数多の夏闇と一夜
第七章 【バス停】 波浪

 終業式は午前中で終わり、夏休みとなった。
 高校で初めて渡された通知表には、順位がついていた。
「総合で七位か。すごいな」
「ハロはすごいな」
 凪砂と朔馬は、私の通知表を見つめながらいった。
 両親がなんでも大袈裟に褒めてくれる中で育ったので、私たちは褒められ慣れているし、褒め慣れている。そしてそれはしっかり朔馬に伝染しているようである。
「女子部って、何百人いんの?」
「四百人くらい?」
 私は二人の通知表を見つめながら適当に答えた。凪砂もその問いにそれほど興味はなかったらしく「へぇ」とだけ返した。
 凪砂の総合順位は十四位で、朔馬が三十五位であった。この数字を見て、改めて進学部のレベルの高さを思い知る。凪砂は中学では常に一桁の順位であった。
「進学部は何人くらいだっけ?」
「九十人ちょいだったかな。百人いかないくらい」
 つまり朔馬の順位は真ん中より上である。彼の本業はおそらく「高校生」ではないので、学校の成績はそれほど重視していないのだろう。
「そう考えると、毅の九位ってすごいね」
「なんで毅の順位しってんの?」
「透子にも私にも、通知表の画像送られてきた。私も送ったら、女子部のレベル低いって煽られたけど」
 凪砂は「いいそう」と笑った。
 実際に毅のいう通りである。私は中学で一桁の順位を取ることはほとんどなかったので、色んなことを勘違いしないように気をつけようと思った。
「朔馬は、宮司さんに通知表送るんだっけ?」
 そういえば理玄のところで、そんな電話をしていたように思う。
「うん。後で封筒買ってくる」
「郵送するの? 通知表って、テストの成績表と違って使い捨てじゃないから、画像でいいんじゃない?」
「捨てちゃダメなんだ?」
 二人に通知表を返すと、凪砂も私に通知表を返した。
「新学期に担任に返すという、謎のシステムなんだよ。あ、保護者の印鑑が必要か。夏休みが終わるまでに、宮司と相談したらいいかも」
「この成績だと、苦言を呈されるかな」
「宮司って、朔馬に対してそんな権利あるの? 学費払ってくれるとか、そういうスポンサーでもないんだろ」
「でも日本における諸々の責任は、宮司に一任されてるみたいだよ。高校に来る前は、色々してくれたし」
「制服の準備とか?」
「予防接種とか、色んな検査とか」
 そういうものに関してはネノシマの意向というより、宮司の独断なのだろう。朔馬が宮司に恩のようなものを感じていても、不思議ではないように思える。
「成績は平均以上なんだし、なにかいわれることもないだろ。英語については、科目自体がネノシマになかったんだろ? むしろよくやってると思うけど」
 ネノシマの教育水準は不明であるが、英語という科目がなくても納得である。そもそも鎖国している国である。
「英語は暗記してるだけだよ」
「俺も同じだよ」
 私も同じである。
「夏休みの間に、ゆっくり勉強できたらいいんだけどね。朔馬は俺たちのバイトに付き合ったり、茶室の依頼を受けたり多忙だからな。そういえば、四人の大学生も、尾裂のせいでケガをしたってことで確定?」
 午前中、理玄から連絡がきていた。
 肝試しをした四人にも、みみず腫れが現れていたことを確認したという内容であった。
「そう思う」
「でも朔馬とハロは、あの子と会話もなにもしてないんだろ? 見られただけで、呪われるって強烈すぎるだろ」
「昨日、理玄にも似たようなことをいわれたから、少し考えてたんだけど。もしかしたら鵺の影響かもしれない」
「鵺って、そんなに周囲に影響を及ぼすの?」
「人間には特にね。凪砂の見鬼の才が、目覚めたきっかけも鵺だったと思うし」
「そういえば、そうだな」
「理玄は鵺に噛まれたわけだし、あの辺に鵺がいたことは確実なんだ。でも鵺がどれくらい妖怪に影響を与えるのかは、いまいちわからないな。種類にもよるだろうし」
「種類ね。そういえば尾裂ってキツネなんだろ? あのキツネたちに聞いてみる?」
「そういう手もあるな。でもそれなら、妖狐に聞いてみようかな。答えてくれるかわからないけど」


 入れ替わりの件でお世話になったせいあり、朔馬と幡兎神社に顔を出すのは、なんとなく私の役割になっている。
バスのエアコンで冷やされたせいか、幡兎神社はいつも以上に気温も湿度も高く感じた。
「毎日ご足労いただき、ありがたいことです」
 兎国神は深々と頭を下げた。
 私も頭を下げて、和紙に包んだお米を兎国神に渡した。兎国神は恐縮しながらも「ありがとうございます」と、小さな手でそれを受けとった。
「こちらこそ妖狐の居場所になってくれて感謝してるよ。妖狐は今、眠ってる?」
「どうでしょうか?」
 兎国神はごそごそと袖を探った。そして妖狐の依代である、人型の和紙を取りだした。
「起きてるか? 聞きたいことがあるんだ」
「うるさい。なんの用だ?」
 妖狐は朔馬の呼びかけに反応した。
 幡兎神社の相性は悪くないらしく、妖狐は順調に回復しているようである。しかし日中であるせいか、妖狐は依代に入ったままであった。
「鵺って、尾裂に影響を及ぼすことってあると思う?」
 朔馬は前置きなく質問した。
「尾裂? 人に憑いている尾裂なら、かなり影響を受けるだろうな」
 妖狐は即答した。
「かなり、か」
 朔馬は確認するようにいった。
「人間は昔から鵺を嫌うからな。人に憑いた尾裂の近くに鵺がいれば、敏感になったり、凶暴になるのが普通だ」
 人間が鵺を嫌うのかはわからないが、いい予感のする名ではないように思う。
「なんだ? 近くに尾裂がいるのか?」
 朔馬は私をみた後で「いる」と妖狐にいった。
「鵺の影響を受けている尾裂は、それなりに厄介だろうな」
「対処法を知らないか?」
「知っていても、教える義理はない。ただ、そうだな。その尾裂をつれて、あの稲荷社にいってみるといい。なにか、わかることがあるかも知れぬぞ」
「あの稲荷社って? お前が傷を癒していた稲荷のことか?」
「そこではない。雲岩寺のふもとにある稲荷社だ。せいぜい、苦労しろ」
 妖狐は電話を切ったように、それ以上はなにも話さなくなった。



「尾裂に、鵺が影響してるのは確定かな。依頼されたらといわず、尾裂を見つけ次第、対処しようかな」
 兎国神と手を振り合った後、朔馬はいった。
「どんな風に対処するの?」
「鵺の影響が落ち着くまで、憑いてる人間から離してみる。問題あるかな?」
 朔馬は私をみた。
「その辺のことは私にはわからないけど、でもそういうことをするなら、念のため理玄には連携した方がいい気がする」
 朔馬は思考するように視線を浮かせた。
「今から、雲岩寺にいってみようかな」
 朔馬は確認するように、再び私を見つめた。
「それもいいと思う。でも、訪ねる前に連絡してみた方がいいかも」
 朔馬は「そうだね」とポケットを探った。
「こういうのって自分たちから関わり始めたら、きっとキリがないよね」
 彼は画面に目を落としたまま呟いた。
「そうかもしれないけど。知ってしまったら、無視する方が難しいかも知れない」
 朔馬は「うん、そうかも」と、自分を納得させるようにいった。
「あ、理玄宛てじゃなくて、四人のところに送っちゃった」
「凪砂にも伝わるし、ちょうどいいよ」
「理玄も仕事中だろうし、すぐに返事はこないかな。俺は宇月山の様子でも見てこようかな」
「宇月山なら、このままバスでいったら?」
「今から乗るバスって、駅が終点じゃないの?」
「駅方面じゃなくて、ここまで乗ってきたバスは宇月山にいくと思うよ」
 あまり自信がなかったので、端末でバスの路線図を確認した。調べると、宇月山東側と西側というバス停が存在した。
「本当だ。西側で降りればいいかな」
 帰りは別の路線の方が帰りやすいので説明しようと思ったが、着いていった方が親切だろうと思い直した。鵺に関することなので、断られるかと思ったが朔馬は私の提案を受け入れた。

 宇月山へ向かうバスの中で涼んでいると、思ったより早く目的地についた。
 バスを降りた途端、むせ返るような暑さが全身にまとわりついた。
「案内してもらってなんだけど、鵺が山の中にいるかもしれないから、ここで待ってて」
 私はバス停のベンチで彼を待つことにした。今は日陰を作ってくれる時間帯ではないらしく、ひたすら暑かった。
 朔馬を待つ間、用もないのに携帯端末に触れていると、画面上部に通知が現れた。朔馬へ向けた、理玄からの返信であった。
 本日なら、いつ雲岩寺にきてもかまわないとのことである。繁忙期だといっていたが、本日はそうでもないらしい。もしくは朔馬を優先してくれているのだろう。
 ここから最短で雲岩寺にいける経路を調べると、結局バスが良さそうであった。
 しばらくすると朔馬が「お待たせしました」と戻ってきた。鵺の捕獲はできなかったが、手応えはあったようである。
「なんとなくだけど、今週中には罠にかかりそうな気がする」
 理玄から返信がきたことを伝えると、朔馬もそれに目を通した。
「このまま雲岩寺にいくなら、乗り換えはあるけどバスがいいと思う。でも、だいぶ走ったよね? 帰って、ひと休みする?」
 そうはいったが、朔馬自身は涼しげな顔をしていた。
「このまま雲岩寺にいってもいい?」
 その確認には、着いてきてくれるのか? という意が込められていた。私はすぐに承諾した。
 理玄には、私と朔馬が雲岩寺に向かうこと、そしてだいたいの到着予定時刻を伝えた。
 理玄からはすぐに、返信がきた。
あの子も雲岩寺に呼んでみる、とのことであった。



 私たちは雲岩寺道というバス停で、バスを降りた。
 雲岩寺道は、雲岩寺へ続く坂道のふもとに存在するバス停である。雲岩寺の最寄りのバス停は、雲岩寺前というバス停である。しかしその路線については二時間に一本程度しか走行していない。そのためバスで雲岩寺へいく場合は、雲岩寺道を利用する者が多いだろうと想像する。
 バス停から雲岩寺へ歩き始めると、私はほどなく変な汗をかき始めた。
 体調がおかしいかもしれない。
 そう意識すると、後頭部がじんじんと痛んでいることにも気付く。バスの強烈な冷房と、外の暑さによる一時的な体調不良だろうと結論づけてみた。しかし、なにを考えても体調が良くなるわけではなかった。
「朔馬。ごめん。ちょっと、体調がおかしい」
 ちんたら歩いていたが、私はとうとう足を止めた。
「え、大丈夫?」
「少し休んでれば、大丈夫」
 朔馬は心配そうに「背負っていこうか?」といった。
 雲岩寺へ続く坂道を、私を背負って進むのは困難に思えるが、朔馬なら出来るのかもしれない。しかしその申し出は丁重に断った。勝手についてきた上に、迷惑をかけるのは嫌だった。
 私は朔馬に促され、日陰に座った。朔馬は「ちょっと待ってて」と、どこかへ走っていった。
 目を閉じても目が回る感覚があるので、早めに座れてよかったと思う。痛みを吐くように呼吸をしていると、朔馬が飲み物を買ってきてくれた。
 私は礼をいってそれを受けとった。
「ありがとう。本当に、少し休んでれば大丈夫だと思う」
「でも、顔が真っ青だよ。ちょっと理玄に電話してみる」
 申し訳ないと思いつつ、それを阻止する元気はなかった。
 朔馬は「でない」といってスマホを見つめた。ふと見上げたその腕には、先日みた赤いみみず腫れがあった。
「朔馬、腕」
 彼は自らの腕を見つめたあとで、私の左腕を指した。私の腕にもみみず腫れが存在していた。
「尾裂が、どこかにいるのかな?」
 朔馬は端末をポケットにしまうと、注意深く辺りを見渡した。結局理玄は電話にはでなかったらしい。
 私は以前と同じく、自らの腕に呪陣をかいた。みみず腫れが消えると、体調の悪さもだいぶ軽減した。
「あ、だいぶ楽になった」
「ほんと? ならよかった」
 朔馬に手を伸ばすと、彼は「お願いします」と私に腕を預けた。
「ありがとう。あの子が、そこのアパートに住んでるなら、窓から俺たちが見えたのかな」
 朔馬は目と鼻の先にあるアパートを見つめた。
「もしくは一度呪いを受けたせいかな。近寄ったら、なにもせずとも尾裂の攻撃対象なのかも」
 朔馬は色んなことに思考をめぐらせているようだった。そうしている間にも、理玄に告げた雲岩寺到着時刻は迫ってきていた。
 体調はだいぶ良くなったが、雲岩寺までの坂道をのぼりきる自信はまだなかった。
もう少し休んでから雲岩寺にいくというと、朔馬は再び不安げな顔を向けた。
「でも一人じゃ心細いだろ」
「こっちから持ちかけた約束だし、待たせたら悪いから。本当に大丈夫。あとからゆっくりいくよ。なにかあったら、すぐに連絡するから」
「理玄に会えたら、車で迎えにきてもらおうか?」
 私は「大丈夫」とくり返した。
 朔馬は迷いながらも「ずっとイヤホンしておくから、なにかあればすぐに電話して」といった。
 彼は何度か振り返り、雲岩寺へ走り出した。
 朔馬の姿が見えなくなったことを確認すると、私は深く息を吐いた。先ほどより楽になっているのは事実であるが、多少の気だるさがある。無理をする必要もないので、しばらくその場でぼぅっとしていた。
 朔馬に買ってきてもらった飲み物を持ったまま、再び目を閉じる。眩暈がないことを確認して、それほどの問題はないと確認する。
 ジワジワと鳴く蝉の声に耳を澄ませていると「あの」と、遠慮がちに声をかけられた。
「あの、大丈夫ですか?」
 こちらをじっと見つめるその瞳に、なにも読みとれない表情に、うるさかった蝉の声が遠のいた。



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