七龍国物語〜冷涼な青龍さまも嫁御寮には甘く情熱的〜
「本当なら毎日でも唇を重ねたいところだが、おれたちの接吻を見ていた清水が難色を示してな。祝言を挙げるまでは健全な付き合いをするよう諭されて、禁止されてしまったのだ」
「そうですか……」
「だがこの胸に滾る想いを伝えるには、言葉だけではどうしても足りない。頼んでみるつもりだが、せめて頬や首、髪あたりには毎日したい。それが駄目でもせめて耳か手くらいには出来ないかと思っている。三日前、手に接吻された時はお前の深い愛を感じて心が沸き立った。あの時に感じた浮き立つ気持ちをお前にも味わって欲しい。お前が与えてくれた愛に匹敵するような深愛を捧げよう」
 
 その時を思い出したのか蛍流の顔が綻んだが、対して海音の背筋はますます寒くなる。
 あの時はこれが最後になるかもしれないと思って、元の世界で見た映画に倣って蛍流の手に口付けしたつもりだったが、もしかすると純粋無垢な蛍流に余計な知識を吹き込んでしまっただけかもしれない。回復した後、清水に何と言われることか……想像しただけで身体が震え慄く。
 そんな海音の様子に気付いた蛍流が「羽織を取ってくるか?」と尋ねてきたので、海音は「大丈夫です!」と即座に否定したのだった。
 そうして親鳥から餌を貰う雛のように大人しく残りの卵粥を食べさせられていた海音だったが、火傷しないように息を吹いて冷ましてくれる蛍流の端正な横顔を盗み見ながら、ふと気付いたのだった。

(そっか……今までがずっと気を張っていただけで、これが本当の蛍流さんなんだよね……)
 
 多くの民に慕われていた先代青龍のようにならなければならないと気負い過ぎていただけで、これが本来の蛍流なのだろう。蛍流自身が流した噂による先入観も関係していたのかもしれないが、本当の蛍流は心根が優しくて面倒見の良い、年相応に純朴で真っ直ぐな性格の持ち主。
 晶真や師匠に愛されながら育ったからか甘え気質や独占欲の強いところもあるが、いざという時は誰よりも勇気と義侠心に溢れた青龍の形代としての強く逞しい顔を持っている。
 それでも好きな人にはどこまでも熱情的で愛情深く、蕩けるような溺愛で包み込んでくれて、元の世界を捨てた海音の未練やうら淋しさを温めてくれる。
 同じ痛みを知っているからこそ、欲しい言葉をかけて愛を注いでくれる蛍流は理想的な男性そのもの。そんな蛍流とこれから果てしなく長い時を過ごしていくことを思うと、緊張と興奮で身体がうずうずしてしまう。透き通る水のような玲瓏な声で星の数にも等しい睦言を囁かれるに違いない。清水にも指摘された海音の初心な心臓が持つのか……これも自分の姿と同じように時間を掛けて慣れていくしかないのだろう。
 そんなことを考えながら卵粥を食していると、不意に蛍流と目が合ってしまう。藍色の目を細めながら熱っぽく微笑まれたことで身動いでしまったからか、匙から溢れたご飯粒が口の端に残ってしまった。海音が手巾で拭う前にすかさず蛍流が指先で掬うと、自分の口にご飯粒を放り込んでしまったのだった。

「蛍流さんの気持ちは嬉しいですが、私にばかり時間を割いていただくわけにもいきませんし……。そんなことより、青龍のお務めはいいんですか? 私は大丈夫なので、早く戻った方が良いんじゃ……」
「これくらい問題ない。あれから青龍の力が安定しているのだ。これまでとは違って自分の感情に左右して天候が乱れることも、力が暴走することも無い。それにまた何かあっても清水がどうにかしてくれるからな。少しくらいお前に時間を割いたって、許されるはずが……」
「あるわけないだろう。いつまでも病人の元に押しかけていないで、早く戻って来い」

 蛍流の言葉に間髪入れながら「邪魔をするぞ」と部屋に入ってきたのは、蛍流に負けず劣らずの艶のある美声と鼻梁の整った顔立ちの青年――昌真であった。

「食事を届けたらすぐに戻るというから中座を許したというのに、戻る気配が一向に無いから様子を見に来てみれば……。まったく、お前という奴は……」
「少しくらい話しても良いだろう。あれから海音とほとんど話せていないのだ。それにもしおれが目を離している隙に海音の症状が悪化していたらと思うと、心配で青龍の務めどころでは……」
「はぁ……お前たちは青龍の神気で繋がっているだろう。お互いの身に何か異変が起これば、真っ先に気付くはずだ。こうも騒々しいとみ……嫁御寮も休めないだろう」

 晶真は同意を求めるように海音に目線を送ってきたが、蛍流が不貞腐れたように目を逸らしたので海音は苦笑することしか出来ない。
 どうやら蛍流は兄である昌真が海音と親しそうに話すのが気に入らないばかりか、自分以外の男性が海音の名前を呼ぶのが嫌らしい。
 それに気付いた晶真も蛍流が居る前では、なるべく海音の名前を呼ばないように気を遣ってくれていた。今のように「海音」と言い掛けても、蛍流が睨んでいることに気付いて、慌てて「嫁御寮」と言い直してくれる徹底ぶりであった。
 
「だが蛍流の言う通り、昨日よりだいぶ顔色が良くなった。これで俺も一安心だ」
「ありがとうございます。晶真さんにもご心配をおかけしてしまって、すみません……」
「……これくらいどうということはない」

 抑揚の無い話し方も相まって冷たそうに聞こえるものの、晶真の顔はどこか明るい。安堵を覚える柔和な笑みは微睡みの中に差し込む一条の光のようで、不意打ちで囁かれる蛍流の情熱的な言葉に取り乱す海音の心をいつも落ち着かせてくれていた。

「それで蛍流はいつまで居座るつもりだ」
「居座ってなど……」
「あまり病人を振り回すものじゃない。嫁御寮も困るだろう」
「私は平気です。ただ昌真さんが大変ですよね。私たちのお目付け役ですから」
「……こんなことになるのなら、安請け合いするんじゃなかったと後悔しているところだ。これが今後続くのかと思うと、先が思いやられる……」
 
 発熱で倒れた海音が目を覚ましてから蛍流がずっとこの調子なので、あれから昌真とはほとんど会話が出来ずにいたが、ようやく昌真と話しが出来たのは昨日の昼に蛍流の代わりに昼餉を運んでくれた時。そこで海音は昌真から謝罪を受け、この一件の罰としてしばらくは清水の監視下に置かれることを教えられたのだった。


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