数多の夏闇と一夜
第六章 【尾裂】 理玄

 店内に戻ると、店員はどこかに電話をしながら、発券機と睨み合っていた。
 支払いは済んでいるはずなので「じゃあいいです」と店を去ることもできない。他の発券機で、発券済みとされたら、さらに面倒だからである。
 この状態なら立ち読みをしていても咎められないだろうと、理玄は雑誌コーナーへ移動した。
「こんばんは」
 漫画を読んでいると、聞きなれた声がした。
 顔を上げると、狐子が立っていた。
「変なところで会うな。このコンビニ、よく来んの? つーか夜行性だな」
「眠れないんで、ドライブしてました。もう帰りますけど、アイスでも買おうと思って」
 眠れない夜にドライブをしたくなるのはよくわかる。自分しかいない空間で運転をしていると、思考が気持ちよく分散される。好きな音楽をかけ、視界が常に変化する空間にいると、帰り時がわからなくなる。
「理玄さんは? お仕事の帰りですか?」
「そんなとこだよ。夏は繁忙期だからね」
 理玄は無意識に車の方に視線を向けた。狐子も自然とその視線の先を見つめた。
 朔馬がアイスを食べながら、後部座席の波浪と談笑している姿がみえる。
「ちょっと野暮用でね」
「夕方頃、泥だらけで駐車場にきた子たちですよね?」
「そうだよ」

――理玄と知り合いなら人外ってことはないんだろ?
――あの子が人間なのか自信はなかった

 狐子は間違いなく人間である。
 しかし彼らの言葉に思うところがあるのも事実である。
「高校生ですか?」
「高校一年生。泥だらけになるような高校生って、めずらしいよな」
 狐子と初めて会った時、彼女は高校生だった。そう考えると、三人とはだいぶ印象がちがうように思う。それは自分が大学生だったせいかも知れないし、それだけではないのかも知れない。
「アイスの交換してましたよ。なんだか、かわいい子たちですね」
 狐子はふわりと微笑んだ。
「交換? 同じアイス買った気がしたんだけどな」
 狐子と話していると、店員が「直りそうです」と声をかけてきた。理玄は店員に返事をして、狐子と別れた。
「そのうち動き始めますので」
 店員はそういうと、さっさと自分の仕事へ戻っていった。
 発券機を前にしばらく待っていると、ブブブと紙を吐きだしはじめた。その後、頼まれたチケットをは無事に発券できた。理玄はようやくコンビニから出ることができた。



 コンビニをでると、息苦しいほどの暑い空気にむせそうだった。
 狐子の車は、すでに駐車場にはなかった。田舎ではよくあることだが、知り合いの車は覚えてしまうものである。理玄が発券機が動き出すのを待っている間、会計を済ませて帰ったのだろう。
「お待たせしました」
 車に戻ると二人は「おかえりなさい」と声をそろえた。
「アイス、ごちそうさまでした」
 波浪がいうと、朔馬も「ごちそうさまでした」と続いた。
「いえいえ」
「あの子もコンビニ来てたね」
 朔馬はいった。
「来てたな。眠れないんでドライブだってよ」
「こんなに遅いのに?」
「そういう日もあんだろ。君らは眠くないわけ?」
「特に眠くはないかな」
「私は昼寝したんで眠くないです」
「そうかい。あ、アイスのゴミある?」
「コンビニのゴミ箱に捨てました」
「おー、ありがとね」
 理玄がソレに気づいたのは、ハンドルに手を置いた時だった。
 左腕に、赤いみみず腫れが浮かび上がっている。
 理玄が左腕を見つめていると、朔馬が「どうした?」と聞いた。
「みみず腫れができてんなと思って」
 そのみみず腫れを見て、なにかを思い出しそうになっていた。
「あ、俺もだ」
「は?」
「私もです」
「え?」
 波浪は後部座席から、ぬっと細い腕を出した。
 三人の左腕には、理玄と同じ赤いみみず腫れが刻まれていた。
「橋にいったからか?」
「なにかついてきた気配はないから、ちがうと思う」
 朔馬は左腕を凝視した。
「これは尾裂(おさき)、かな?」
「オサキ?」
「この赤いみみず腫れ、尾が裂けてるキツネに見えない?」
 いわれてみれば、そう見えなくもなかった。
「みみず腫れの正体が尾裂なら、俺たちは一時的に呪われたことになる。でも、大したことないよ」
「えぇ……」
 朔馬があまりにあっさりいうので、間抜けな声がでた。
「放っておいても、ちょっとの不幸が降りかかる程度だよ」
「いや、気になるだろ。嫌だろ、普通。な?」
 理玄は波浪に同意を求めた。
「そうですね。嫌ですね」
 彼女も「気にしない」と答えたら、どうしようと思っていたので内心ほっとした。
「ちょっとの不幸って、どんななの?」
「ちょっとケガする」
「絶対嫌だわ」
 そういった後で、一つの答えが理玄の中に点灯した。そしてそれは二人にも伝染したようだった。
「四人の依頼も、原因はその尾裂だった可能性があんのか?」
 理玄は腕を見つめていった。
「しかし、なんだって急に呪われたんだろうな?」
「四人の件はわからないけど、俺たちの場合はこのコンビニか、あの子が原因じゃない? というか、あの子じゃないか?」
 嫌な予感が全身をなでた感覚があった。
「俺はともかく、君らは呪われるようなことしてないだろ?」
「理玄、あの子になんかしたの?」
「してないけども! 人って、どこで人を傷つけてるかはわかんないだろ」
 朔馬は「そういうことか」と納得した。
「依頼の四人は? あの子に会う可能性がある人たちだった?」
「すれ違うとか、見かける程度なら、充分可能性はあると思う」
 依頼をしてきた四人は、狐子と同じ大学、学部であった。狐子自身は大学院生であるが、キャンパスで顔を合わせる可能性は充分にある。
「でも、見た、見られたくらいで呪われるのか?」
 否定したい気持ちは存在する。しかし強く否定できない理由が、理玄にはあった。
 理玄が考えごとをしていると、朔馬はそれを察したのか「とりあえずこの呪いは解いておこう」といった。
「呪い除けの呪陣は、教えてもらってる?」
 朔馬は波浪をみた。
「それっぽいのは、いくつかあるよ」
「いいね」
 波浪は自らの左腕を見つめ「呪陣を使うなら、車内はじゃない方がいいと思う」と顔を上げた。
 朔馬は理玄に視線を向けて「それもそうか」といった。
「俺になんかあんの?」
「呪術は場の力を使うんだ。だから俺にも、理玄にも、影響があるかも知れない」
「場の力ってのに、俺たちも含まれるってことか」
「その可能性が否定できないだけだよ」
「それならもっと、ひらけた場所に移動するか?」
「車から出れば、それで充分です。この駐車場で問題ありません」
 波浪が断言したので、三人は車から降りた。
 波浪は後部座席のドアの前に立ちすくみ、左腕を指先でなでているようだった。
「呪いに関しては、俺よりハロの方が得意分野なんだよ」
 助手席から回ってきた朔馬はいった。
 こういう事象に関して、双子が朔馬よりも秀でている分野があると思っていなかったので意外である。
「消えた」
 波浪は左腕をこちらに向けた。
 赤いみみず腫れは、跡形もなく消えていた。
「本当だ」
 理玄と朔馬は「お願いします」と波浪に左腕をだした。波浪の指先が左腕に触れると、そのみみず腫れはすぐに消えた。なにをするのか凝視していたつもりだったが、理玄にわかったことは一つもなかった。
 みみず腫れの消えた腕を見つめ、理玄は深く息を吐いた。
「思い出したことがあるんだ」
 二人の大きな目が理玄に向いた。
「俺は、このみみず腫れと同じものを見たことがある。その時も、あの子と会った後だったよ」
 狐子とは週に一度、顔を合わせている。それ以外も、今夜のように顔を合わせる機会は時々存在する。
 しかし狐子の笑った顔を見たのは、久しぶりであったことを思い出す。

◆◆

 狐子と出会ったのは、理玄が大学三年生の春だった。狐子は当時、高校生であった。
狐子の父、宇彼(うかの)清二(せいじ)はひどく痩せた男だった。もしかしたら当時から、患っていたのかも知れない。
 宇彼清二は、理玄の亡き父の旧友だったらしい。彼は近くに引っ越してきたからと、雲岩寺へ墓参りにきてくれたのだった。
理玄の亡父の墓参りを終えると、母は二人を庫裏(くり)へ招いた。しかし狐子は境内を見ているからと、それを辞退した。狐子は今よりも、ずっと無口だった。
 宇彼清二は「すみません、いつもあんな感じでして」と頭を下げた。彼は母と話すうちに、引っ越しの理由の一つに狐子の進学を挙げた。
狐子は中学から離れた高校を受験し、そして合格したのだった。狐子が遠くの高校を受験したのは、周りにうまく馴染めなかったせいだろうと、彼は推測していた。
狐子の周りでは、幼い頃から友人のケガや病気が多かったと彼はいった。
 死亡事故こそなかったが、入院に至るケガをした者なら両手で足りないという。たまたまというには、その数は多すぎた。
 狐子はその事象を、自分のせいだと思い込んでいる。そして彼自身も、その可能性を疑っているようだった。
 実際にケガをした者の多くは当日、もしくは前日に狐子となんらかの接触をしている。それだけのことであるが、狐子が無関係であると、誰もが強く否定できなかった。

 それからは時々、宇彼清二は狐子を連れて雲岩寺へ訪れるようになった。狐子の厄払いの意味も兼ねていたのかも知れないと今なら思う。しかし何度雲岩寺を訪れようとも、狐子は庫裏に入ることはなかった。父を待つ間、彼女はふらふらと雲岩寺の庭を散歩するだけであった。
 狐子に声をかけたのは、冷たい雨が降る午後だった。
 大学から帰ると、狐子はいつものように一人で庭に佇んでいた。
「寒くないの? 中、入れば?」
理玄の言葉に狐子は静かに首を振った。
 会話をしたことはないが、互いに顔を知っているので警戒されている様子はなかった。
「大丈夫です。ありがとうございます」
 狐子は短くいった。
 理玄と関わる気はない意志だけは感じられた。
 少し前の自分を見ているような、そんな気にさせられた。そう思ってしまうと、狐子と関わるのは気楽だった。こういう人間は周りを気にしているようで、自分にしか興味がないことを理玄は経験から知っていた。理玄は狐子を見かけると、なんとなく話しかけるようになった。
理玄は聞かれてもいない寺の歴史をつらつらと話し続けた。狐子は相づちもほとんどしなかったが、理玄の話を真剣に聞いている気配があった。そのため理玄はいつまでも話を続けられた。
「三百年、ですか?」
 その日も寺の歴史を狐子に話していた。しかしその日はめずらしく、狐子は言葉を発した。
「木造の建物が、そんなにもつんですか?」
「そんなにめずらしくもないよ。補修してるけど、法隆寺なんか千年以上健在だろ」
 狐子はなにかを考えているようだった。
 その無言の時間は長かったように思うが、苦にはなからなかった。狐子が長考していることが感じられたからである。
「木造の家が、一番頑丈ってことですか?」
「いや? コンクリート造の方が頑丈なんじゃない? でも長持ちするのは木造、か?」
 どういうことなのだろうと、二人は首を傾げた。
 その時、狐子が控えめに笑ったことを覚えている。笑った顔をみたのは、その時が初めてだった。
 理玄の左腕にみみず腫れがでたのは、その夜のことだった。
 そしてその日以降、彼女は何年も雲岩寺を訪れることはなかった。

 宇彼清二の葬儀を執り行ったのは、理玄が二十五歳の時だった。
 高校生だった狐子も二十歳を過ぎ、大学生になっていた。狐子は父の遺産を相続し、彼の生命保険金も問題なく受け取れたということである。
 しかし父と過ごした家は、狐子が一人で住むには大きすぎるらしく手離すことにしたようだった。事情を知っていた理玄の母が、狐子を紫雲荘に招いたのは必然だったように思う。
 狐子が紫雲荘に住むようになって三年が経つ。
 それからは週に一度、顔を合わせる生活になった。もう三年になるのかという思いと、まだ三年かという感覚がある。

◆◆

「一度目のみみず腫れの時は、ケガしたの?」
 朔馬はいった。
「なにもなかったよ。というのも、凶兆な気がしたんでな。護摩を焚いたり、色々してみたんだわ。そのうちに、いつのまにか消えてた」
 当時も、このみみず腫れは狐子の影響かもしれないと疑ったように思う。しかし、深く考えることはやめてしまった。
「さっきのみみず腫れがあの子のせいだとしたら、解決策ってあんの?」
「あの子のせいというか、尾裂のせいだな。尾裂は主人の意図とは無関係に動くんだ。おそらくあの子は、狐持ちとか狐憑きとか呼ばれる人間だよ」
 聞いたことがある言葉が出てきたので、この奇怪な現象に現実が近づいてきたように思えた。
 理玄は呼吸を整えた。
「本人のいないところで、こんなことをいうのは気が引けるんだが、あの子の周りではケガが多いとはいわれてたらしい」
「狐持ちの周りにはよくあることだよ」
 朔馬はさらりといった。狐子が狐持ちであると、すでに確信している様子である。
「でも、ちょっとの不幸というレベルじゃない気はするけどな。入院した子も多くいたらしい」
「尾裂が狙った相手が子どもなら、入院しても不思議ではないよ。大人にとってはなんでもない病気やケガでも、子どもはそうじゃないし」
 理玄からすれば朔馬たちも充分子どもである。しかし彼のいうことは最もな気がした。
「尾裂に憑かれた人はどうすりゃいいんだ?」
「あの子自身のこと? それはどうにもできないかな。契約解除ができれば、それで話は終わりだけど」
「契約解除? なにそれ?」
「尾裂は勝手に人に憑くことはないよ。あの子の場合おそらく、家に憑いてる尾裂だと思う。きっと祖先が尾裂と契約したんだ」
「なんで契約なんてすんの?」
「尾裂が憑いた家は、お金に困らないとされてるから、契約したがる人も多いんだよ」
 いわれてみれば狐子がお金に困っている様子はなかった。
「金持ちにはしてくれるけど、幸せは保障しないってことだろ? そんなのすぐに契約解除されるんじゃないか? 簡単に解除できないのか?」
「契約内容によると思う」


「じゃあ尾裂との契約解除は、絶対に不可能ってことでもないんだな」
「本人が望めば可能だよ。依頼があれば対応するけど、本人から依頼されることはないだろ?」
「そうだな。本人は、自分を狐持ちだとは思ってないだろうからな」
 狐子が自らの体質について相談してきたのは、彼女が高校生の時、一度だけである。その際に理玄にはどうにもできない問題なのだと、すでに見切りをつけられているはずである。今後、狐子からそういう相談をされることもないだろう。
「他者が勝手に、尾裂との契約を解除することはできないよ」
 朔馬はきっぱりいった。
「でも、これだけ尾裂が活動的なのに、その姿が見えないのは少し妙だな」
 朔馬は「みえた?」と波浪に聞いたが、彼女は首を振った。
「少し妙なのは確かだから、身辺には気を付けて」



 両親や誰かが気付くかも知れないからと、理玄はいわれるがままに二人を伊咲屋近くの道端に降ろした。
 どこからが伊咲家の敷地なのか、理玄には見当がつかない。ただ、とんでもなく広いことだけは想像に難くない。
 夜にみると、さらに趣のある旅館である。
 旅館の窓はまばらに灯がある。おそらくこの旅館に泊まる者の多くは、この辺の者ではない。宿泊者は少なからず、非日常を楽しみにここへきているはずである。ここで日常を過ごす者は、よそ者にとっての非日常の中にいる。
 この辺一帯は、そんな不思議な場所である。




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