数多の夏闇と一夜
第一章 【別の生き物】 理玄

 この海沿いの町では、あるはずのない島が時々見える。
 その島はネノシマと呼ばれており、そこには妖怪や神さまたちが多く住んでいるとされている。

 数か月前、どうやら鵺に噛まれたらしい。
 自分自身のことであるがどこか他人事なのは、理玄(りげん)はそれに気付けなかったからである。数日寝込んだが、鵺に噛まれたとは思わなかった。
 鵺に噛まれたと指摘したのは、狸丸(たぬきまる)だった。野生のタヌキだと言い張っているが、人語を操る時点で半分妖怪みたいなものだと理玄は思っている。日本にいないはずの鵺を、最近見かけるのだと狸丸はいっていた。理玄はその話をそれほど重要視していなかった。
 結果、なぜか噛まれた。
 このまま鵺を野放しにしておくと危険だと判断し、理玄は出嶋神社に連絡をすることにした。それは狸丸の助言によるものである。
 雲岩寺(うんがんじ)の僧侶である理玄は、日本の神社を総括する出嶋神社との親交は深くない。繋がりといえば、神仏習合の名残りとして雲岩寺の敷地内に鎮守社があるだけである。それだけが理玄と神社との結びつきであった。
 狸丸の助言通り報告はしたものの、出嶋神社がどんな対応をするのかは理玄にはわからなかった。鵺がいると迷惑はするが、いるならいるで共存するしかないと理玄は考えていた。
 鵺に噛まれた感想は「厄介な風邪にかかった」という程度である。

 しかし先日、思いがけず桂城(かつらぎ)朔馬(さくま)と邂逅した。
 彼は鵺退治のために、ネノシマから日本に派遣されてきたという。つまり出嶋神社は理玄の訴えを真摯に受け止め、鵺退治をネノシマへ依頼したのである。
 ネノシマの存在は、この土地に住む者にとっては桃太郎伝説に近しいと理玄は思っている。ないとは思いつつも、もしかしたらあるのかもしれないと、そう思わせるような存在である。
 理玄自身は海の上に浮かぶネノシマを、幼い頃は見ていたように思う。その姿は今も不思議と思い出せる。
 目の前にいる少年がネノシマから来たというなら、疑うのは野暮に思えた。
 ネノシマからきた朔馬は、普通の少年だった。少なくとも理玄にはそう見えた。
 そして偶然なのか、必然なのか、朔馬の居候先である伊咲(いさき)家には二人の見鬼(けんき)がいる。伊咲凪砂(なぎさ)と、その双子の姉の波浪(ななみ)は見鬼である。
 理玄には霊感のようなものは備わっているが、見鬼というほどではない。うっすらと変なものが見えたり、感じたりするくらいである。
 以前はそんな体質を面倒に思っていた。人が感じないものを感知してしまうと、想像以上に疲弊する。
 みえる者は、どこか仄暗いものを心に飼っている印象がある。
 しかし朔馬も双子もそんな印象はない。
 だからこそ好奇心が勝ったのかもしれない。
 バイトとして雇ったのは「役に立つ」と思った以上に、繋がりを持ちたいと思ってしまったせいかもしれない。



 夏になると除霊の依頼が増える。
 今回の依頼主は、四人の大学生だった。
 ありがちな話であるが、有名な心霊スポットに肝試しにいったらしい。四人は同じ大学、同じ学部の者であり、肝試しをした日は彼らにとって試験最終日で、夏休み開始日だった。浮足立つのもわかる気がする。
肝試し後、四人は立て続けにケガをした。捻挫だったり、ヤケドだったり、その種類は様々である。
 しかし四人全員が負傷するのは、さすがに偶然とは言い切れなかったのだろう。
 彼らの話を対面で聞く間、なにかを感じたり、妙な気配がすることはなかった。ケガは偶然とは決めつけられないが、これ以上彼らによくないことが起こることはなさそうだった。
 とにかく理玄は依頼通り除霊をし、彼らに護符を売った。



「肝試しねぇ。これから増えると思うと、うんざりするな」
「人もなんでも、群れると気が大きくなるからな。しかし儲かったな」
 狸丸はいった。
「思いのほか儲かったな。あー、なんかいるな? いる気がするわ」
 理玄と狸丸は、四人が肝試しをした橋に立っていた。
 依頼は終えたが、今後の被害を防ぐためにも念のため現場にきてみたのだった。
「いるな」
 狸丸も同意した。
「どんなのがいるか、みえるか?」
「朔馬が鬼虚(おにこ)と、呼んでいたものがあるだろ?」
「黒い影とか、ホコリとかいってたヤツ?」
「それが無数に浮遊している」
 橋の下をのぞくと二十メートルほど下に、滔々と川が流れている。視覚では不審なものは確認できないが、妙な感覚が離れない。
「俺たちでどうこうできない気はするな。だからこその心霊スポットか」
「そうだな」
 理玄は狸丸を抱え、車に戻った。
「どうする? その辺の妖怪に、聞き込みをしてみようか?」
「でも前回のこともあるしなぁ」
 狸丸は前回、周辺の聞き込みをするうちに変なもの憑かれ、半月ほど帰宅できなかった。それを考慮すると、解決策の見つからない現場で聞き込みをさせるには抵抗があった。
「どうすっかな。もう放っておくか」
「清々しいな。理玄がそれでいいなら、それもいいんじゃないか」
 捻挫にヤケド、どれも軽症ではあったが実害を被っている。それを放っておくのはどうかと思うが、理玄にはどうにもできないのが現状である。
「朔馬たちに頼んでみるか?」
「それもありだろうけどな。しかしいきなり切り札を使うと、癖になりそうで抵抗はあるな」
 理玄は車に乗り込み、ドアを閉めた。
「朔馬たちに、また会いたい」
 狸丸はそういうと、甘えるように理玄の膝に顎をのせた。眉間をなでてやると、狸丸は満足そうに目を閉じた。
 狸丸は朔馬らに助けられた際に、身体を洗ってもらったらしい。それがよほど嬉しかったのだろう。少なくとも理玄は、狸丸の身体を洗った経験はない。そもそも洗おうという発想がなかった。
「しかしアイツらも暇ではないんだろ? 伊咲家の茶室には、どれくらい妖怪がくると思う?」
 深い事情は知らないが、朔馬は妖怪の駆け込み寺として、居候先の伊咲家の茶室を開放することになったと聞いている。
「鵺の被害がある程度おさまった今、伊咲家を訪ねる妖怪はそれほどいないとは思うぞ。妖怪にとっては、妖術を使う見鬼は天敵でもあるからな。鵺退治をした者なら尚更こわいだろう」
 狸丸はいった。
「でも門戸を開けば、案外色んなもんが集まってくるもんだよ」
「そうだとしても持ち込まれる問題は、朔馬ならすぐに解決できるだろ」
「頼もしいねぇ」
「理玄もそう思ったから、あの子らを雇ったんだろ?」
「まあね。しかし朔馬とあの双子って、どういう関係なんだろうな?」
「学友なんだろ? で、居候先」
「それだけなのかね? なんていうか、なんだろうな」
 朔馬は妙に双子を気にしていたように思う。しかしそれが、違和感といえるほどでもなかった。
「しかし十五歳か。あの頃の価値観とか、もうほとんど思い出せないな」
「そういうものなのか?」
「同じ人間といえど、別の生き物にさえ思えるよ」




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