彼女たちのエチュード

◆第五章【コンビニ】波浪

 私は朔馬のロードバイクを借りて、理玄との待ち合わせ場所に向かった。
 朔馬のロードバイクといえど、正確には朔馬が毅から借りているロードバイクである。毅はロードバイクを買ってもらったはいいものの、それをほとんど使用していないことを親にチクチクいわれていたらしい。
 朔馬が自転車を所有していないことを知ると、毅は嬉々としてそれを朔馬に貸し出した。手に入れる前はやたら大袈裟に騒ぐが、手に入れた途端に興味が薄れることはよくあることである。しかし今回に限っては金額が今までの比ではなかったので、小言をいいたくなる親の気持ちもわからなくもない。
 正確な金額は知らないが、値段が張るだけあって通常の自転車より三倍くらい速いように感じる。
 私はロードバイクでぐんぐんと朝の町を駆けた。
 よく知らない朝の町を走っていると、なんだか遠足に来たような、そんなお得な気持ちになった。楽しいという気持ちだけでロードバイクを漕いでいると、思ったより早く目的地に着きそうだった。あまり自覚はないが、私は身体を動かすことが好きなのである。
 理玄との待ち合わせ場所は昨日の空き地のため、日陰がないことは想像できる。私は集合時間が近づくまで、コンビニで休むことにした。
 店内はほどよく涼しく、私はイートインスペースで買った飲み物をあけた。
 駅前といっていい場所にあるコンビニであるが、店内はゆったりと時間が流れていた。
 飲み物を飲んでぼんやりしていると「伊咲さん?」と、遠慮がちに声を掛けられた。視線を向けると、白桜高校の制服を着た武藤《むとう》歌衣《かい》の姿があった。
 同じ高校に通っているといえど、彼女と会うのは卒業式以来である。
 私たちは再会を懐かしんだ後、互いに「なんでここにいるの?」という話になった。
 私はこの近くで人と待ち合わせをしており、それまで時間を潰しているのだと答えた。
「私は今、おじいちゃんの家でお世話になってて。だから、しばらくここから学校に通ってるの」
 彼女はそういうと、ちらりと時計を見た。
 電車の時間が迫っていることは想像に難くない。
「時間、大丈夫?」
「うん、十八分の電車なの」
 現在は十一分なのでそれほど余裕があるようには思えなかった。
 武藤さんはこの場に残される私を不憫に思ったのか、別れを告げにくそうな感じであった。
「あの、聞きたいことがあって」
私は黙って彼女の言葉を待った。
「なんていうか、変な意味じゃないんだけど。伊咲さんって、ネノシマとか、そういうものが見えたりするの?」
 彼女はとてもいいにくそうにいった。
 不意打ちだったので、私は「うん、少し」と即答してしまった。
「ごめんね。ちょっと、北川くんからそんな話を聞いた気がして、少し気になってて」
 武藤さんは再度「ごめんね、変なこと聞いて。あの、またね」と、足早にコンビニを去っていった。
 その姿を見て、昨日の夜に毅は武藤さんについて何か言おうとしていたことを思い出した。
 毅には私がそういうものを見ていることは、ずっと以前に話したことがある。内緒にしてほしいとは言わなかったが、毅は誰彼構わずそういう話をするタイプではない。おそらく毅なりに、まっとうな理由があったのだろう。
 しかしそれを一人で考えていても、答えは出そうになかった。
 私は早々に思考を放棄し、理玄との待ち合わせ場所に向かった。



 待ち合わせ場所の空き地に到着すると、五分もせずに理玄が原付きでやってきた。棚経にいく際は、駐車に困らない原付きで移動しているらしい。
「こんな日陰のない場所で待ち合わせにしちゃって悪いね」
 理玄はそういってヘルメットを取った。
「大丈夫。さっきまで駅近くのコンビニで涼んでた」
 昨日狸丸は「起きられたらいく!」といっていたが、やはり起きられなかったようである。
「ここから原さんちまで、徒歩五分ってところだな」
「ここから朧面《おぼろめん》つける?」
 私がいうと、理玄は「そうだなぁ」と静止した。
「俺は朧面をつけた状態だと一瞬で目視できない場合が多いから、ここから朧面つけてもらった方がいいな」
「わかった」
 私は手のひらを顔に近づけて、親指と中指でこめかみに触れ、朧面を発動させた。
「やっぱり見えないわ。ちょっと待ってて、そのうち見えるようになるから」
 理玄はこちらを凝視した。
 朔馬は朧面という術を教えてくれる際に、隠し絵のような術であると説明してくれた。
 見鬼でない者に関しては、朧面をつけた状態だとほとんどの者が視認できないようである。理玄は半分見鬼のようなものであると思っているので、微妙なところなのだろう。
「あー、見えてきたかも。ちょっと右手あげてみて」
 私は言われた通り右手をあげてみた。
「よし、見えた。見えたぞ」
 一度見えるようになると、その後は目視に困らないらしいので、本当に隠し絵のような術なのだろう。朧面をつけていると、その者の存在すべてが朧気になるということである。
「声は?」
 私はいった。
「なんか話したよな?」
 口の動きが見えたのか、音として私の声を認識したのかは謎である。
「聞こえる?」
 私は再度確認した。
「聞こえた。大丈夫そうだな。俺も気をつけるけど、道路を歩く時はいつも以上に気をつけてな。凪砂たちにはいったけど、朧面つけてる時は無灯火運転とは同じだと思って」
「わかった」
「いこう」
 理玄は当然のように大人で、私たち以上に色んな経験をしている。
どんなに奇妙な状況においても、理玄の助言は聞くべきであると私たちは感じている。
「タヌキは、離れみたいな場所にいるっていってたよな。ピアノ部屋のことかもな」
「ピアノ部屋?」
「原さんはピアノ教室の先生なんだよ」
「昨日、朔馬もいってたけど、勝手に入っていいのかな」
 理玄は私を一瞥した後で「そうだなぁ」といった。
「前回は勝手に入ってもらったけど。あれは妖怪に困ってる正式な依頼だったしな……まあ、その辺はお姉ちゃんの判断に任せるわ」
 理玄は無責任にいった。しかし実際に、理玄にはなんの責任もなかった。
 こういうところが大人らしくないというか、私たちと対等でいてくれる所以なのかも知れなかった。

 私はどうしたものかと考えつつも、理玄とともに原宅の敷地に足を踏み入れた。
 理玄が敷地に入ってくることが見えたのか、夫人が縁側から顔を出してこちらに頭を下げた。私は反射的に理玄とともに頭を下げた。
「俺がここで時間を取れるのは、最大で三十分」
 理玄は私に小さくいった。
 それから理玄は「おはようございます」と、愛想のいい笑顔で原宅の玄関を開けた。
 私はその背中を見送り、離れであるところのピアノ部屋の様子を見ることにした。
 玄関に続く石貼りは分岐しており、その分岐には折り畳み可能な立て看板がある。そこには「ピアノ教室」という文字と矢印が描かれてある。
 私はピアノ部屋の周りをぐるりと一周し、妙な術や嫌な気配がないことを確認した。勝手に入っていいのかと聞いたものの、ピアノ部屋もしっかりと施錠がされてそうである。掃き出し窓はカーテンが閉じられていたが、北側にある出窓からは室内の様子が見ることができた。
 室内にはグランドピアノと二人掛けのソファーが置かれている。その他には、本と楽器が並ぶ棚があるだけである。当たり前であるが、ピアノを弾くことだけを目的とした部屋のようである。
 ピアノ部屋の様子を出窓から見つめただけであるが、私の目的はあっさりと達成された。
 ピアノの椅子に黒いクッションが置かれていると思ったが、それはタヌキであった。断言はできないが、先日茶室に訪れた狸囃子と同種のように思えた。
 声をかけてみようにも、驚かせる気がしたのでやめることにした。万が一にも逃げ出した場合、私はそれをどう静止していいのかわからない。
 しかしそうすると、私がここに来た意味はほとんどない。人様のピアノ部屋の室内を写真におさめていいものか迷ったが、結局は携帯端末で眠っているタヌキを撮影した。
 そうしているうちに、玄関の方から「こちらのピアノ部屋なんですが」と声がした。
 理玄と夫人が、こちらに向かってくるようである。身を隠そうと思ったが、その必要はないとすぐに思い直した。
 理玄と目が合うと、彼は私に小さく手招きをした。
「狸丸がいった通り、ピアノ部屋にタヌキがいた。狸囃子たちと関係があるタヌキな気がする。赤丸と関係あるのかは、わからない」
 私はなるべく短く言葉を紡いだ。
 理玄は「どうするべき?」という感じで、私に視線を向けた。
「逃げると困るから、刺激はしない方がいいと思う」
 理玄は軽く顎を引いた。
「部屋に入る前に、ピアノ部屋周辺を一周してもよろしいでしょうか。あ、私一人で大丈夫です。こちらで待っていてもらえますか」
 夫人は「はい、足元にはお気をつけ下さい」と、すぐに了承した。
 私は理玄とともに夫人の死角になる場所まで移動した。
「こっちは、少し妙なことになった」
 理玄は小さくいった。
「ピアノ教室の生徒数名がここ数日、立て続けに耳の痛みを訴えたらしい。それでピアノ部屋になにかあるか、様子を見て欲しいってことだ」
「お祓いの依頼をされたってこと?」
「それはまだ。でもここになにかいるといえば、依頼される可能性は高い」
「そこ。ピアノ椅子の上にタヌキがいる」
 私は出窓から見えるピアノ椅子を指した。
 理玄はしばらくそこを凝視したが「見えない」と首を振った。
「ちなみに、タヌキ以外に変なものがいたりする?」
「今のところいない」
「そのタヌキ、追い出すことって簡単だと思う?」
「簡単だと思う。大きくないし、嫌な感じもしない」
「耳の痛みと、そのタヌキって関係あると思う?」
「無関係ってことはない気がするけど」
「わかった。ちょっといってくるわ」
 理玄はそういうと、夫人の元へ戻った。
「失礼しました。ありがとうございました」
「あの、なにかありましたでしょうか」
 夫人は恐る恐るといった感じで理玄に聞いた。
「大きな問題はありません。でも今は、私はこの部屋に入らない方がよさそうです」
 理玄がいうと、夫人は「え」と目を開いた。突然そんなことを言われたら、当然の反応である。
「大した理由はありません。私がそういう時間というだけです。日が暮れた時にお邪魔する方が良いと判断しました」
 理玄は意味がわからないことをいったが、夫人は「そうなんですね」と納得したようであった。
 それから夫人は「そういえば」と口を開いた。
「耳が痛いといった生徒さんは、みんな夕方以降の方でした」
「もしご迷惑でなければ、また近々こちらを見せてもらってもよろしいでしょうか」
「それは、はい。もちろんです。あの、やはり何かあるのでしょうか」
「心配するほどのことではありません。ただ、念のためです」
 理玄は夫人を安心させるように優しく微笑んだ。

◆◆

「たしかに狸囃子と同種に見えるね」
 凪砂は私が送った画像を見ながらいった。
「このタヌキとは会ってみた方がよさそうだな」
「私たち、なんでリビングを出たんだっけ」
「え?」
 私たちはリビングに居たはずであるが、いつの間にか廊下に出ていた。
「茶室だよ。狸囃子がきてるから、呼ばれてるんだ」
 朔馬はいった。
 彼にはしっかり自覚があったらしい。いわれてみれば、微かに祭り囃子が聞こえていた。

「これ、見える?」
 朔馬は液晶画面を狸囃子に見せた。
 しかしタヌキたちは、目を光らせて静止するばかりであった。タヌキの目、もしくは妖怪の目とは相性が悪いようである。
「君たちと関係ありそうなタヌキを見つけたんだ。今からいってみる?」
 タヌキたちは顔を見合わせたので、朔馬は丁寧にそれを説明した。
「こんや、ダメ」
 タヌキたちは首を振った。
「用事かなにかあるのか」
 凪砂はいった。
 タヌキたちは「しごと、しごと」と口をそろえた。
「仕事なら仕方ないな。いつなら都合がいい?」
 タヌキたちは「わからない」という感じで顔を見合わせた。
 それは言葉の意味がわからないのか、いつなら都合がいいのかわからないのか、判断がつかなかった。
「もしヨスケっぽい何かを見つけたら、強制的に呼び出していいかな」
 朔馬が再び根気よく説明すると、タヌキたちは了承した。
 それから朔馬は人形《ひとがた》の和紙を狸タヌキたちに差し出した。タヌキらはそれぞれに、人形の和紙に前脚を乗せていった。よくわからないが、同意の拇印のようなものだろう。
 朔馬はそれを懐にしまうと「ありがとう」と礼をいった。

 狸囃子を見送って少しすると、理玄から連絡が入った。
 原夫人から正式にお祓いの依頼があったとのことである。
 朔馬はそこに同行したいこと、さらには狸丸にも協力して欲しいという旨を伝えた。朧面をつけていても、やはり無断で他人の家に入り込むことには抵抗があったので渡りに船である。
 理玄からは「了解」とすぐに返信がきた。
「絶対に狸丸の許可とってないだろ、これ。いつも事後承諾なのかな。ピアノ部屋のタヌキ、俺たちがいくまでじっとしてるかな」
 凪砂はいった。
「なにかない限りは動かない気がする」
 私はいった。
「すごい無防備に眠ってるもんな。でもなんでここにいるんだろう、怪我でもしてるのかな」
「その可能性もあるね」
 朔馬はいった。

 原さん宅にいつ向かうかを理玄と相談すると「日没後なら通夜の依頼が入らない限りは、そっちに合わせられる」と返ってきた。私たちも特に予定はなかったので、原さんの都合に合わせることで合意した。
「今回は俺が留守番しようか」
 凪砂はいった。
 今回は茶室の依頼も兼ねてはいるが、おそらくバイト代が発生する。バイト代が発生する場合、そこに向かうのは朔馬ともう一人にしている。理玄になにか言われたわけではないが、自主的にそうしているのである。
 前回は私が留守番だったので、凪砂はその提案をしたのだろう。
 問題がないので、私も朔馬も合意した。

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