落ちない男が言うには
 見つめ合ったまま、少し時間が流れた。
 やがて、湛が澄んだ目をして言った。

「結婚しますか」
 
 がっくりと、和嘉那は頭を垂れて呻く。
「また何かぶっ飛んだこと言い出した……。私を山小屋から引き離すために、そこまでする気なんですか。あなたにとって結婚ってなんですか」
 あの、セキュリティ概念のない家に住ませておくのが忍びないという理由だけで、身売りしないで欲しい。
 項垂れたまま待っていると、湛はそっけない口調で言った。

「俺にとっての結婚は、好きな人と家庭を築くことです。他の解釈はありません」
「それでいいじゃないですか。ちゃんと好きな人と結婚してください……。私のことはもういいですから」
「そうですね。和嘉那さんがその気になってくれるまではまだまだ待ちます。でもあの家にはもう帰しません。引越しするというのは約束してください」

 脳が疲れているみたいで、湛が話している内容が頭に入ってこない。

(あの家にはもう帰しません、って)

 つんと前を向いてしまった横顔をぼんやりと滲んだ視界にとらえて、和嘉那は恐る恐る言った。

「帰してくれないんですか」
「あなたの車は置いてきてしまいましたから。さすがに徒歩では帰れないと思います。ついでに、これから不動産屋に行く予定を変える気はありませんし、部屋は借ります。入居可能日まではホテル暮らしか実家暮らしをしてください。この話し合いが決裂した場合はやむを得ません。監禁します」

 いま、犯罪を匂わせた気がする。というか、言った。
 決裂した場合はというが、今までのところ何一つ同意したつもりもないので、このままだと監禁ルート一直線だ。

「水沢さん」

 さっきまでは普通の会話が成立していたはずなのに、何かいま方向性が変わったような……? と和嘉那は確認に為に名を呼んだ。

「頭がついていってないんですけど。選択肢をもう一回教えて頂けますか?」
「わかりました。俺と結婚するか、監禁されるかです」
「そういう『ここに極論と極論があります。選べ』ってやめて頂けます!? 選べますか、それ。今まで、そんな話一回もしたことないですよね!?」

 思わず噛みつくように言えば、わざとらしいまでにきょとんと目を瞬かれる。

「これだけ外堀埋められ続けて、鈍感にもほどがあります。今からどこかに逃げられるとでも思っているんですか」
「怖ッ。素でそういうのやめてください。怖いですからッ」

 今まで、デレたことすらなかったくせに、いきなりそこまで振り切れるもんなんでしょうか!? という思いから、和嘉那は助手席で身を縮こまらせる。
 一方の湛は、何かやり遂げたようないい笑顔で、にこにことして言った。

「もう少し、男を警戒しましょう。あと、結婚の件は真面目に考えてください。できれば今すぐ」
「いやあの……、その……、結婚って、お付き合いを一年くらいしてから『そろそろかな』とか、そういう……」

 段取りが順序が時間配分が、と言うに言えずにあわあわと言い募る和嘉那に向かって、湛は真面目くさった調子で言った。

「結果的に結婚するなら、付き合う時間は必ずしも必要ではないですよね。あと、結果的に一緒に暮らすならさっさと暮らしてしまった方がいいです。一年って何か根拠があるんですか」

 とんでもない結果論者だ。もう少し過程も大事にして欲しい。

「ああ……。今まであの家に住むな住むなとは言われてきたんですけど、ここまで実力行使されたのは初めてで……。駄目だっていうのはわかっていたんです。冬なんか雪に埋もれるし、今年の冬はもう越せないかななんて思っていましたけど」

 遠からず、出るつもりはあったのだ。だから、ここは意地を張らない方がいい。渡りに船という。
 理解が追いついてきて、頭ではわかっている。なのにどうしても。
 押し切られて、流された印象になるのが嫌で。
 口を開いたら憎まれ口を叩いてしまいそうで堪える。
 そんな思いには気付いているのだろうか、湛は腕を組んでシートにもたれかかりながら視線を流してきた。
 いつもながら吸い込まれそうな黒い瞳に滲むような笑みを浮かべて、低い声で言う。

「俺がどんな男かはもうわかっていると思います。初めから逃がすつもりなんかありませんでした。ずっと好きでした。『和かな』としての展望も理解しています。あなたが作品を作り続けてくれるのが俺にとってもかけがえのないことですから、協力を惜しむつもりはありません」

 何度目の不意打ちなのかと。好きだなんてそんなに簡単に打ち明けて。
 結婚を申し込んだ後に言うことなのでしょうか。
 素直に嬉しいと言えずに、和嘉那は俯いてぼそぼそと呟く。

「私だけが……好きなんだと思っていました……。私に触れることもないし。キスだって」

 軽く肩に手を置かれ、気付いたときは唇に唇を重ねられていた。

 伏せられた瞼と綺麗な睫毛を至近距離に見ながら、和嘉那は目を閉じる。
 触れるだけの穏やかなキスが終わるまで。

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