婚約破棄したいのに、天才華道家の独占愛に火を付けてしまったようです。
千寿紅真とは常に冷静な人物だったはずなのだ。基本的に感情的になることはない。
「僕には菜花しかいないから。今更菜花以外の人と結婚なんて考えられない」
「……っ!」
その言葉を聞いた時、嬉しいとは思わなかった。
紅真はずっと華道一筋だった。フラワーデザイナーの仕事もこなしつつ、ずっと花としか向き合って来なかった。
だからこそ、今更知らない女性と結婚することに抵抗があるのかもしれない。
結婚は家元を継ぐために必要なことだと受け入れてはいるけれど、今更新しい相手を探す気にもなれないのだろう。
「……私じゃなくてもいいのに」
「菜花?」
「何でもない。とにかく、十年間そんな素振り一度もなかったのに、いきなりそんなこと言われても信じられるわけないよっ」
「だから、チャンスが欲しい。今度こそちゃんと菜花と向き合って、振り向かせるから」
クールで無表情、何を考えているのかわからないのがデフォルトだったのに、紅真は急に見たこともない“雄”の顔を覗かせていた。
真っ直ぐに目と目を合わせ、熱が込められた瞳を向けられて思わずドクンと鼓動が響く。
こんなに真剣に思いを伝えられ、嫌だとは言えなかった。
「わ、わかった……」
「ありがとう、菜花!」
紅真はもう一度ぎゅっと菜花を抱きしめる。
急にオーバーな表現になる紅真にまたドキッとさせられてしまう。
「覚悟してて、絶対に振り向かせてみせるから」
本当にこれが紅真なのかと疑いたくなる。
十年一緒にいても、彼がここまで感情を露わにすることなどなかった。
まさかとは思いつつ、自分はもしかしてとんでもない獣を呼び起こしてしまったのではないだろうかと、菜花は紅真の腕の中で思った。