積年愛に囚われて〜兄的幼馴染は秘め続けていた想いを開放したい〜
「はい、なんでしょう」

早く立ち去ればよかったものを、そこで思わず返事をしてしまった。

「これ、どうぞ」

少しはにかむような笑みを浮かべて、彼女は俺の手元に小さな紙袋を置いた。

「クッキーを焼いたんです。先生に食べて頂きたくて」

俺は絶句した。つい最近、俺から告白を断られているのに、食べ物を、しかも手作りのものを持ってくるとはいったい何を考えているのだろう。そして、その小花柄の紙袋を見て、いつだったか診察室にあったお菓子の出所はやはり、彼女だったと確信する。そのままさらりと聞き流せばよかったのに、俺はうっかり訊ねてしまった。

「なぜです?」

彼女は恥ずかしそうにうつむきながら答えた。

「甘いものを食べれば疲れが取れると言いますから、それで。少しでも先生のお役に立ちたくて」

俺はさらに固い作り笑いを顔に張り付けて、彼女に告げた。

「私のことは、婚約者がすべて気を配ってくれていますから、ご心配には及びませんよ。それでは私はこれで失礼しますね」

『婚約者』という部分をあえて強調した。彼女にはこれくらいはっきり言わないと伝わらないと思った。いや、伝わってもらわなければ困る。そして、直接言葉を交わしてみて感覚的に悟った。

あの手紙の犯人はやはり彼女に違いない――。

その場を離れて食堂を出る間中、俺は背中にじとっとした視線を感じていた。渋面を作りながら医局へと戻る。

瑞月には、早いうちに上に相談すると言いはしたが、さてどうするか。

仮に彼女が犯人だとすれば、患者の住所を勝手に入手してそれを悪用したことになる。個人情報の漏洩だ。そのことは、やめてもらうのに十分な理由になるだろうが、それだって本人が知らない、やっていないと言い張ればそれまでだ。今のままではどうしようもない。何か決定的なことでもない限りは。

瑞月を守るためにと、すぐにこの病院をやめて地元に戻るという無責任な真似もできない。

「今のところは静観するしかないか……」

俺はため息をつきながら、医局のドアに手をかけた。
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