分の目に映っている光景が信じられず足元がぐらつく。
(レイコ……琥珀……どう、して……)
後ろ姿しか見えないが、あの黒髪と黒い袴姿は琥珀だ。
レイコが話していた新しい彼とは琥珀のことだったのか。
毎晩あやかし退治をしにいくといって出て行った琥珀は、こんなところでレイコと逢瀬していたのだろうか。
ぐるぐると目が回り、吐きそうになる。二人の姿がぐにゃぐにゃと歪んで見える。
琥珀の顔を見上げてうっとりした表情を浮かべるレイコ。月明りに照らされてハッキリと見えたその顔は、恋する乙女の顔だった。
「──っ!!」
思わず叫びだしたくなる衝動を抑えて、一歩後ずさる。
すると小枝を踏んでしまい、『パキ』っと音が鳴った。
振り返る琥珀、その顔は闇に覆われて暗くよく見えない。
「おやおや……いたんだね」
琥珀の声はこんなにも冷たかっただろうか。低く感情のない声があたりに響く。覗き見ていたことがバレてしまったことで咲良は慌てふためいた。
それに加えて琥珀の裏切り、絶望、いろんな感情が渦を巻き、腰を抜かしてしまった。
地面に這いつくばるように、琥珀から背中を向けて遠ざかろうする咲良。そこへ一歩ずつ近づいてくる琥珀。
「あ~あ、悪い子だ。見てしまったんだね」
(琥珀なの?)
抑揚のない男の声。なんだか琥珀とは声色が違って聞こえるが、恐怖のあまり振り返ることができない。
すぐそばまで迫ってきた琥珀に、咲良は背中を向けたまま丸くなる。
「やはり捨てられたか、男なんてそのようなものだ」
突如、頭にふりかかってくる灰色の声。琥珀の声じゃない。どこから聞こえてくるのかわからないそのおぞましい声に、思わず耳をふさぐ。
「あの男女の醜い姿を見たか? お前はもてあそばれていただけなのさ。あわれな人間の娘よ」
両手で耳をふさいでいるはずなのに、頭の中には響く声がやまず、絶望に打ちひしがれる咲良。
「もっと絶望しろ。そうだ……もっと、だ」
だんだんと近づいてくる声に咲良は目をギュッと閉じて耐えるしかなかった。
「この瞬間が一番好きなのだ。ああ……たまらないぞ、人間の絶望という感情は──」
「咲良!」
──その時、とおくで声がした。