落ちない男が言うには
強くて綺麗
和菓子職人、水沢湛という人は。
駅からほどよく離れた、「椿屋」という和菓子屋に勤めているという。
現在、市内における繁華街は駅から続く大通りを指している。椿屋の辺りは、戦後は市の中心的役割を担う商店街だったらしいが、今はシャッターも目立つ閑静な通りだ。昼間でも賑わっているとは言いがたい。
しかし、寂れているというのとも少し違う。
石畳に街路樹がゆったりとした間隔で植えられており、ところどころに郷土出身の童話作家の作品をモチーフにした銅像などもある。今は観光地として存在感を示している。
その通り沿いに、珈琲メインの喫茶店や、民芸品などの店がいくつかあり、水沢湛は大胆にも「和かな」の営業をそこから始めるつもりのようだった。
バーで飲んだ後、ごくスムーズに連絡先の交換をした。
その日はタクシーで和嘉那の家を経由し「通り道なので」と支払いも拒んで帰って行ったが、湛の住まいは椿屋の店舗そばということで、通り道でもなんでもないことに後から気付かされる。
(つくづくエスコートされてしまった……)
翌日、工房にて仕事をしていたら「次はいつお会いできますか」という連絡が湛から来たのである。今日明日にでもすぐに会いたいです、という本音はさておき、調整したら実に2週間も空いてしまった。
とは言っても、彼は律儀に約束を果たそうとしているだけで、用事はデートではなく営業である。
見本用の品物を積んで車で向かうと言ったら、椿屋の並びの時間極め駐車場に車を入れるように説明された。
車が駐車場に着く頃には、湛がすでに姿を見せていた。
相変わらず清潔感のある白いポロシャツにジーンズという装いで、日差しはすでに夏なのに表情はどこまでも涼しげだ。
「運転お疲れ様でした。少し休みます?」
ドアを開けたら、すぐに声をかけられる。
「いえ。一息つくとホッとしちゃうので、緊張感あるうちに行きたいです」
「わかりました。一軒目はすぐそこです」
湛が視線で示した先は、通り向かいの工芸品店だった。漆喰壁に瓦屋根の二階建て。瀟洒な佇まいで、客の入りはわからないが、大きなガラス窓からは木製の重厚そうな戸棚やテーブルが見える。商品だとすれば価格帯は高めだろう。
「ご近所さんなので融通がきくといいますか。お手軽でしょう?」
と、笑って言うが、「和かな」と相手方で何かトラブルになった場合、確実に紹介主の湛には迷惑をかけてしまう。
もちろん、顔を潰さないようにはするつもりだが……。
「その、甘えているように見えると思うんですけど、私、『海の星』販売分はこちらの言い値で、利益ものせてもらってないんです。なので、中間マージンといいますか、あまりにも下代を安く見積もられてしまうと……」
「そうですね、安売りする必要はありません。上代が『海の星』と差がついてしまうことも気にしなくて良いでしょう。あちらで安く手に入ると気づいたお客様が『海の星』に足を伸ばすようになってくれたら、それはそれで。あまり心配しなくても、良い意味でもそんなに良くない意味でも、この辺の店は利益優先ではありません。交渉の経験は?」
「……ええと、以前何軒かは。ただ、薄利多売の工業製品と一緒くたに考えられると、金銭的に折り合うのが難しくて……」
「あなたの作品は手間がかかっていますからね。大量生産品とは違うということを、わかって頂けたら良いのですが」
和嘉那が、車の助手席に積んだ箱を取り出そうとすると、気づいた湛が「ここは見本はいりません」とさらりと言い放った。
「俺が『海の星』で過去に購入した作品をいくつか先に見てもらっています。今日運んできた分は、見本というより、交渉が上手く行ったときに商品として置いて行けば良いと思います。下ろすなら決まってからで良いです」
「ありがとう……ございます?」
(もしかして、先にかなり売り込んでくれているのでは……?)
「あの……。そこまでして頂いた場合、この先トラブルになったときに、ご迷惑をおかけしてしまいますよね」
耐えきれずに言ってしまったが、湛は気にした様子もなく言う。
「トラブルになりそうなときはご連絡ください。間に入ります。解決しますから」
それはなんだか。
(強い)
彼が「和かな」に入れ込んでくれているのは知っていたが、ありがたいという言葉だけでは言い表せない。
湛はちらりと和嘉那に視線を滑らせて、口元を綻ばせた。
「今日もお綺麗ですね」
「ええっ」
変な声が出る。
(この人、不意打ちで……。あ〜、多分こういうこと言うのに照れがないんだろうな……)
特に下心なく、他人を褒めることが出来る人のように感じる。
普段、和嘉那は汚れる作業が多いので服装にはほとんど構うことがない。
今日は(デート!)と下心は疼いたが、あくまで営業なので、ベージュのノースリーブワンピースに細いベルト、レース編みのカーディガン。ターコイズのガラスを連ねて垂らしたピアスに、地毛が茶色の猫毛は星モチーフのついたゴムでまとめてある。胸元には何もつけていないが、腕にはバングルやチェーンやビーズを連ねたブレスを三つ重ねづけをしている。
「靴は?」
湛にさりげなく言われて、和嘉那はハッと息を飲んだ。
運転しやすいようにスニーカーを履いていた。本当は白のストラップにジュート底のサンダルに履き替えるつもりだったのに。
「す、すこしお待ちくださいっ」
せっかく綺麗と言われたのに、かっこつかないなあ、と自分にガッカリしながら助手席のドアを開けてサンダルを取り出す。
(浮ついた気分じゃダメだ。せっかく仕事紹介してもらえるんだから、気合い入れていこう)
言い聞かせながら、靴を脱いで履き替えた。
湛が引いてくれた道を無駄にしないように。きちんと歩み出そうと。
駅からほどよく離れた、「椿屋」という和菓子屋に勤めているという。
現在、市内における繁華街は駅から続く大通りを指している。椿屋の辺りは、戦後は市の中心的役割を担う商店街だったらしいが、今はシャッターも目立つ閑静な通りだ。昼間でも賑わっているとは言いがたい。
しかし、寂れているというのとも少し違う。
石畳に街路樹がゆったりとした間隔で植えられており、ところどころに郷土出身の童話作家の作品をモチーフにした銅像などもある。今は観光地として存在感を示している。
その通り沿いに、珈琲メインの喫茶店や、民芸品などの店がいくつかあり、水沢湛は大胆にも「和かな」の営業をそこから始めるつもりのようだった。
バーで飲んだ後、ごくスムーズに連絡先の交換をした。
その日はタクシーで和嘉那の家を経由し「通り道なので」と支払いも拒んで帰って行ったが、湛の住まいは椿屋の店舗そばということで、通り道でもなんでもないことに後から気付かされる。
(つくづくエスコートされてしまった……)
翌日、工房にて仕事をしていたら「次はいつお会いできますか」という連絡が湛から来たのである。今日明日にでもすぐに会いたいです、という本音はさておき、調整したら実に2週間も空いてしまった。
とは言っても、彼は律儀に約束を果たそうとしているだけで、用事はデートではなく営業である。
見本用の品物を積んで車で向かうと言ったら、椿屋の並びの時間極め駐車場に車を入れるように説明された。
車が駐車場に着く頃には、湛がすでに姿を見せていた。
相変わらず清潔感のある白いポロシャツにジーンズという装いで、日差しはすでに夏なのに表情はどこまでも涼しげだ。
「運転お疲れ様でした。少し休みます?」
ドアを開けたら、すぐに声をかけられる。
「いえ。一息つくとホッとしちゃうので、緊張感あるうちに行きたいです」
「わかりました。一軒目はすぐそこです」
湛が視線で示した先は、通り向かいの工芸品店だった。漆喰壁に瓦屋根の二階建て。瀟洒な佇まいで、客の入りはわからないが、大きなガラス窓からは木製の重厚そうな戸棚やテーブルが見える。商品だとすれば価格帯は高めだろう。
「ご近所さんなので融通がきくといいますか。お手軽でしょう?」
と、笑って言うが、「和かな」と相手方で何かトラブルになった場合、確実に紹介主の湛には迷惑をかけてしまう。
もちろん、顔を潰さないようにはするつもりだが……。
「その、甘えているように見えると思うんですけど、私、『海の星』販売分はこちらの言い値で、利益ものせてもらってないんです。なので、中間マージンといいますか、あまりにも下代を安く見積もられてしまうと……」
「そうですね、安売りする必要はありません。上代が『海の星』と差がついてしまうことも気にしなくて良いでしょう。あちらで安く手に入ると気づいたお客様が『海の星』に足を伸ばすようになってくれたら、それはそれで。あまり心配しなくても、良い意味でもそんなに良くない意味でも、この辺の店は利益優先ではありません。交渉の経験は?」
「……ええと、以前何軒かは。ただ、薄利多売の工業製品と一緒くたに考えられると、金銭的に折り合うのが難しくて……」
「あなたの作品は手間がかかっていますからね。大量生産品とは違うということを、わかって頂けたら良いのですが」
和嘉那が、車の助手席に積んだ箱を取り出そうとすると、気づいた湛が「ここは見本はいりません」とさらりと言い放った。
「俺が『海の星』で過去に購入した作品をいくつか先に見てもらっています。今日運んできた分は、見本というより、交渉が上手く行ったときに商品として置いて行けば良いと思います。下ろすなら決まってからで良いです」
「ありがとう……ございます?」
(もしかして、先にかなり売り込んでくれているのでは……?)
「あの……。そこまでして頂いた場合、この先トラブルになったときに、ご迷惑をおかけしてしまいますよね」
耐えきれずに言ってしまったが、湛は気にした様子もなく言う。
「トラブルになりそうなときはご連絡ください。間に入ります。解決しますから」
それはなんだか。
(強い)
彼が「和かな」に入れ込んでくれているのは知っていたが、ありがたいという言葉だけでは言い表せない。
湛はちらりと和嘉那に視線を滑らせて、口元を綻ばせた。
「今日もお綺麗ですね」
「ええっ」
変な声が出る。
(この人、不意打ちで……。あ〜、多分こういうこと言うのに照れがないんだろうな……)
特に下心なく、他人を褒めることが出来る人のように感じる。
普段、和嘉那は汚れる作業が多いので服装にはほとんど構うことがない。
今日は(デート!)と下心は疼いたが、あくまで営業なので、ベージュのノースリーブワンピースに細いベルト、レース編みのカーディガン。ターコイズのガラスを連ねて垂らしたピアスに、地毛が茶色の猫毛は星モチーフのついたゴムでまとめてある。胸元には何もつけていないが、腕にはバングルやチェーンやビーズを連ねたブレスを三つ重ねづけをしている。
「靴は?」
湛にさりげなく言われて、和嘉那はハッと息を飲んだ。
運転しやすいようにスニーカーを履いていた。本当は白のストラップにジュート底のサンダルに履き替えるつもりだったのに。
「す、すこしお待ちくださいっ」
せっかく綺麗と言われたのに、かっこつかないなあ、と自分にガッカリしながら助手席のドアを開けてサンダルを取り出す。
(浮ついた気分じゃダメだ。せっかく仕事紹介してもらえるんだから、気合い入れていこう)
言い聞かせながら、靴を脱いで履き替えた。
湛が引いてくれた道を無駄にしないように。きちんと歩み出そうと。