婚約破棄したいのに、天才華道家の独占愛に火を付けてしまったようです。


 昨日、菜花の会社の近くにあるオフィスでロビーに飾るフラワーアレンジメントの依頼があった。
 せっかく同棲生活が始まったというのに新年度は互いに忙しく、すれ違いの日々が続いている。
 会える確証はないし菜花も忙しいことは重々承知だったが、それでも一目顔が見たいと思って菜花のオフィスが入っているビルに寄ってみた。

 どうせいないだろうと思ったが、一階に入っているカフェに菜花らしき女性を見かけた。
 すぐに菜花だとわかった紅真は声をかけようと近づいていった。
 だが、菜花の隣にはスーツ姿の男がいた。

 思わず立ち止まり、その様子を眺めてしまった。
 二人が何を話しているのかわからなかったが、菜花はどことなく浮かない表情をしている。
 かと思えばその男と楽しそうに会話しており、男はおかしそうに笑っていた。つられて菜花も笑顔を浮かべている。

 そして、立ち上がった菜花のことを抱きしめる男の姿が紅真の瞳に焼き付いた。

 その時、紅真の胸の奥が焼けるように熱くなった。

 程なくして菜花は男に会釈をして立ち去っていった。
 冷静に考えれば仕事関係者だろうことはすぐにわかったはずだ。

 だけど、一瞬でも垣間見えてしまった。
 男の菜花を見つめる視線の中に、ただの同僚以上の感情が孕んでいたことに。

 その後、どうやって帰ったのかよく覚えていない。
「この後一緒に飲まないか」と誰かに誘われた気がしたが、素っ気なく断って帰宅していた。

 帰宅した菜花にその時のことを尋ねたら、上司だと話した。

「すごく良い人なんだよ。部下のことちゃんと見てくれる人ですごく優しくて、気配りができる方なの」

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