恋愛日和 いつの日か巡り会うその日まで
「あ……お疲れ様です。」


『起きてたのか』


 黒く縁取られた眼鏡を
 かけた瀬木さんは、
 やはり仕事をしていたのか
 首を左右に回しながら私の方に来た


「何か飲まれますか?」


『あ、じゃあコーヒー頼む』



 暗がりでも分かる疲労感は、
 見るからに夕食後から休まず
 仕事をしていたのが伝わるので
 せめてコーヒーくらい
 淹れてあげたかった



 ソファにドサリと音を立てて
 座った瀬木さんに
 キッチンの明かりを付けて
 コーヒーメーカーをセットする



『あのさ……
 立花はどうして本が好きなの?』


 ドクン


 コポコポと音を立ててお湯が沸くと、
 セットしたメーカーで
 珈琲をおとしていく


 静かで薄暗い空間で緊張が増す中、
 暗闇の中から真っ直ぐこちらを
 見つめる瞳に少し俯く



 先輩‥‥幼かった私に、
 図書室の本棚で初めて会えた時に
 同じ質問したの覚えてる?


「どうぞ…」


 ソファの背もたれに埋もれて
 眠いのか瞳を閉じていた瀬木さんが
 ゆっくりと目を開ける



「‥私‥…小さい時から
 本を読む環境があり、
 それからずっと好きなんです。
 書いた人の伝えたいことが
 こうだってわかったときに、
 その世界には行けないけど、そこで
 生きているキャストになれるんです。
 人見知りだったけど、本の世界の
 中では違う自分になれるって‥‥」



『…俺も同じだよ。』


 ドクン


 綺麗な瞳が少しだけ私を捉えると
 少しだけ笑った気がして
 顔が熱くなる。


 先輩‥‥
 先輩がそう言ってたから益々
 読むのが好きになったんだよ‥。



「おやすみなさい……」


 頭を下げてから
 キッチンの電気を消した私は
 二階へ続く階段へ歩き始めた



『立花‥おやすみ』



 たった一言聞こえただけなのに
 ひとつひとつが胸を締め付ける


 5年前は大好きで
 一番遠くからでもいいからと
 眺めていた素敵な先輩の存在


 自分から傷付けて離れたのに、
 こんな風にまた話したり、
 目の前で食事をする姿を見たり、
 同じ空間で生活までしている。


 本当にこんな日が
 突然やってくるなんて
 思っても見なかった‥‥‥


 でも
 私はここに仕事をしに来た。
 家賃も払わなくていいという
 誓約書にサインもされてしまった今、


 ここで
 瀬木さんの身の回りのことや
 サポートを全てやるんだ。
 それが私のやるべきことなんだ。


 そうすることで、
 あの時のことを少しでも償いたい‥‥


 例え今後
 好きという気持ちが溢れても、
 私からは何も変えてはいけないって
 分かってる‥‥


 分かってはいるけれど
 今だけは
 彼を想って泣いてもいいですか?


 忘れたくても
 忘れられなかった人との再会が、
 今になって奇跡のように感じて
 私は声を殺して泣いた



 もう明日からは
 瀬木さんのアシスタント兼家政婦だ‥


 揺れそうだった心にしっかりと
 鍵をかけ直して、私は眠りについた。
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