幸薄い少女は、常世の君にこころゆくまで焦がされる
看病
「ただいま。大丈夫でしたか?」
琥珀からの返事はなく布団の上でぐったりとしている。置いていった水の入ったペットボトルは空になっていた。
「よかった。水、また汲んできます」
咲良が水を汲んで戻ってくると、琥珀は目を開けていた。
「あ、琥珀さん。キズの方はどうですか?」
「だいじょう……ぶだ」
琥珀はなんとか声を絞り出す。なんだか大丈夫そうには見えない。
傷口をきれいに拭き、清潔なガーゼに取り替える。
「昼間は誰も来ませんでしたか」
咲良の問いかけに、琥珀は苦悶の表情でうなずいた。
「ぐ……ぐううぅ」
「もう終わったから大丈夫ですよ」
「なあ、この服は咲良のものじゃないのか。汚れてしまうぞ」
琥珀が気にしてるのは包帯代わりに巻いてある衣服のことだ。ピンク地のギンガムチェックのスカートだった。
「いいの、これは着ないから。気にしないで」
咲良の持っている数少ない洋服は全てレイコのおさがりだ。ド派手な原色の服ばかりで、咲良の好みではないため、着ることはない。
というよりもレイコの着ていた服なんて着たくないというのが本音だ。
中学生の時は体操着で過ごすことが多かったが、高校生になってからは休日もほとんど制服を着ていた。
「咲良、ここは人の気配がまるでしないな」
それはそうだ。なんせ大きな屋敷の中にある蔵の中だ。他人はおろか家の者でも誰も近寄ることはない。
「田舎ですから……」
「ここは咲良の部屋か?」
「あ……はい」
「咲良は、ここで過ごしているのか?」
琥珀は室内を見回しながらつぶやく。その問いかけには、なぜこんなところに、という疑問が含まれている気がして、咲良は少しためらいながらも返事をする。
「はい、そうです」
「そうか……家族はどこにいるんだ?」
「別の建物にいます。だから安心してください。この中にいれば安全なので。でも外には出ないほうがいいです。見つかると面倒なので」
これは偽りのないことだ。知らない者を勝手に家にあげているなど、宮野家じゃなくても大問題だろう。
「ここは、蔵のような場所に見えるが、俺の記憶が正しければ本来の人間の住居とは違うはずだ」
冷汗がでた。咲良が思っている以上に琥珀は人間のことを知っていた。
「……ごめんなさい、琥珀さん。本当のことを話します」
咲良は嘘偽りなく全てを話した。ここは宮野家の蔵であること。宮野家での咲良の立ち位置。咲良に好意的ではない家族がいること。
「そうか。ならば俺がここにいると、咲良が困るんじゃないのか」
「大丈夫……見つからなければ」
「……意外と大胆だな」
「へへ」
二人は顔を見合わせて微笑んだ。
「なあ、咲良。かしこまった喋り方はやめないか」
「え、でも……」
年上に見える男の人にたいして免疫のない咲良にとって、距離をおいた接し方になるのは自然なことだった。
「ほら、俺が猫の姿をしていた時のような喋り方はできないか?」
「や、そ、そんな……! だってあれは猫ちゃんの姿だったからですよ!?」
「……どうしてもダメか?」
「だいたい、あの猫ちゃんはどこ行ったんです!? せっかくかわいい猫に出会えたと思ったのにいなくなっちゃって、代わりに大きな男の人が現れて……」
「す、すまない……咲良が望むなら、猫の姿になることもできるが……少し妖力を使ってしまうから後日でもいいか?」
「ええ! 猫の姿になることも!? 早く言ってくださいよ!」
「なぜそんなに態度が変わるんだ。どちらも俺自身だ。この姿の俺はイヤか?」
真剣なまなざしで見つめてくる琥珀に、咲良は顔を赤らめる。イヤではないが、男の人と二人っきりという状況に慣れておらず、どこか気の置けなさはある。
「イヤ……じゃないよ。とりあえず普通に喋るように、努力してみるね」
「ああ、そうしてくれると嬉しいな」
その時、琥珀の手が咲良の頭にのびてきて……。
琥珀の大きな手のひらがぽんぽん、と頭を包み込んでくる。男の人に髪を触られたことなんてない咲良は思わず目を見開いた。
「あ……」
視線がぶつかり合う。
「咲良の目は、とても綺麗だな。見ていると心が安らぐよ」
言われたことのない優しさの詰まった言葉が、そっと耳を撫でる。
「昨日倒れていた時、俺はもうダメだと思った。けど、咲良に拾われてここへ連れてこられた時、俺のことを心配してずっと見守ってくれていたよな。おかげで俺は救われたんだ」
琥珀の艶のある唇から紡がれる言葉に、咲良は黙って耳をかたむけていた。