積年愛に囚われて〜兄的幼馴染は秘め続けていた想いを開放したい〜
「将司さんの赤ちゃんです」

幸恵はなぜか勝ち誇ったような顔をして言う。

私はさらに眉根を寄せた。

「そう……。それはおめでとうございます。でも、どうしてわざわざ私にそんなことを教えるんですか?もうあの人とは別れていて、私とは全然無関係なんですけど」

そう言いおいて、今度こそ給湯室に戻ろうとした私に、幸恵はひどく低い声で言った。

「ダメになっちゃったの。赤ちゃん」

私は息を飲んで幸恵を見つめた。

彼女はその時私の恋人だった将司の浮気相手だ。何回か彼と寝てできた赤ちゃんということなのだろう。その子が流れてしまったことは、かわいそうだとは思う。けれどそれ以上の、幸恵に対してかけるべき言葉は見つからなかった。一般的な慰めの言葉しか思いつかないが、それだって私が言うべき言葉なのかと疑問に思ってしまう。しかし社会人としてのマナーのようなものが、いつの間にかしみついてしまっているようだ。私は声を振り絞るようにして言った。

「それは残念でしたね……」

私は声を絞り出すようにしてそれだけ言うと、彼女の前から去ろうとした。

「大原さんのせいよ!」

幸恵は突然荒々しい声を上げると、私の手首を掴んで強く引っ張った。

彼女のその行動を予測していなかった私は、ぐらりと身体のバランスを崩した。灰色の壁、非常灯の白い灯りが目に入り、同時に幸恵の叫び声が聞こえたと思った。次の瞬間には体が宙に浮いたような感覚があり、続いて全身に激しい衝撃を感じた。それを痛いと思う間もなく、私の記憶はそこでぷつりと途絶えてしまった。
< 176 / 242 >

この作品をシェア

pagetop