婚約破棄したいのに、天才華道家の独占愛に火を付けてしまったようです。


 紅真は思案してからぼそりと呟いた。


「……赤瀬耀司、あの人か」
「紅真くん?」
「何でもない。菜花、その人と抱き合ってなかった?」
「抱き合う!? あれは違うよ! 私が転びそうになったから支えてくれただけ」
「……ふうん」


 何だか紅真の様子がおかしい。いつもより表情が暗く見えるし、声のトーンもいつもより低い。


「紅真くん、本当に何もないよ?」
「でもその人、菜花に気があるんじゃないの?」
「えっ?」
「そんな風に見えたけど」
「そんなわけないよ! 赤瀬部長は誰にでも親切なだけだから!」
「菜花がそう思ってるだけなんじゃないの?」
「紅真くん……?」


 紅真の表情はとても険しかった。口調もいつもより棘を感じる。


(もしかして紅真くん、怒ってる……?)


 菜花の心がざわざわとざわつく。


「あの、紅真く……」
「嫌なんだ。他の男が菜花に気があると思うだけで、おかしくなりそうになる」
「え……?」
「菜花は、僕のものなのに」


 そう言った紅真の表情はとても歪んでいた。
 何かに葛藤して苦しんでいるような、そんな表情だった。

 聞き返そうとする暇もなく、紅真は腕を伸ばして菜花の頬に触れた。


「んっ」


 気付いた時には紅真の顔が至近距離にあり、されるがままに唇を奪われていた。
 何が起きているのか理解できなかった。反射的に離れようとしたら頭の後ろをがっちりとホールドされてしまう。


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