婚約破棄したいのに、天才華道家の独占愛に火を付けてしまったようです。
「知らない? 石鹼の香りって花なんだよ」
「そうなの!?」
「マグノリアとか鈴蘭とかジャスミンとか、そういう花が使われているんだ」
「知らなかったぁ」
「実は祖父が石鹼職人だったんだ。僕が一歳の頃に亡くなっていて、会った記憶はないんだけどね」
紅真の祖父が早くに亡くなっていることは聞いていたけど、石鹼職人だったことは初耳だった。
「祖母はいつも祖父の作った石鹼を匂い袋に入れて、お守りにしていた。祖父が傍にいてくれているみたいで落ち着くって。石鹼の香りの元は花だから、尚更落ち着くんだって。それで僕も昔から好きなんだ」
「なんかすごく素敵なお話だね」
改めて紅真はおばあちゃんっ子だったんだなぁと思ってほっこりした。
「――って! ほっこりしてる場合じゃない! 遅刻しちゃう」
「いってらっしゃい」
自然な流れで紅真は菜花の額にちゅっとキスを落とす。
「……菜花、風邪引かないようにちゃんとカーディガン着てね」
「? うん……?」
何だか妙に念押しされたなぁと思いながら会社に向かう。
朝から雛乃からのメッセージが届いていた。
「何か言われたら私が弁護するから」
冗談混じりでも気遣ってくれる気持ちが嬉しかった。「ありがとう」と返信し、深呼吸してオフィスに入る。
出社してすぐに、周囲の視線が自分に向いていることに気付く。
「ねぇ、あの子……」というひそひそ話も聞こえてくる。
ある程度は予想していたが、やはり居心地が良いとは言えない。
でも俯いてはダメだと思った。前を向いて堂々とするのだ。
「菜花ー!」