不埒な一級建築士と一夜を過ごしたら、溺愛が待っていました
 ゆっくり歩きながら、黒瀬さんが聞いてくる。

「そういえば、有本さんはどうして設計士になりたいと思ったんだ?」

「ベイエリアのシータウンがあるでしょう? そこに初めて行ったとき――」

 のんびりとした雰囲気に開放的な気分になっていた私は、素直に高校生のときの想いを話す。
 黒瀬さんも茶化すことなく真面目に聞いてくれた。でも途中から、今までに見たことのない表情をしていた。額に片手を当て、なにかを我慢しているように口もとを引き結んでいる。
 なんだろう。照れくさそう?
 首をかしげて彼を見ると、なんでもないと首を振るので、私は初心を思い出して、気合いを入れなおした。
 考えてみたら、今そのころの憧れの仕事をしている。もっと頑張らなくては!

「私、もっといろんなことに目を向けて設計しますね!」

 決意表明した私を見て、黒瀬さんはニヤッと笑った。

「わかったなら、早く帰って、とっとと図面を進めてくれ」
「ここに連れてきたのは黒瀬さんでしょう!」

 まるで私が無駄な時間を使ったように言われて、口を尖らせる。
 でも、ここに来てよかったと思った。
 おばあさんたちが焼いたというマドレーヌやクッキーをもらって、私たちは事務所に戻った。
 
 ***

 それから私は素直に黒瀬さんの言葉に耳を傾けられるようになった。
 彼のもとで働くのは本当に勉強になる。こんな機会を得られたなんて、私は幸運だと思う。
 昂建設計にいたままでは気づきもしなかっただろうことがたくさんあった。
 繊細に注意深く設計しているから、黒瀬さんの作るものは一本筋の通った美しさがあるのだろう。
 才能だけではなく、努力を惜しまない人だというのも見えてしまった。
 一緒に働くうちに、彼への印象が変わっていく。
 ふと垣間見えた真剣な顔を、素敵だとさえ思ってしまう。

「なんだ? 俺に見とれてないで、手を動かせ」
「み、見とれてなんていません!」
 
 言動は相変わらず軽いけどね。
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