数多の夏闇と一夜
第五章 【変な時間】 波浪

「この時間はやっぱり嫌な感じするな。深夜一時か」
 理玄は橋の欄干に手をかけていった。
 橋の下を覗くと、黒い影が浮遊している。
「鬼虚が無数にいる」
 朔馬はいった。
「対処できそう?」
「散らすなら、すぐにできるけど」
「なんか歯切れ悪くないか? 気になることでもあったか」
「理玄への依頼って、この橋で肝試しをした人間が、みんなケガをしたからってことなんだろ?」
「そうだ」
「人に影響を及ぼすほどの鬼虚じゃない気がする」
「そうなのか? でも、俺でもわかるほど、嫌な感じはするぞ」
「鬼虚の数が多いからね。でも橋なんて、みんなこんなものだろ」
「そうかもしれないけどね。肝試しをした四人がケガをしたのは、この橋は無関係だっていいたいのか?」
「そんな気がする」
 朔馬は再び橋の下をみつめた。
「橋の下というか、川の近くまで下りてみるよ。原因があるかも知れない」
 朔馬は「ちょっといってくる」と私を見た。そして「待っててね」と続けた。
「わかった」
私が答えると、朔馬はひょいと欄干を越えて、橋から飛び降りた。
「え、そんなこともできんの?」
 理玄は欄干から身を乗りだして叫んだ。
 先ほど朔馬は、真似をするなと私に釘を刺したのだろう。さすがにここから下りようとは思わないので、なかなか信用がないらしい。
「心配してるわけじゃないけど、無事なのか?」
 理玄は橋の下を見つめたままいった。
「たぶん大丈夫ですよ。こんな高いところから飛び降りるのは、初めて見ましたけど」
 私も橋の下を見つめていった。
「学校は明日、休みだよな? ケガしても大丈夫、なのか?」
「私は休みですけど、朔馬はどうだったかな。土曜日もたまに学校いくんです」
「そういえば、そんなこといってたな。三人で行動することもあんまりないんだっけ?」
「そうですね。家以外で三人でいることは少ないです。登下校も別々です」
「下校はわかるけど、登校も別なの?」
「私が一本早い電車でいってます」
「弟と同じ電車が嫌なの?」
「電車で立つのが嫌なんです」
「一本ちがうと、そんなに違うもん? まあ本数も多くはなさそうだが」
 私は一拍おいて「そうだと思います」と答えた。
 理玄も私も、その発言がおかしいことに気がついた。
 どうして私は凪砂と電車を別にしたのだろう? と自問する。
 凪砂と同じ電車で登校することが嫌だったのだろうか。
 私と距離をとっているように思えた凪砂を、無意識に避けていたのだろうか。そうだとしたら、自分は思っている以上に薄情な人間なのかもしれない。
 凪砂や毅が不機嫌な時は必要以上に近づかないようにするのが、自分なりの処世術であった。
 しかしここ数年、凪砂に距離をとられていると感じる間、私はただ悲しく、その事実を受け入れるしかなかった。
 きっと凪砂から、登校の電車を別にしようといわれたら深く傷ついたと思う。だから自分から離れたんだろうか。
 橋の下を見つめたまま静止していると、理玄が不安げに私を見た。
「あ、なにも見えないです。さっきと変わりません」
 私は顔を上げていった。
「本当? こっちに気を使わなくてもいいけど」
「いえ、本当になにも見えないです。ちょっと考え事してました」
「こんな時に、なに考えてたわけ?」
「最近、前みたいに凪砂と話すようになったなって」
「思いのほか、どうでもいいこと考えてたな」
 誰かの悲劇は誰かの喜劇だとか、そんな言葉を思い出した。
 自分なりに真剣に悩んでいたので、他人からするとそんなものだなと安心する。
「男の子なんて、家族と全然話さないヤツもめずらしくないだろ」
「そうなんですか?」
「そうだよ。凪砂は反抗期だったってことだろ? よくある、よくある」
 理玄は心底どうでもよさそうだった。しかしその口調がどこか毅に似ていたせいか、妙に納得してしまった。

「反抗期」
 そう呟いた後で、毅に「反抗期?」といわれたことを思い出した。その時も、凪砂とちがう電車で登校していると話していた時だった。
「そういう時期ってあるだろ?」
「私にはわからないですけど」
「そうだね、まあそうだよね。でも、そういう少年も多いって話だよ。多かれ少なかれ、家族が煩わしい時期ってあるんだよ」
 理玄がそういう間に、橋の下がふわっと発光した。
「どうした?」
「発光しました。朔馬がなにかしたんだと思います。あ、戻ってきた」
「は!?」
 朔馬は天空の糸を引いたらしく、橋の数メートル上空に放り上げられてきた。彼は空中で体をひねると、重力に逆らわずに着地した。


「なんなの、なにがどうなって、そうなったんだ? とにかく、大丈夫なのか?」
 朔馬はズボンのほこりを払うと「大丈夫」と短く答えた。
「鬼虚の他に、明確な何かがあるわけじゃなかったよ」
「ハロが発光したっていってたけど、なんなんだ?」
「鬼虚を一時的に散らしただけだよ。でも橋や川には色んな因縁があるから、また寄ってくると思う。やっぱり今回の依頼と、橋は無関係な気はする」
 朔馬がいうと理玄は「うーん?」と唸った。
「じゃあ、帰るか」
 理玄は思考を切り替えると、きっぱりいった。
「え、いいの?」
「うん、除霊の依頼分は働いたからいいわ。ありがとな」
 理玄が車に向かって歩き始めたので、私たちもそれに続いた。
「しかし、よくこの高さから飛び降りれるな。そういう術とかあんの」

「うん。いろんな術があるよ」
 朔馬の頭にどれほどの術が入っているのは、想像することも難しかった。

「バイト代って都度払いがいい? こっちとしては月末払いがありがたいけど」
 車に乗ると理玄はいった。
それが私へ向けられた言葉だと、理玄がこちらを振り返るまで気づかなかった。前回も、今回も、私は本当になにもしていない。しかしここで金銭の受け取りを拒否しても無意味に思えた。
「じゃあ、月末でお願いします」
「了解。そういえば、君らが俺のところでバイトしてるって公言しない方がいいよな?」
 朔馬は答えを求めるように、助手席から私をみた。
「親には許可をもらったんで、問題ないですよ」


「親にはなんていったの?」
「雲岩寺でバイトをすると」
「内容は聞かれた?」
「聞かれませんでした。時間は聞かれたんですけど、呼ばれたらいくといったら納得してくれました」
「寺でバイトって聞いたら、安心すんのかもな。俺が気にしてんのは、君らが見鬼であることを周りに知られない方がいいよな? ってことなんだけど」
「知られると不便ですか? 私の場合、見鬼だと自覚したのが遅かったので、最近まで誰にもいってませんでした。凪砂にも」
「そうなんだ? というか、生まれつき見鬼ってわけじゃないんだ?」
「はっきり自覚したのは、中学三年生の初詣でした」
「半年前か。そりゃ誰にもいわないか」


「あ、でも毅(たけし)にはちょっといいました。変なものが見えるって」
「毅か。だれ?」
「私と凪砂の幼なじみです。今は、朔馬のクラスメイトでもあります」
「なるほど」
「理玄は生まれつきなの?」
 朔馬は聞いた。
「たぶんな。でも今も昔も、君らほどはっきり何かがみえることは多くない。でも小さい頃は、変なこといって気味悪がられてた」
「変なこと?」
「他人が見えないもんが見えるとかいったら、怖がられたり、奇異な目で見られるんだよ。そういう経験があるから、さっきの提案したんだけど」
「見鬼の才があると、日本では気味悪がられるってこと?」
 朔馬はためらうことなくいった。全員が見鬼だというネノシマでは、わからない感覚なのだろう。
「多少な。でも俺も学習するから、中学になる頃には口にしなくなったよ」
「そうなんだ」
「今はこうして、飯の種の一つにしちまってるけどな。でも日本では、見鬼であることは秘密にしていた方が生きやすいと思う」
 理玄は息を吐いた。
「それに朔馬は、宮司から口止めされてるだろ?」
「口止めされたのは、ネノシマからきたことだけだよ」
「出嶋神社も案外ゆるいな。でも個人的な意見としては、見鬼であることは黙っておいた方がいい気はする」
「じゃあ、公言しないでください」
「だよな。そうしよう。凪砂にも連携しといて」
色んな苦労をしたのだなと、そう思わせる言葉だった。


「あ、コンビニ寄っていい? 親にチケットの発券、頼まれてたんだわ」
 私たちが「どうぞ」というと、理玄はコンビニの駐車場へ入っていった。
 暗闇に目が慣れていたので、コンビニの灯りは目を細めるほどには眩しかった。
「君らも降りる? トイレとか平気?」
 私たちが首を振ると、理玄はエンジンをかけたまま店内へ入っていった。
「チケットのハッケンってなんだろう?」
 その説明をしていると、理玄が「わるい」と車に帰ってきた。
「紙づまりか、なんかの不具合でちょっと長引きそうだわ。コレ食べて待ってて。悪いが、エンジンは切るぞ」
 理玄は私たちにカップアイスを渡すと、再びコンビニへ戻っていった。店内では発券機を前に絶望している店員の姿があった。私たちは溶ける前にアイスを食べ始めた。
「うわ。なんか、すごい味……」
 朔馬がこういう反応をするのはめずらしいことであった。
「なに味? 私は白桃だったけど、ちがう味?」
「えっと、黒ゴマ?」
 朔馬はコンビニの光でアイスのパッケージを確認した。黒ゴマ味のアイスについては、なんの情報もなしに口にしたら驚くかも知れないと納得した。
「食べられそう? 交換しようか?」
「かなり変な味だし、大丈夫だよ」
「それ、大丈夫じゃないでしょ。私は黒ゴマのアイス、嫌いじゃないからいいよ」
 朔馬は迷った後で「いいの?」と遠慮がちにいった。
「いいよ」
 アイスを交換していると、視界の隅で見たことのある人がコンビニに入っていった。
「あの子もいる」
 私がいうと朔馬もコンビニの入り口に視線を向けた。

「こんな時間なのに起きてるんだ」
「夏休みだからかな? それにしても変な時間だけど」
「あ、おいしい。コレ、さっきのより百倍おいしい。交換してもらってよかったの?」
「いいよ。アイスなら、なんでも好きだから」
 百倍おいしいといわれると、交換してよかったと思う。凪砂や毅とこういうやりとりをしても、感謝された記憶は皆無である。
「アイスなら、苦手な味ないの?」
「うん。チョコミントとか、あずきとか、なんでも好き。朔馬は? アイスなら何味が好き?」
 朔馬は悩んだ後で「それ以外なら、ぜんぶ好き」といったので、私たちは短く笑った。
「本当に口に合わなかったんだね」
「強いていうなら、さっぱりしてるアイスが好きかな」
「シャーベット系? ジュースを凍らせた感じの」
「そういうの好き。でもこれも美味しい」

「フルーツ系もさっぱりしてるもんね」
「なんで理玄は、その味選んだんだろう? なんか間違えたのかな?」
 よほど黒ゴマが口に合わなかったらしい。
「このシリーズはパッケージが似てるから、適当に取ったんじゃない?」
「なるほど。そういえば、このシリーズは高いけど美味しいって、凪砂がいってた気がする。理玄は守銭奴かと思ってたけど、そうでもないのかな?」
 理玄に対して同じ印象を持っていたので、朔馬の感想に同意であった。
「稼ぐのも、使うのも、どっちも好きな人なのかもね」



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