七龍国物語〜冷涼な青龍さまも嫁御寮には甘く情熱的〜
 泡のように浮かんでは弾ける回想に耽っていた海音だったが、下から吹き上げてきた旋風の風圧でハッと我に返る。

(今の記憶は……!?)

 蛍流に抱えられたままどこまでも二藍山の上空へと飛んだ海音だったが、不意に風が止んだかと思うと地面に落下していく。悲鳴を上げながら蛍流にしがみついていると、揃って柔らかいものの上に降り立つ。地面に手を付くと、ガラスのようにつるつるとした手触りを感じる。ほのかに温かさも……。

「海音、大丈夫か?」
「はい……。何が起こったんですか?」
「清水が……青龍がおれたちを助けてくれたんだ」

 ということは、海音たちが腰を下ろしているガラス状の地面というのは清水の背ということだろうか。風に靡く髪を押さえていると、ほんのわずかではあったが雲間が晴れて空が見える。茜色と青紫色の空に細かな星々が煌めく黄昏の空。それは荒れ狂う蛍流の力が徐々に落ち着きを取り戻しつつある証でもあった。

(良かった。これなら雨が晴れて、川の氾濫も抑えられるかも)

 安堵と共に胸を撫で下ろしたのも束の間、清水の身体が苦しそうに大きく痙攣する。蛍流が「清水!?」と声を荒げた時には、意識を失ったかのように地面に向かって急降下していたのだった。

「なっ、にが起こって……!?」
 
 咄嗟にしがみついた海音だったが身体と足に腕が回されたかと思うと、蛍流に軽々と横抱きされる。人生初のお姫様だっこを考える前に、蛍流が早口で言い立てたのだった。

「ここから飛び降りる。しっかり掴まっていろ!」

 その言葉を合図に蛍流は清水の上から飛び降りたものの、海音には何が起こったのか理解が追いついていなかった。しかし上からぱらぱらと雪のように粉状のものが落ちてきたことで弾かれたように顔を上げ、そして目を丸くして蛍流の身体を掴んでしまう。
 先程、海音たちを助けてくれた清水の身体が尻尾から消え始め、そして砕けた硝子のように粉状になって二人の頭上に降り注いでいたのだった。

(清水さまがどうして……!?)
 
 鱗に覆われた肝心の自分の身体は未だ五体満足の状態であり、変わったところもなかった。夢の通りなら、ここで消えるのは海音のはずなのにいったいどうして……。
 風の抵抗を受けつつ地上に降りた二人はそのまま地面を転がる。地面に近いところから飛び降りたとはいえ、全くの無傷というわけにはいかなかった。大きな怪我こそ負わなかったものの、固い大地に身体を打ち付けた衝撃で全身に痛みが走る。摩擦熱で擦れた手足には擦り傷が出来たのか、じんじんと痛みを発したのだった。

「無事か……?」
「平気です……蛍流さんは……?」
「心配いらない……飛び降りる時に青龍の力を使って風雨の向きを調整した。特段怪我は負っていない……」

 それで打ち身と擦り傷程度で済んだのかと納得しつつ、息も絶え絶えに助け起こしてくれた蛍流の手を借りた海音だったが、すぐに我に返ると「清水さまは!?」と蛍流を問いただす。

「落ちながら見たんです。清水さまの身体が砕けて、粉々になるところを……!」
「清水は掟を破った対価を代わりに受けたのだ。清水は……七龍は人の世に介入してはいけないことになっている。力を暴走させたおれの代わりに青の地を守ってくれたのみならず、願いを叶えておれたちを助けてくれた。加えて本来であれば事の発端であるおれが受けるはずだった罰まで、清水が請け負ったのだ。その結果、青龍としての姿を失って、消えてしまった。形代の資格を喪失して繋がりも断たれたのか、おれの身体からも力が消えて……」
「青龍なら、まだ残っているぞ」

 背筋がぞっとするような低い声に振り向けば、そこには青く光り輝く水晶球を片手に持った昌真がどこからともなく姿を現わす。海音を背に庇った蛍流が「どういうことだ?」と詰問する。

「青龍はここにいる。この水晶球の中にな。残っていた青龍の力を吸収したのだ。お前が青龍に助けを求めてくれて助かった。そうでなければ青龍は住処の神域を離れてくれないからな」
「何のためにこんなことをする! 茅晶が恨んでいるのは、師匠を奪ったおれではなかったのか!?」
「それを知ってどうする? お前に俺が止められるとでも? 掟を破って、青龍の力を失ったお前が?」
「それは……」
「……やはり俺の思った通りだったな。お前の弱点はそこの娘……海音だ。お前から海音を奪おうとすれば、お前が力を暴走させて、青龍が姿を現すだろうと思った。その隙をついて青龍を奪い、手始めにこの青の地を陥落させる。そしてこの混乱に乗じて、他の五龍も掌中に収める。青龍が消えて、龍脈に異常が起きれば、他の五龍たちは自分たちの力が流れる龍脈の制御で余力が無くなる。その隙をつけば、俺でも七龍を御せるということだ」

 昌真の唇が動いて、底冷えするような暗い笑みが形作られる。最初に会った時からどこか深淵に似た陰鬱な雰囲気を纏っていたが、これはその非ではない。七龍に対する根深い憎悪。その中に見え隠れする深い悲愁。それは七龍とその七龍に選ばれた人間たちの犠牲によって成り立つ国の制度と、そんな制度を顧みることもなく安穏として暮らすこの国の民に対するものなのか。それとも――。
 
「茅晶が……ただの人間がこんなことを出来るはずが無い。お前は何者なのだ!?」
「忘れるとは薄情なものだ。共にこの山で育ち、青龍の奇跡と神秘に触れ、そして父が亡くなった時に、ここから追放した兄だというのに」
「違います! それは蛍流さんじゃなくて、師匠さんの意志を汲んだ清水さまに寄るもので……!」
「どちらにしても同じこと。過ぎ去ったことを今更口にしたところで意味は無い。それにここを出て行かなければ、こいつと出会うことも無かったからな」
「こいつ? いったい何のことだ……」

 その時、茅晶を取り巻くように黒い稲妻が音を立てる。周囲でいくつもの稲光が弾けて、バチバチと嫌な音が耳を打つ。海音が目を瞬かせていると、蛍流が身構えるように身体を引きながら苦しそうに呟く。


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